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作者: しきみ彰

「あんたさえいなければ、わたしの娘が次期当主だったのに!」

 そう、継母に殴られながら叫ばれ。


「君にも、異母妹(いもうと)と同じくらい愛嬌があればな……」

 そう、婚約者に文句を言われ。


「お異母姉(ねえ)様ったら可哀想。誰からも愛されないのね」

 その様を見た異母妹からは憐れまれ、嘲笑される。


 しかもそのことを当主である父に相談すれば、

「それくらい、次期当主なのだから対処しろ」

 と言われ、すげなくされた。


 味方と呼べる味方は、たった一人。執事のラルクだけ。

 そんな中、当主教育として分刻みのスケジュールを毎日をこなしていくのは、ひどく苦痛だった。

 しかも一つでも間違えれば叱責される。罰として食事を抜かれることもあったし、最悪の場合何もない部屋に閉じ込められ、一週間水だけで生活することもあった。


 そんな、地獄のような毎日と、世界。


(ここに、私の居場所はないわ。早く出て行きたい……)


 イサイア侯爵令嬢、エティカはそう思い続け、そしてそこから逃れるために必死になって勉学に励み、魔法を学んだ。


 そしてとうとう、望んだ魔法が完成したのだ。


 ――『肉体と魂を入れ替える魔法』を。








「取引をしに参りました」


 開口一番、継母にそう告げて事情を説明すれば、彼女は瞳を輝かせた。

 それを見て、エティカはこっそり笑う。


(食いつかないわけがないわよね。だってそれを何より望んでいたのは、彼女だもの)


 継母は、エティカの母親が亡くなってから迎え入れられた後妻だ。

 そして、異母妹を産んだときに父から見捨てられている。エティカの父は、本当は息子が欲しかったからだ。

 そのことに失望した父はそれっきり体の関係を断ち、仕事に明け暮れた。継母がどんなに懇願しても、失望した父の心を動かすことはできなかったのだ。


(だから、私が次期当主の座を得ていることに嫉妬しているし、屋敷での体裁を保つために私をいじめている)


 当事者のエティカがそれを許すことはないが、哀れだとは思った。

 まあだからと言って、異母妹を甘やかしすぎているが。


(彼女に魔法の才がないのは、私のせいではないのに)


 そう思いつつも、継母が何を言うか待っていると、彼女は顔を扇子で隠しながら問う。


「……そんな魔法は初めて聞いたわ」

「そうでしょう。私が開発したものですから」

「……アイシャに危険は及ばないの?」


 アイシャ。それが異母妹の名前だ。

 一応は娘の身を案じるらしい。早々に飛びつかない辺りは、さすがイサイア侯爵夫人と言うべきか。

 そう思いながらも、エティカは微笑みながら頷く。


「もちろんです。でなければ私にも害が及ぶではありませんか」

「……当主様がなんと仰るか」

「後継者としての資質があるのであれば、当主様はなんとも仰らないと思いますよ。私に興味などありませんから」


 そう。父が欲しいのは、優秀な後継者だ。エティカではない。

 なのでアイシャにきちんと次期当主としての力が存在すれば、問題はないだろう。


 そして継母は幼い頃から、アイシャに当主教育を行なってきた。エティカに負けないためだ。

 その中でネックだったのは、アイシャの魔力が少なかったことだろう。


 魔力が少ないということは、上級魔法が使えないということである。

 魔法の才も含めて、父は当主の資質として重要視していた。そしてそれがなかったことが、継母にとっての最大の悩みだったのだ。


(だってそれで私を殺したとしても、意味がないものね)


 もし暗殺に成功してもう一度子を産む機会に恵まれたとしても、また女児が生まれてしまったら。

 そう恐怖するのは、ある意味当然だ。継母がその選択を取れなかったことは、なんら不思議なことではない。


(そして、アイシャの唯一の欠点が魔力量だと思っている彼女が私との取引をしない選択は、ないのよ)


 その予想通り、継母はしばらく考える素振りをしていたが、取引に応じる姿勢を見せてきた。


「それで、何が目的なの?」

「私からの要求は一つ。肉体を入れ替えた後、私の名前をこの家から消してください」

「……それだけ?」

「はい。もしお疑いになるのであれば、刻印契約書を作成しましょう」


 刻印契約書は、魔法を使って取引される重要なものだ。そしてその効力が絶対である。

 そのことに、彼女は驚いていた。しかし家から出たいエティカにとってそれは、何より重要な事柄だったのだ。


「……分かったわ。貴女の要求を飲みましょう」

「それはよかったです、夫人」


 それでは早速始めましょうか?


