意外な戦力
翌日。
予告通り、早朝からロロナがやって来た。
朝食中だったため、フローリアはスプーンを持ったまま、またも呆けてしまった。
ロロナはレトとも顔見知りのようで、彼の皿から素早くゆで卵を奪っていく。
口論になる彼らの忙しなさを眺めていると、隣の席のメルエがそっと顔を寄せた。
「一応、私の部下。面倒な性格をしてるから、もし迷惑をかけたら、すぐに知らせてほしい」
「面倒な性格……」
「具体的にいうと、無駄に自信過剰。馬鹿みたいに楽観的。人の話を聞かない」
なるほど。誰に対しても分け隔てないらしい。
ある意味潔さすら感じて、フローリアは乾いた笑い声をこぼす。
それを聞き咎めたのはメルエだ。いつでも親切な彼女だが、ここまで饒舌なのも珍しい。
「……もしかして、もう手遅れだった?」
「あの、私は好きです。明るくて前向きで、見習うべきところが多々あると思っております」
メルエはなぜか、まずいものでも飲み込んだような顔になった。
「あんなのは、一人で十分。フローリアは、フローリアのままでいて」
そこまでロロナに困っているのかと思う一方、フローリア自身を肯定する言葉に嬉しくなった。
今日は既に出勤しているコルラッドが、彼女を選んだ理由がよく分かる。
ちなみに逆は未だによく分かっていない。コルラッドはいくつもの顔を持ち合わせているから、距離感を推し量るのが難しいのだ。
他人の顔色を窺う、フローリアの長年の癖。
それによると、一見穏やかで、何かの拍子に慇懃無礼になって、たまに驚くほど粗雑な態度を見せるコルラッドは、誰よりも近寄り難い人物だった。
レトやメルエに向ける愛情は確かなものなので、冷酷な人間ではないと思うのだが。
けれどフローリアは、たとえ掴めないものでも、いつかは分かり合えるのではないかと思えるようになっていた。
個性的なロロナや、コルラッドとも。
これはギルレイド領に来てからの心境の変化。きっと、前向きないい変化だ。
「……大丈夫です。メルエさんのご心配は嬉しいですが、私はロロナさんと仲良くなってみたいです」
フローリアは改めて微笑みを浮かべると、まだレトと言い争っているロロナを見つめた。
その日の魔獣解体作業中、フローリアは驚くべき事実に気が付いた。
ロロナは、実に有能だったのだ。
いつものように汗を掻きながら解体に勤しんでいると、彼女が苛立たしげに足を鳴らしはじめた。
その足の音はだんだんと大きくなり、ついにはフローリアが集中を解くほどの大声を上げたのだ。
「あー、まどろっこしい! そんなにのんびりやってちゃ日が暮れても終わらないわよ!」
ロロナは引ったくるようにして、解体用ナイフと防護服を奪った。
目を白黒させ彼女の動向を見守っていたフローリアは、一拍置いてから慌てて魔力吸収布を敷く範囲を広げた。
そして、その行動は正解だった。
ロロナの魔獣解体は、信じられないほど迅速だったのだ。
雷電鳥の背骨に沿って外皮を切り裂き、あっという間に骨と肉に仕分けていく。まさに目にも止まらぬ早技だった。
しかも早さ重視の荒い仕上がりかと思いきや、とても綺麗なのだ。
「骨格と肉は分けたわよ。外皮と雷電鳥の羽毛はどうすればいい?」
「つ、使えるので、できれば綺麗に肉を取り除いてほしいです。たいへんな作業ですが、やってくださるのですか?」
「私にかかれば全然たいへんじゃないからね」
「ありがとうございます……!」
フローリアもずいぶん要領を得たつもりだったけれど、単純な速度が比較にもならない。刃のさばき方からまるで違う。
可愛くて目まぐるしい太陽のような少女という印象しかなかったけれど、騎士としても優秀なのだろうと初めて実感した。
フローリアは、全く力を込めているように見えないロロナの巧みな技術の、補助に回ることにした。
彼女が次に何をするかを先回りで予想し、魔力吸収布の配置を動かす。解体しやすい角度に魔獣の体勢を変える。解体を終えた端から別の場所に移す。
作業中に破れることもあるので、防護グローブの予備が何枚もあったのが幸いした。
そうして二人で分担して作業を続けていくと、まだ明るい内に今日の目標としていた数の解体を終えることができた。
今日はあらかじめメルエからバスケットを預かっていたので、汗だくになって防護服を脱ぎ捨てたロロナに、すかさずアイスティを差し出す。
彼女は気持ちがいい一気飲みを見せた。
「はーっ、やることなくて暇すぎたから全部片付けてやったわ!」
「すごかったです! 本当に鮮やかな手付きで、初めてとは思えないほどでした!」
「当然でしょー! ギルレイド騎士団の期待の新人なんだから! そう遠くない内に『二剣のロロナ』とか『疾風のロロナ』とか、格好いい二つ名で呼ばれてる予定!」
胸を張って笑うロロナが可愛らしくて、フローリアも一緒になって微笑む。
