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抱擁

「…………行ったか?」

 静かな声が、闇の中に響き渡る。

 ドラゴンが去った地中、そこで、ガイエルとフリードリチェは生きていた。

 互いに満身創痍。最後の瞬間、ありったけの力を出して魔法を発動したガイエルの防御により、二人は強固な土の殻に包まれ、地中へと押し込まれた。

 空気は少なく、隙間はドラゴンの踏みつぶしによってほとんど失われ、それでも、かろうじて身動きが取れるほどの場。

「なぁ、ガイエル?」

 魔法の使い過ぎによる倦怠感からほんの少し回復したフリードリチェは、返事のない戦友に声をかける。闇の中、ガイエルの声は聞こえない。ただ、反響する呼吸音はわかり、そして、自分を包み込む腕の、体のぬくもりが、確かにまだ、ガイエルが生きていることを伝えてくる。

 冷えた体。過剰な魔法発動によって自律神経の乱れがひどく、何より、ガイエルの片腕が今も失われたままであることを思い出し、フリードリチェは暗闇の中で顔をゆがめる。

 身じろぎ。鋭く、息を吸う音。

「ごめん。痛かったか?」

「……いや」

 か細い声。まるで心ここにあらずのような、そんな声音。

 その声が、フリードリチェの魂を揺さぶる。今ここに、確かにガイエルはいて、けれど、その存在が少しずつ遠くなりつつあることに気づいて、焦燥に駆られる。

「このまま倒れてはだめだ、ガイエル。私たちは、生き残ったんだ。だから、生きて――」

 どうして、自分はこれほどまでに焦っているのだろう。どうして、これほどまでに鼓動が早くなっているのだろう。

 そんな疑問が、フリードリチェの胸を突く。

 慌ててはいけない時のはずだった。この場は狭く、そして、自分にもガイエルにも、余力は残っていない。空気は刻一刻と減っていて、このまま何もしなければ、二人ともが死ぬ。

 冷静な思考が、フリードリチェに突きつける。

 このままだと、ガイエルが死ぬ――

 ドクン、と胸が高鳴る。心が痛む。

 どうして、と、考え、そして、ガイエルの腕が己を強く抱きしめる感覚に、はっと我に返る。

「ガイエル?どうした?」

「……ここに、いるんだよな?」

 遠い声。かすれた、かろうじて出している声。その声が、フリードリチェの心にさざ波を立たせる。勝利の美酒を味わう気持ちはない。生き延びたと、歓声を上げる気力もない。

 ただただ、絶望が心を乱す。嫌だ、と心が悲鳴を上げる。

「私は、ここにいるさ」

 言いながら、フリードリチェは己を抱きかかえるガイエルの隻腕を、片手でそっと握りこむ。改めて握るその手はフリードリチェの手よりずっと大きく、硬かった。

 背中を支える逞しい腕が、大きな手が、筋肉質な体が、どうしようもなく意識させる。

 ガイエルは、男で、そして、自分は――

「あぁ、柔らかい手だ」

 ドクン――心臓は、再び鼓動を強くする。

 もう、わかっていた。

 こんな時に、わかりたくなかった。

 泣き叫ぶ心を叱咤し、硬く、硬く、ガイエルの手を握り返す。自分は確かにここにいると、そう、伝えるために。

「なぁ、ガイエル」

「……ぁあ」

「私たちは、英雄だぞ」

「そう……かも、しれないな」

 かすかに声ににじむ苦いものに、しまった、と後悔する。

 この戦いは、完全な勝利とは呼び難いものだった。

 多くの騎士が死んだ。当初の作戦は崩壊し、二個小隊で生き残ったのは、おそらくはフリードリチェとガイエルだけ。とりわけフリードリチェの小隊は間違いなく壊滅で、生き残ったのはほぼ確実にフリードリチェのみ。ドラゴンがブレスを放つ際、全力の火魔法による爆風で火炎をそらしたからこそ奇跡的に生き残れただけ。

 他の者はみな、一瞬にして炭と化し、多くが形も残らず燃え尽きた。

 そのことを、ガイエルが悔やんでいないはずがなかった。

 勝利した。生存競争に勝った。

 だが、ガイエルの心には、確かに深い喪失があった。絶望があった。後悔があった。

 それが、重なる体を通して、確かにフリードリチェに届いていた。

「ここは、寒いな、フリードリチェ」

「そうだな。ああ、寒い」

 冷たかった。ガイエルの体が、冷え切っていた。

 腕にかかるのは、ガイエルから零れ落ちる命のしずく。そのぬくもりが、どうしようもなく、この時間の終わりを突きつける。

 脱出するために、残りの酸素のすべてを使うか。あるいは、ガイエルの治療に、止血に、魔法を使うか。

 考え、そして。

 フリードリチェは、何をするでもなく、ガイエルの胸に頭を預ける。弱まるその鼓動に、耳を澄ます。

 冷たい大地の中、静寂が満ちるそこに、二人の息遣いが、少しずつ溶けていく。

 もう一度、ガイエルが寒いとつぶやく。

 それが、フリードリチェに決意をさせる。

「ウォーム・コート」

 小さな声でつぶやく。ガイエルに、聞こえないように。

 体を温める火魔法。だが、火魔法だけあって、それは確実に、この場の酸素を消費する。

 ガイエルを己の体で温めながら、フリードリチェはこれまでの戦場を思う。

 血で血を洗う、ゴブリンたちとの戦い。

 町のひとつを落としたアンデッドの首魁との激闘。

 火をまとった剣を握り、戦場を駆け抜けた日々。

 勝利の美酒をなみなみと注いだグラスを、ガイエルとぶつけた瞬間のこと。

 あふれる黄金の液体が宙を舞い、ランプの光を反射して、美しくきらめいていたこと――

「ねぇ、ガイエル」

 返事はない。ただ、ガイエルはまだ、確かに生きていた。

 フリードリチェも、生きていた。

 雄々しい腕に包まれ、胸に頬を当てながら、祈るように、ささやくように、口を動かす。

「私は、貴方が――」

 音が、止まる。

 呼吸が、そして、鼓動が。

 静寂が、闇の中に満ちる。

 魔法が役目を果たし、熱の発生が止まる。

 静寂。そこには、浅い呼吸が一つ。

 なぁ、ガイエル。私は――

 それは、声にはならず。

 ただ、フリードリチェは、愛おしげに笑みをたたえ、そうして、眠るように目を閉じた。


 剣戟の音も、充満する血臭もはるか遠く。

 広がる花畑の先でほほ笑む強面の男に向かって、大きな一歩を踏み出す。

 その、顔には。

 幸せでいっぱいの、乙女の笑みが浮かんでいた。


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