 ――そしてエティカとアイシャは無事に入れ替わり。

 エティカはアイシャの体で、ラルクを連れてイサイア侯爵邸をあとにする。

 そんな中唯一心配をしていたのは、ラルクだけだった。


「……エティカ様、本当によろしいのですか?」

「あら、何が?」

「何って……今まで苦労をなさってきたではありませんか。貴女がお望みになるのなら、わたしは幾らでも仕返しをしますよ」


(もう、ラルクったら)


 イサイア侯爵邸を出てエティカについてくると言ってくれたときからも思っていたが、彼の忠誠心は本物だ。

 それにエティカは、自身の見た目がアイシャになってもなお、彼がついてきてくれることが一番嬉しかったのだ。


(そう……彼が私の代わりに怒ってくれたからこそ。そして私以上に私のことを気にかけてくれたからこそ、私は今までやってこられたの)


 そんなラルクがいるのに、他に何が必要だというのだろうか。

 それ以外の準備は、もう済ませてあるのに。


「いいのよ。それにあんな人たちのためにラルクが手を汚す必要はないわ」

「……ですが、これでは……」

「もう、本当にいいのに。それにラルク。彼女たちが本当に、あれで幸せになれると思う?」

「……それは……」


 ラルクが言葉を濁すのを見て、エティカは笑った。それは、彼女が今までの人生の中で心から浮かべた、憐れみの笑みだった。


 そう。ラルクは今までエティカの執事として、彼女の手となり足となり動き、彼女のそばで同じものを見てきている。

 それに彼は頭がいい、それだけのものが揃っている状態でこれからどうなるのかなんて、少し考えれば想像できるのだ。


「ふふ、これからが楽しみね」



 *



 それから一か月後、エティカは父宛に手紙を送った。


『もし私にご用がおありのようでしたら、一週間はこちらで滞在しております。』


 そんな一文と共にホテルの場所を示す地図をつければ、その翌日に父がホテルにやってきた。


「ごきげんよう、いらっしゃいませ、イサイア侯爵様」


 そう言い、ラルクを後ろに従えたまま歓迎の言葉を述べたが、父としてはそれどころではないらしい。開口一番、こう言う。


「御託はいい、エティカ……一刻でも早く、魔法を解け!」


 エティカは、笑みを浮かべた。


(ああ、やっぱり、アイシャは父から認められなかったのね)


 エティカは知っていた。ずっと前から知っていた。アイシャの頭がよくないことを。

 だって彼女は事あるごとに課題をエティカに押し付けていたからだ。だからきっと表面的には、異母妹の成績はよかったことだろう。

 それに昨今の貴族は金銭を稼ぐために経営に関しての知識も必要だが、その点に関してもお察しだろう。


(それに、魔力が少なかったからか、魔法の勉強なんてろくに行なってきていないでしょうし)


 それに、この一か月で気がついたイサイア侯爵夫人の気持ちを考えると、笑えてくる。きっとヒステリックに叫びながら、娘をなじったことだろう。

 肝心のアイシャも、今まで蝶よ花よと育てられてきて、遊びほうけていたから、急に母親の態度が変わって驚いているだろう。その様がすぐに想像できて、エティカは声を上げて笑いたくなった。


(でも、まだ終わりじゃないわ)


 そう。本当ならばすぐにでも隣国に飛びたかった彼女が一か月間、ホテルでの滞在を決め。挙句期間を空けて手紙を送ったのは、このためだ。

 ――無様な父の姿を見るためだ。


「無理ですわ」

「……は?」

「ですから、無理だと申しました。イサイア侯爵様もご存じでしょう? この体には、再度『肉体を魂を入れ替える魔法』を行使できるだけの魔力がございませんから」

「そ、それは……! っならば、お前を後継者に……!」

「魔力量が少ないのに、ですか? それはないでしょう。それにイサイア侯爵様、私の籍は既に、イサイア侯爵家からは消えているのですよ。ならばなおの事難しいでしょう」

「……は?」


 エティカは知っていた。アイシャが後継者に相応しくないと。

 そして、それに気づき激高したであろう父が、エティカを連れ戻すためにやってくることも知っていたのだ。

 だから先手を打って、籍そのものを消した。

 夫人がこっそり行なったのだろうが、それに今まで気がつかなかったイサイア侯爵もイサイア侯爵だ。本当に何から何まで、家族に対しての関心がないのだなと実感する。


 そう思いながら、エティカはラルクが淹れてくれたお茶を飲む。

 一方で、イサイア侯爵はわなわなと体を震わせた。


「ならば、どうすればいいというのだ!」

「方法は一つ。アイシャが私同様の知識を得ることでしょう。魔法研究の資料は残してありますから、頑張れば見つかるかもしれません」

「あの出来損ないに、そんなことできるはずもないだろう!!!」

「でしたら、再度夫人に子を生していただくしかありませんね」


(まあその間に、イサイア侯爵が予定していたあらゆることが停滞するでしょうけれど)


 そのうちの一つは、エティカの元婚約者を婿養子に迎え入れることで成立するはずだった、ヴィルマ伯爵家との事業提携が駄目になることだろうか。

 ちなみに、元婚約者に関しても社交界で悪い噂を流してあるし、隣国に旅立った後に新聞社を通じて『異母妹との浮気』という最悪のスキャンダルを公開するつもりだ。彼のその後を知るのが、今から楽しみで仕方ない。


