1 高校生に戻るまで
灰色の街。なんの面白みもない街。育った街。鮮やかさと面白みを求めて彷徨った。失うものなど何もないと分かっているから────
そして今、目の前にある明滅する台を睨みつけている。早数時間、失った。根こそぎ持っていかれた。吸い込まれた札の枚数を数えるのに嫌気が差して席を立つ。足元に銀色の球体が転がっていないかを気にしながら店を出ると、金木犀の匂いと肌寒い空気が混ざったものが鼻を通り抜けた。
目の前に見える喫煙所を目指しそこで煙草を吸いながらお決まりのルーティンとして、そろそろ貯金が底をつきそうな不安と、それでも今以上に自分の懐が暖かくなるのではないかという期待との葛藤で心をざわつかせる。
「………帰るか」
己との押し問答を一通り繰り返した後、虚脱感に襲われながら家への道を歩き出した。
この街に戻ってきたのは四ヶ月前。それまでは東京で会社員として働いていた。高校を卒業して進学も就職もせずフラフラとした後、成り行きで入った自動車販売の営業だった。なんやかんやで結局九年ほど勤めて辞めた。急に気力が無くなったのだ。元々合わない仕事なのによく続いたと思う。
これからのことなんて何も考えていない。行き当たりばったりで生きてきたツケなのか、変わりたいと思ったところでその方法など持ち合わせていなかった。
「次はお馬かな……」
今やネットでも見ることが出来るが、競馬はアナログに限る……気がする。
新聞を買いに行こうとコンビニに立ち寄るべく、商店街を通りながら帰ることにした。商店街といってもコンビニ以外は昔からの店が数軒のみの、商店街という名前だけが残ったような場所だ。子供の頃はそれなりに活気があり店の数も多かったが、時代の変化とともに次々と畳む店が増え今では見る影もない。
商店街に入ると、ひと際店構えの大きい和菓子屋が見えてきた。創業100年を超える老舗「亀井堂」だ。今は小学生の頃からの幼馴染が継いでいる。
「シンペー!!」
通りかかると大抵聞こえるいつもの声。
「よお、ユウト」
「なんだよ、またパチンコか?」
「まあ、な。頑張ってるか四代目」
「おう! 今度新作出すから買いにきてくれよ」
昔はあんなに継ぐことを嫌がっていたのに、今や新作和菓子の開発に日々勤しんでいるようだ。実際にメディアで「ネオ和菓子の担い手」と紹介を受けるほど人気が出ている。この寂れた商店街にありながら行列をつくることもある。
「てかさ、そんなギャンブルばっかりやってないでそろそろ働けよ。色々あるんだろうけどさ。雇ってやろうか?」
「これ以上俺の劣等感を刺激するなよ。仕事しろ。またな」
笑いながら手をあげて応えるユウトと別れ歩き出す。“色々あるんだろうけど”という言葉に多少の気遣いを感じ、昔から変わらない優しさと程よい距離感に妙な安心感を覚えた。
ここに戻ってきた時、初めに会いに行ったのはユウトだった。二十年近く音沙汰がなかった俺に対して深く何も聞かず「戻ってきてくれて嬉しい」と言ってくれたことは本当に感謝している。
コンビニで目当てのものを購入後、流れるように灰皿の前にいると腰の違和感に気づいた。
これは……やったかもしれない。
会社員だった二年前、当時残業がかなり多く不摂生を重ねていたし、おそらく運動不足や加齢もあったのだろう。ある日仕事中にただ立って書類を確認していたら……突然腰が爆発した。
当初は歩くのも困難なぐらい辛かったが、仕事の合間を縫って何度か病院に行き、結果中途半端な通院ではあったが完治はせずとも気にならないぐらいには回復した。その後はそれとなく上手くやっていたのだが。
最近長時間座ることが多かったからな……
湿布は先日父親が使い切っていたのを目にした。親子揃って腰痛持ちになるという重ねた年月を変な形で感じつつ、少し不本意な買い物の購入先を模索する。ドラッグストアは駅前にあるが戻るのは面倒臭い。確か昔、薬局が商店街を抜けてしばらく歩いた先にあったはずだ。
歩くことは腰にとってもきっと悪くないだろう、そう思い高校生以来の道を通ることにした。
商店街を抜けると大通りがあり、信号を渡った後に少し狭まった道路へと入っていく。