いつか本当に実現させるかもしれない。そう自然に思えるほど、今日の彼女は格好よかった。
「ありがとうございました、ロロナさん。雷電鳥は大きいし、羽根を傷めずに切り離すのがとても難しいので、一日がかりになると思っていました」
「とろくさそうだもんね、いかにも。でも、こんな羽根が魔道具の役に立つの?」
「はい。雷の特性を利用できないかと思いまして」
聖女としての修行中、人間の体も微弱な電流によって動いていると聞いたことがある。
電気は、絶縁体さえなければ広範囲に広がる特性を持つ。
それを利用すれば、浄化の魔道具の実用化に一歩近付くのではないかと考えた。
――三種の魔獣素材を複合させるとなると、さらに難易度は跳ね上がるでしょうけれど……きっと用途は広がるはず。できる限り、誰でも簡単に使えるようにしたいわ。
「今日は、本当にありがとうございました。あなたは護衛としてついてくださっているのに、頼ってしまってすみません」
「私はやりたいようにやっただけよ。ボーッと突っ立ってるだけなら、騎士の名折れだもの」
困っている人に手を差し伸べるのが騎士道、ということだろうか。
まだ若いのに本当に立派だ。
「ロロナさんは、とても優れた騎士ですね。そのお年でそこまでの実力を身につけるには、たいへんな努力が必要だったでしょう」
「私は天才だからどうってことなかったけどー」
ロロナは満更でもなさそうに顎を反らした。けれどその眼差しは、どこか遠くを見つめている。
「でも、やむにやまれずってとこかな。うち、実家が八人兄弟だからさ。自分で自分の食い扶持くらい稼がなきゃいけなくて」
騎士の道を志したきっかけは、幼い頃に実家近くまで魔獣が侵攻してきたことだという。
父親が庇ってくれたが、ロロナも弟達も動けなかった。もう駄目だと思った時に、辺境伯と騎士団が駆け付けてくれた。
「もう本当に格好よくって! 私その時、こんなふうに誰かを守れるようになりたいって思ったの!」
キラキラと若葉色の瞳を輝かせながら語るロロナは、本当に眩しかった。心から彼女の夢を応援したいと思わせる。
きっとその眼差しは、まだ届かぬ頂きを見据えているのだろう。
自信家で、楽観的で、人の話を聞かない。
けれどそれだけではないから、彼女はこんなにも魅力的なのだ。
「ロロナさんのおかげで、すぐに魔道具作りをはじめられそうです。本当にありがとうございます」
「お礼言いすぎ。一回で十分」
「す、すみません……」
なぜか謝ってしまった。
ロロナはフローリアを振り返り、不敵に笑う。
「でも、私もあなたを少しだけ見直したわ。上流階級出身のお嬢さんのことだから、魔獣解体も人任せかと思ってたのに、自分で手作業してるんだもの」
思わぬロロナからの認める発言。
今朝メルエから肯定をもらった時のように、胸が温かくなる。
フローリアははにかむように微笑んだ。
「う、嬉しいです」
「何がよ。気持ち悪い」
「す、すみません……」
◇ ◆ ◇
少女達のやり取りを、ゼインとコルラッドは執務そっちのけで見守っていた。
魔獣解体作業場所を遠くに見渡す、立派なニレの木。その陰からこっそり顔を出しながら、ゼインはうめくように低い声を漏らす。
あんなふうにフローリアに褒めそやされ、キラキラとした眼差しで見つめられ、ちょっとどころではなくロロナが羨ましかった。
「……今、『俺の方がうまく解体できるぞ』って考えてません、辺境伯様?」
「……お前に『辺境伯様』と呼ばれると違和感があるのだが」
まだ十五歳のロロナが操るあやふやな丁寧語を、三十歳をすぎたコルラッドが真似るのは、心底やめてほしい。
「まぁ、なかなかうまく行っているようでよかったではないですか」
従兄弟の言葉に、魔獣解体作業場所から目を離さずに頷く。
「性格に難があるとメルエから聞かされた時は、どうなることかと思ったがな……」
「申し訳ございません。うちの騎士団にフローリア様と年頃の近い女性は、彼女だけだったので」
まだ騎士見習いだというロロナだが、剣の腕だけは確かだという。
新人として紹介されたことは記憶に新しいが、まさかあそこまで個性的だったとは。
「悪い子ではなさそうですし、我々もそろそろ戻りましょうか」
「うむ……いや、だがもう少し……」
楽しそうなフローリアを見ていたい。
そんな言葉を、背後から肩を掴まれたことでゼインは飲み込むことになる。
「――もう少しでも、猶予があると?」
痺れるような殺気をほとばしらせているのが誰なのか、振り返らなくても分かる。横目で確認すると、コルラッドもダラダラと冷や汗を流していた。
ゼインを睨み据えているのは、メルエだった。
「これ以上、執務は待ってくれない」
「……はい」
「すみませんでした……」
ゼインとコルラッドは、冷え冷えとした空気を放つメルエによって執務室に連行されるのだった。