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直面する壁

 黃血熊の胃袋の粉末と、雷電鳥の羽根はそれほど反発がなかった。

 数度は失敗を繰り返したが、五回目で初めて成功してからはこつを掴んで、容易に回路を通せるようになった。

 けれどここに、針山蛇の針を仕込んだ長杖まで魔力回路を延長させようとすると、途端に強い抵抗を感じる。そこからの作業は一週間ほど、一進一退の状況だった。


 指先から魔力を伸ばす。

 長く長く。

 細く、もっと細く。

 曲がる時は慎重に、頭の中に描かれた図面から、はみ出さないように。


 突然魔力の滞りが生じ、フローリアは慌てて魔力回路の太さを戻す。

 ――駄目。急に戻すとまた弾かれる……!

   パンッ

 いいところまで仕上がっていた長杖が、一瞬で粉々に砕けた。

 まるで、魔道具から拒絶されたようだ。

 ヒリヒリと痛む人差し指は赤くなっている。

 フローリアは唇を噛んで俯いていたが、しばらくすると、かろうじて無事だった雷電鳥の羽根を作業台に投げ出した。

 何度失敗しても諦めるつもりはない。

 それでも、解決の糸口すら見つからない状況が続くと、さすがに気持ちが沈む。

 無駄になった魔獣素材の価値も合わさり、フローリアの肩にぐっとのしかかって来るようだ。

「早く、完成させなきゃ……」

 自然と口をついて出た呟きは、色濃い焦燥に塗れていた。

 冬の間、魔獣の襲来は合計で六回あった。

 熟練した騎士達が早めに対処したからか、弱い個体だったからか、怪我人は一切出ていない。

 魔獣が頻出するギルレイド領の騎士団には魔力吸収布がふんだんに常備されているらしく、血の被害が出ないようしっかり対策していると聞いた。

 だが、そう毎回都合よくいくはずがない。

 次こそ死傷者が出るかもしれない。大地が汚染されるかもしれない。

 ――コルラッドさんから聞いてはいたけれど、魔獣が現れる頻度があまりに高すぎる。なぜ、魔獣の森から出てくるようになったのかしら……。

 魔獣の森の中に、餌となるものがなくなったのだろうか?

 飢えをしのぐために、人が暮らす地域まで足を伸ばすようになったのか?