久しぶりに目に映り込む場所と重ねながら、なんとなく高校時代のことを思い出していた。登下校の道、校舎や教室の雰囲気、クラスメイト達の顔……と言ってもその殆どに薄くモヤがかかって鮮明に浮かぶことはなかった。必死に蓋をしているような変な感覚にもなった。
高校生ねぇ、もう二十年ぐらい経つのか……。
あの時代に何かが大きく変わってしまった気もするが、今更どうでも良いことだ。振り返ったところで過ぎ去った時間が返って来るわけでもない。
ただ映画や漫画などでよく見る“過去に戻って人生をやり直す”ということがもし出来れば、もう少しマシな人生だったのかと思うことは今でもたまにある。
そんなことを考えながら歩いていると目的地が見えてくる。しかし遠目から見ても分かるほど、古くなった建物はそのままに伽藍堂となっていた。郊外に近いとはいえ、ここは比較的住宅の多い場所だ。もう少し頑張れよと無理な注文を心の中でしてみる。
仕方がない、今日はもう帰ろう。
昔の記憶を頼りに出向いても無い……戻ってきてからこういったことが多い。時間の流れに伴う変化は止めようがないと分かりつつも、なんだか街が色を失う気がした。あの商店街も。
若干の寂しさを感じつつ、腰をさすりながらこの道からどう行けば円滑に家へと辿り着けるか、頭の中で地図を描いて進み出す。失った景色はあれど、どうやら道自体はあの頃と比べてもさほど変化していないようだった。
歩を進める。来た道よりもさらに奥の方に進んでから大通りへ戻っていけば家に近い信号に辿り着けるはずだ。
しかし住宅街が思ったよりも入り組んでいて、歩いている内に頭の中の地図と歩いている道とで差異が生じていくことに気づいた。
まさかこんな近場で迷子になるとは思ってもみなかったが、同時に何とかなるだろうという気持ちが地図アプリを見ることをさせなかった。
それから勘を頼りに進み続けたものの、結局行き止まりになってしまった。どうやら川にぶつかったらしい。右手は住宅、左手には……
空き地? 何だここは。
広さにして大体テニスコート二面分ぐらいだろうか。広過ぎず、狭過ぎず程度の空き地がそこには広がっていた。敷地内にはポツンと古いベンチが見える。腰の違和感は多少落ち着いたが、思った以上に歩いてしまった疲労感から座って休憩を取りたくなり中に入ることにした。
座りながらもう一方の出入り口が目に入り、そこには車止めが設置されていた。となるとここは公園なのか。それにしては遊具が一つも見当たらない。
最近は利用者の減少や騒音などで徐々に公園が減少していると聞くが、ここも例に漏れずと言ったところか。
「無くなった場所か……」
昔は遊具もあって利用する子供達で溢れていたのかもしれない。家の近所の公園ではよく遊んでいたが、ここに来たことはあっただろうか。昔のことで上手く思い出せない。
思いに耽りながら辺りを見渡すと、隅に大きな楓の木を見つけた。以前は植物に対して何ら関心を持たなかったが、歳を重ねてからは愛でることも吝かではない。
立派だなぁ。
近づいていき、よく見ると木に隠れるようにして祠が建っている。中を覗いてみると木板のようなものが祀られていた。これが一体何なのかは分からないが、祠自体は建てられてから結構な時間が経過しているのか汚れていて、手入れもされていないようで近隣住民からも忘れ去られた存在のように感じた。
木を見上げる。淡く色づいた葉の一枚一枚の色の違いを確かめるように眺めてみる。
……その時、記憶の遥か彼方で全く同じ景色が見えた気がした。
誰かの笑顔と一緒に。
同時に立ちくらみのように意識が遠のく。
う、何だこれ。
朦朧としつつも視線は葉から外れない。
淡いはずの色が赤く、濃くなり呑まれる感覚に陥った。
その瞬間…………
周囲の景色が一変し、見慣れた建物の前に立っていた。
「……あれ、家だ」
見紛うことのない、いつもの自分の家だった。少しだけ新しくなったように感じるが。
そして何気なく隣の家を見て思わず驚愕する。それはもう今では無くなっているはずのものだった。
頭の整理が追いつかない。どういうことだろう。
「どうしたの? そんな所に突っ立って」
声の方向に目をやる。現れた人物にさらに頭を混乱させる。
二度と会えないと思っていた幼馴染がそこには立っていた。