 そのことが顔に出ていたのか。イサイア侯爵は激昂する。


「何がおかしい!?」

「何が、ですか? ふふ、すべておかしいですね! あまりにも滑稽で笑いが止まりませんわ! イサイア侯爵様!」

「っ実の父親に対してなんて口の利き方を……!!!」



 そう言い、エティカに殴りかかろうとしてくるイサイア侯爵を止めた挙句、足を払い床に沈ませたのはラルクだった。


「エティカ様に触れられるとでも?」

「放せ! 執事風情が……!」

「あらあら、イサイア侯爵様。とても無様ですね。お可哀想」

「っ! なぜ、こんな仕打ちを……!」

「……なぜ?」


 その質問に、エティカは首を傾げた。だってあまりにも愚かだったからだ。

 理由なんてこんなにも明白だったのに。


「理由はたくさんありますが……一番の原因はイサイア侯爵様、貴方です」

「……わたし?」

「はい。貴方が、少しでも屋敷の中で私のことを尊重し、自身の妻と次女を諫める姿勢を見せていれば、こんなことにはならなかったのです」


 まあ今更、元には戻せない。


 エティカは失望しきっていて、イサイア侯爵家に帰る気などさらさらないし。

 第二の人生を送る準備はもう、できているのだから。


「さようなら、イサイア侯爵様。お元気で」


 そう言うと、ラルクがイサイア侯爵を摘まみ出す。


 それを見て、エティカはようやく息を吐き出した。


(手が、震えているわ……)


 父の存在は、エティカにとっていつも恐怖の対象だった。そんな彼と向き合い、あまつさえ口答えするのは、想像するよりもずっと緊張することだったようだ。

 その緊張をほぐすために何回も深呼吸をしていると、そっと肩にショールがかけられる。


「エティカ様、お疲れ様でした」

「……ラルク」

「どうぞこのまま、おやすみになってください」


 そう言うと、彼はエティカを軽々と抱き上げてベッドまで連れて行ってくれる。


「おやすみなさい、エティカ様。どうかよい夢を……」


 優しい声を聞いたおかげか、その日のエティカは悪夢を見ることなく。ぐっすりと眠りについたのだ――



 *



 それから二週間後。

 エティカとラルクは、隣国のカスパーニャ王国に到着した。

 二人はここで商人として成り上がり、華々しい第二の人生を送るつもりでいる。


(ラルクの名前を借りて事業をしていたから、お金はあるし。経営に関しての知識はあるから、あとは商品だけ)


 そしてその商品に関しても、エティカにはアイディアがあった。

 それは、『魔導具』だ。


(体を入れ替えてから色々試してみたけれど、どうやらこの体、繊細な技量が必要とされる刻印魔法が得意みたいなのよね)


 そしてそれは、元の体では魔力量が多すぎて逆にできないことだった。その才能に気がつかないとは、アイシャはいったいどれだけ勉強をさぼってきたのやら。


 そのことに呆れる。しかしもう大丈夫、エティカはこの体の価値を理解して有効活用できるのだから。


(カスパーニャ王国は、新興国よ。自由も多いけれど、まだ発展途上ね)


 そんな中、魔力が少なくても使える魔導具が出てくれば、一体どうなるか。

 商機を早速見出し、エティカはにんまりとする。

 すると、それを見ていたラルクが笑った。


「エティカ様、どうされたのですか? もしやまた悪巧みを?」

「そんなんじゃないわ。……それとラルク。様付けはもうよして。私たち、夫婦なのだから」


 そう。隣国にやってくるのと同時に、エティカはラルクと結婚して籍を入れ、彼の名義で商会を立ち上げ、家を買った。今二人がいるのが新居だ。

 理由は単純、結婚もしていない男女が一緒に生活すると、色々と訝しがられるからだ。


(そもそも私に執事がついていたのは、私が次期当主だったからだし……ラルクには申し訳ないけど、偽造夫婦という関係を受け入れてもらわないと)


 そう思い、エティカが呼び捨てにするまで返事をしない、と言わんばかりの態度を取っていると。


「……エティカ」


 ラルクにそう甘く呼ばれ、エティカの心臓が跳ねあがる。


 驚き目を見張っていると、いつの間にか彼の顔がすぐ近くにあった。


「ラ、ラルク……?」

「……でしたら、俺ももう、我慢しなくていいですよね?」


 なに、を。


 そう聞く前に、エティカは唇を奪われる。


 想像以上に柔らかい感触に固まり、同時に顔に熱がこもっていくのが分かった。

 しかしそれも一瞬、唇が離れていくのを感じる。


「……え?」


 エティカが思わず声を上げていると、ラルクがにこりと微笑んだ。


「エティカ。これからはもう遠慮しませんから、覚悟してくださいね?」


 俺は貴女のことが好きなので。


 思ってもみなかった人からの思ってもみなかった告白に、エティカの頭は真っ白になる。


 そんな彼との生活がいったいどうなるのか。

 そして、商会での仕事はどうなるのか。


 何もかもが新しい中、エティカの第二の人生は始まったのだった――


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