 分からない。とにかく、早急に魔道具を完成させねばならないことだけは確か。

 フローリアは、膝の上でこぶしを握り締めた。そうして堪えていないと、涙がこぼれそうだった。

 自分があまりに未熟で、嫌気が差す……。

「――フローリア殿」

 低く馴染む声音に、フローリアは弾かれるように顔を上げた。

「ゼインさん……」

 ゼインが、大きな体を丸めてこちらを覗き込んでいる。気遣わしげな瞳を向けながら。

 いつ作業部屋に来たのだろう。これほど接近されていたことにも気付かなかった。

「あれ? ロロナさんは……」

 そういえば、ロロナがいない。

 護衛として側にいたはずなのに。

 フローリアが口を開くと、彼は安堵の笑みを浮かべながら立ち上がった。

「俺がついているからと、ロロナには休憩を出しました。もう昼食の時間ですよ」

 ゼインが掲げたバスケットを見て、目を瞬かせる。言われてみれば、窓の外では太陽の傾きがずいぶん変わっていた。

「すみません、全然気が付きませんでした。ロロナさんに空腹を我慢させてしまって……」

「ロロナより、自分のことを思いやってください。軽い食事を持ってきましたので」

 バスケットの中にはアイスティだけでなく、黒パンのサンドイッチ、ザワークラウト、食べやすく切り分けられた菜の花とクリームチーズのキッシュも詰め込まれていた。

 黒パンのサンドイッチの具材もベーコンやチーズ、トマトやパストラミビーフなど、彩り豊かだ。

 バスケットは例のごとく、メルエが用意してくれたものに違いない。

 この頃昼食の時間に顔を出さずにいたから、心配してくれたのだろう。

 何だか毎回、ゼインから差し入れを手渡されている気がする。

「ゼインさん。いつもお手を煩わせてしまって、すみません……」

「いや、全く苦になりませんので。それと、これは俺から。以前に、干しイチジクを、とてもおいしそうに食べていたので……」

 ゼインはバスケットの他に、小さな包みを持っていた。簡素な茶色の包装紙だ。

 彼が大きな手で、器用に包みを開いていく。

 途端、フワリと鼻先をくすぐる甘い芳香。そこには乾燥リンゴが入っていた。

「最近は魔獣の解体もせず、この作業部屋に籠もりがちだと聞きました。あまり無理をせず、甘いもので気分転換をしてはいかがですか?」

 フローリアは胸がいっぱいになった。

 メルエのバスケットも、素っ気ない包みも、思いやりに溢れている。

 こんなにたくさん、たくさん……いつももらってばかりだ。

 浄化の魔道具を完成させて少しでも償いを、恩返しをするつもりだったのに。

 そう思えばなおさら泣きごとがこぼれた。

「実は……魔道具製作に、行き詰まっていて……」

 フローリアは弱々しい声で続ける。

「ユルゲン帝国でも、魔獣同士を組み合わせる技法は難しいとされているらしいです。やはり私には、不相応な挑戦だったのかもしれません……」

 黃血熊の胃袋の粉末と、雷電鳥の羽毛は組み合わせることができた。

 それだけでも十分すごいことだとメルエは褒めてくれたけれど、それだけでは足りないのだ。

 ゼインは微塵も揺らぐことなく、真摯な赤い瞳でフローリアを見つめていた。

「大丈夫。あなたならば、いつかきっとできるようになります」

「いつかでは遅すぎます……!」

 全然足りない。やりたいことに技術が追いつかない。努力を続けるのは苦じゃないが、時間は待ってくれない。

 聖女としていたらなかったフローリアのせいで、ギルレイド領の人々が辛い思いをする。

 償うために魔道具を作っているのに、いつかでは意味がないのだ。

 ゼインの視線に気付き、フローリアはふと我に返った。今、声を荒らげてしまった?

 気を許しすぎてしまったのだろうか。

 こんなふうに八つ当たりをしたことなど、人生でただの一度もなかったのに。

 指先がかすかに震えた。

 フローリアにとって、嫌われるのはとても恐ろしいことだ。

 優しくしてくれた誰かに背を向けられるのが怖いから、魔力が足りなくても聖女として懸命に足掻いた。眠る時間を削ってでも努力をした。

 認めてほしかった。顧みてほしかった。

 何も持たない身でも、『ただ側にいてくれるだけでいい』と……愛されたいと。

 呼吸がうまくできない。

 王都にいた頃の生活を思い出して、恐怖に呑み込まれる。

 冷たい婚約者。幸せそうに笑う義妹。フローリアの目と鼻の先で、少しずつ深まっていく二人の絆。

 他人のように振る舞う義母。一度として目を合わせてくれなかった父――……。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 一筋の涙が頬を伝う。

 フローリアはうわ言のように謝り続けた。

 自分の目の前にいるのが誰なのか、ゼインがどんな顔をしているか、何も見えなくなっていた。

 失望されたくない。必要としてほしい……。

 その時、口の中に何かが押し込まれた。

 優しい甘さとほのかな酸味が広がっていく。この味わいは、乾燥リンゴ。

「……おいしい」

 ポロリとこぼれた言葉に、間近にあった顔が笑う。綺麗な銀髪と真紅の瞳。これは、ゼインだ。

「あ……」

「根を詰めすぎると、思考も落ち込みがちになるものです。今はただ、何も考えずに食べましょう。腹が減ってはいい案も浮かびません」

 よく噛んでからコクリと飲み込む。

 すると、すかさず次の一口を放り込まれた。

「ロロナやコルラッドはかなり癖が強い。協調性は皆無に等しいので、彼らと親しくなれるのはすごいことです。フローリア殿は最近、騎士団内で『ロロナ中和剤』と呼ばれているのをご存じですか?」

 存じなかった。

 ロロナもコルラッドも、きちんと向き合えば一定の感情を返してくれる。

 だから何もすごくないのだと反論したかったけれど、口中においしい乾燥リンゴがあるため何も言えなかった。

「全て、フローリア殿が優しいからです。他者に偏見を向けず、ありのままを受け入れる心を持っているから。その……とても、素敵な方だと思います」

 餌付けをするかのように次々差し出される、甘いお菓子。優しさに満ちた言葉。

 お腹にも心にも、染み渡っていく。

 フローリアはもう反論をする気すら起きずに、フワリと顔を綻ばせた。

「ありがとうございます……」

 自分に自信なんてやっぱり持てないけれど、彼の励ましが嬉しかった。

 ゼインは優しい。温かい。

 穏やかで頼りになって、いつだって気にしてくれて、背中を押してくれて。

 彼が言うなら、本当に自分が素敵な人間になれたような気がする。

 フローリアはふと顔を上げた。

「ありのままを受け入れる……」

 取り繕うことも、気負うこともせず、自然体で。

 在り方を無理に歪めることなく。

 フローリアの瞳が、ゆるゆると見開かれる。

「ゼインさん……!!」

 彼の手をガシリと掴む。

 赤くなってギョッとするゼインに、フローリアは興奮のまま笑いかけた。

「反発があったら、それを回避するか無理やり押し通すしかないと思っていました……ですが、違ったのですね!」

「へ……」

「何だか、目の前が開けた気分です! ゼインさん、ありがとうございます!」

 珍しくはしゃぐフローリアに、ゼインは終始ぽかんとしていたけれど、やがて気の抜けたような笑みを浮かべる。

 喜んでいるのか困っているのか曖昧だったけれど、確かに笑顔ではある。

 その時、作業場所の扉が突然開いた。

 メルエとロロナ、そして見知らぬ騎士が一緒だ。

 彼らの表情は一様に深刻だった。

「魔獣がまた、森から。しかも今回は――飛行種」

 メルエの端的な説明に、フローリアもゼインも凍りついた。




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