表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

緊急

「よう、ガイエル。帰りか?」

 無言でうなずく巨漢は、しばし目をしばたたかせ、自分に問うてきた女に視線で聞き返す。わざわざ呼び止めて、そんなわかりきったことを聞くだけかと。

 何しろ今のガイエルは無骨な装備に身を包み、全体的に埃っぽく、何より防具の一部には血痕が散っているのだから。

 王国の民の平穏を脅かす魔物の討伐を終えて帰路につくガイエルは、山賊を思わせる外見。王都を歩いてくる間も住民たちに怯えられ、悲鳴を上げられていて。

 だからこそ、たとえ同僚とはいえ、自分を普通の人として扱ってくれる彼女が、不思議な存在に思えた。

 同じ騎士団に属するフリードリチェは、ガイエルの苦戦を笑いながら聞き、二人並んで歩き出す。

 燃える炎のような、体からあふれる血のような赤髪を後頭部で縛り、凛と背筋を伸ばして歩く。一歩後ろを歩きながら、ガイエルはその背中をぼんやりと眺めていた。

 同じように戦場に立っても、薄汚れ、地面を這いつくばりながら戦う自分とは違う、強いフリードリチェ。

 その背中がまぶしくて、ガイエルは目を細める。

「……まったく、お前と私は対等なんだ。堂々と並んでくれよ」

 バシン、と背中をたたく手の音が大きく響く。びくりと目を見開きつつ、ガイエルは背を伸ばす。

「目は覚めたか?」

「ああ、そうだな……少し痛いが」

「それは結構。生きている証だな」

 笑いながら、フリードリチェは歩き出す。やっぱりその背中をまぶしそうに見つめながら、クマのごとき巨漢は、のっそりと歩き出す。

 その心のわずかなしびれを、背中から全身に走った衝撃のせいだと、そう言い聞かせながら。


 ガイエルは凡人だ。少なくとも、彼自身はそう思っていた。

 流麗な剣の使い手でも、優れた魔法を収めた者でもなく、ただ地面を這いつくばり、泥臭く戦い、生き延びる、そんな戦士なのだと。

 同期だからこそ対等だと告げるフリードリチェは、ガイエルにとってはまぶしい存在に他ならなかった。

 火魔法を巧みに操り、剣にまとわせて振るう魔法剣の使い手であり、戦場の花。赤い髪をたなびかせて戦場をかける彼女は、口元に笑みを浮かべていることもあって、悪姫羅刹(あっきらせつ)だとか、血戦姫(ブラッディプリンセス)などと言われているが、本人はどこ吹く風。

 ただ一人の騎士として戦場をかけるフリードリチェは、騎士たちの羨望の的であり、嫉妬の対象であり、負うべき背中を見せる者だった。

 ――今、この時も。

「……私が出よう」

 会議には重苦しい空気が漂っていた。

 小隊長以上を集めた、騎士会議。張り詰めた空気の中、口火を切ったのはただ一人。

 その凛とした声を聴けば、ガイエルはすぐに声を発した人物が誰か、手に取るように分かった。

 ちらと視線を向ければ、そこには、指名されたくないとばかりに背を丸める騎士たちの中、ただ一人まっすぐに背筋を伸ばした人物がいる。

「危険な、戦いになる」

 騎士団長が、低い声で告げる。

 決死隊になる覚悟はあるのかと、そう、フリードリチェに問う。わかっていると、彼女は力強くうなずく。

 ことの次第は、王都近郊、燃料確保のために管理されている森に、大規模な魔物の住処が見つかったこと。

 王都の目と鼻の先にそのような巣が作られてしまったのは、ひとえにその集団をすぐれた個体が指揮していたから。魔物でありながら魔法を巧みに操るオークの群れ。オークキングが率いる軍勢は、魔法によって人目を欺き、近郊の森に一台軍勢を率いていた。

 だが通常であれば、その程度の魔物など取るに足りない。問題は、どうしてそのような軍勢が、王都近郊という危険な土地に、拠点を構えたか。

「……ドラゴンは、人類の手が届く存在ではない」

 悠久の眠りから目覚めたドラゴン。災厄の化身。それが、オークの住処を奪い、そして、飢えのままに暴れている。

 このままいけば、ドラゴンはオークを追って王都へと近づいてくる。それは、何よりも避けるべきこと。

 だから、騎士団は二つに分かれ、この国難を乗り越えるべく動き出そうとしていた。

 一方は、近郊の森にはびこるオークの速やかな掃討。そしてもう一方は、ドラゴンの進路を変え、少しでも多くの人を守るために、すべてを掛けて立ち向かう者。

 まさに決死隊。

 それを理解しながら、フリードリチェはうなずく。

「私の隊であれば、下級速やかにドラゴンに接近、己の命を懸けて、その進路を王都から遠ざけることが叶うでしょう」

 戦う必要はない。ただ、ドラゴンの進路を変えればいい。

 フリードリチェは、すべてを覚悟したうえで、それでも可能性があると告げる。己は王都を救い、そして生きて帰って見せる――その目が語る。

 うなり、腕を組みながら、騎士団長はじっと考える。

 この期に及んで、女のくせになどという発言が飛ぶことはない。フリードリチェは、これまでのあらゆる罵倒を、嘲りを、その実績によって黙らせてきた。無敗の女。騎士中の騎士。

 彼女であれば、彼女が率いる舞台であれば――

「自分も、協力します」

 声に、騎士団長は顔を上げる。いかつい顔をした、巨漢。じっと手を上げる男を見て、方眉を上げる。

 手を上げるガイエルは、自分はいったい何を言っているのかと困惑する。

 民を救うのだという使命感はあった。けれど、自分は役不足だと、そう理解していた、はずだった。

 己は凡才であり、一番の艱難はフリードリチェに任せておいて、泥臭く戦えばいいのだと。

 そう思いながらもどうして口走ったのか。考え、すぐに答えが浮かぶ。

 それは、フリードリチェの目に、確かな諦観があったから。死を受け入れた者特有の、あきらめと、仄暗い感情の輝きを、その目に見たから。

 己の命を引き換えに、ドラゴンの進路を変えようとしている――フリードリチェを止めなければと、心がそう叫んでいた。

「……どうするつもりだ?」

 団長が問う。お前ごときが、どうするつもりだ?そんな枕詞が聞こえてきそうな声音に、けれどガイエルはひるまない。ひるむことなど忘れてしまったように、静かに、口を開く。

「家畜の軍勢を率い、火で脅して走らせます。眠りから覚めて飢えているドラゴンであれば、確実に食いつくでしょう。あとは、どこまで遠ざけられるか、その戦いとなるでしょう」

 騎士団長は、その言葉をじっと聞いていた。

 机上の空論。その程度の姦計に乗ってくれるようなら、ドラゴンは災厄などとは呼ばれない。

 だが、人にできるのはその程度だというのも確かだった。

「……お前の所には、牛飼いがいたか」

「その子息ですが」

「…………可能性が低くとも、やるしかない、か」

 組んでいた腕をほどき、表情を引き締める。騎士団長の気配の変化に、会議に出席する騎士たちは、全員がそろって背筋を伸ばす。

「此度の災禍は、国王陛下より我々騎士団に一任されている。陛下の手足として、陛下の鉾として、我々はこの災禍を確実に乗り越えねばならん」

 低い声が、会議室に響き渡る。

 誰もが、黙って背筋を伸ばす。誰かが、ごくりとのどを鳴らす。

「我々騎士団の手に、王国の未来が握られている……総員、陛下に命を預け、最後の力を刃の一振りに変え、国難を切り開けッ」

「「「「はッ」」」」

 二十を超える小隊長以上の階級の者たちが、一斉に立ち上がって敬礼する。

 握った右手を左胸、心臓の上に。己の命を捧げると、そう、覚悟を決める。

「第八小隊、第十一小隊は対ドラゴン作戦。二個小隊を除く全戦力でオークを可及的速やかに消し去る。総員、行動開始ッ」

 そうして、賽は投げられた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