ロロナ襲来!!
魔力を引き伸ばす感覚で線を引く。
精密な作業の間、一瞬たりとも気が抜けない。
人差し指の先から、魔力を細く放出していく。
長く長く、一定の太さを意識して。
強弱をつけるところ、微細な調整が必要なところ、始点と終点を繋げるところ。
全てに細やかな気を払わねばならない。
集中が途切れると、素材に影響する。一気に引ききってしまうのがコツだった。
ゆっくりゆっくり、ここは少し早く。
詰まる部分に行き当たったら回路を横に拡張させるか、流す魔力を強めて強行に進むか――……。
魔力と精神力を消耗する、魔力回路の付与作業。
完璧な魔力操作が要求される作業に没頭していたフローリアは、接近する人の気配に気付くのが遅れた。作業場所の扉を乱暴に叩く音にも。
荒っぽく打ち鳴らす音が何度目かになったところで、しびれを切らしたように門扉が蹴破られた。
「ちょっとぉ! いくら私に敵わないからって、居留守を使うなんてどういうつもり!?」
ダァンッと破壊された扉と共に、手の中にあった針山蛇の針が粉々に砕ける。
回路の付与中に素材が砕けると、魔力を弾く性質に変わるため魔道具製作の役に立たなくなる。つまり、無駄にしてしまったということだ。
魔力操作に失敗したフローリアは、針山蛇の針だったものを呆然と見下ろした。
先日、メルエに融通してもらったものだ。
体長を覆うたくさんの針が特徴の魔獣なので、まだ在庫はあるものの、高価なことに変わりはない。ものすごい罪悪感に襲われる。
――初めての挑戦でうまくいくとは思っていなかったけれど……魔獣素材同士が反発し合って、今にも四散しそうな状態だったけれど……。
集中が途切れた原因である襲撃者は、居丈高に鼻を鳴らした。
「やっぱりいるじゃない。おおかた私と顔を合わせるのが怖かったんだろうけど、逃げたって仕方がないじゃない」
フローリアは、のろのろと顔を上げた。
先ほどから、この闖入者の発言が一つも理解できないのだが。
そこにいたのは、とびきりの美少女だった。
目が覚めるような赤い髪と、明るい若葉色の瞳。
まとっているのはメルエと同じ騎士服だ。小柄だがしなやかな体つきで、左右の腰に小振りの剣を二本差している。
まだ義妹と同じくらいの年齢に見えるが、騎士として働いているのだろうか。
回路の付与を邪魔され、言動も意味不明。けれど敵意を剥き出しにしていても微笑ましいし、若くして活躍している姿に眩しいものを感じるし、フローリアはどんな感情を抱けばいいのか分からなかった。
――というより、なぜ私に敵意を……?
言わずもがな、初対面だ。
怖いとか逃げたって仕方がないとか、一体どういうことだろうか。
「すみません、どちら様でしょうか……?」
「名前を聞くなら、まず自分から名乗るのが礼儀ってものじゃない?」
発言は正しいのだが、突然襲撃をしてその上に喧嘩腰というのは、礼儀としてどうなのだろう。
怒りより呆れが勝ってしまって、フローリアは素直に名乗っていた。
「初めまして。私は、フローリアと申します」
少女は、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「私はロロナ。ギルレイド辺境伯に仕える護衛官よ。まだ拝命されたばかりだけど、みんなには期待の新人って呼ばれているわ」
「それは、すごいですね……」
「そうよ。私って可愛いだけじゃなく才能にまで恵まれてるから。無駄に周囲の嫉妬心を煽っちゃうことだけが欠点ね」
すごい。
ずっとふんぞり返っているし、何だか清々しいほど自信に溢れている。
他人の評価を気にして生きているフローリアからすれば、いっそ羨ましいほどだった。
ところで彼女は何か用があってここに来たのだろうか。そう考えている時、ロロナはさらに堂々と胸を張った。
「辺境伯様は、私のためにこっそり花を準備してくださってるんだからね!」
……やはり、何を言っているのか分からない。
この場合フローリアに問題があるのだろうか。何か大きな齟齬を感じる。
「えぇと……花の準備、ですか?」
「あら、そんなことすら聞かされていないなんて。辺境伯様に敵わない恋をしても可哀想だから牽制にきたけど、敵にすらならないわね」
鼻で笑ったロロナが滔々と説明するところによると、花祭りには男性が女性に花を贈って愛を告げるという風習があるらしい。
この祭りで多くの男女が恋人となるのだとか。
「なるほど。つまり辺境伯はロロナさんに、愛を告げようとしているのですね」
「そう! しかも誰にも気付かれないようコソコソとね! たぶん当日に私を驚かせようって作戦でしょうから、可愛く感動してあげるつもりよ!」
「それは素敵ですね。ですが、なぜ私に……?」
「それはこっちの台詞よ! 何で、辺境伯夫人の座も間近な私が、あなたなんかの……」
ロロナは難しい顔になり、黙り込んでしまった。
分からないことだらけだ。そもそもフローリアは、辺境伯に拝謁したことなどない。
日干し用の土地を間借りするのも、コルラッドの屋敷に滞在するのも、全て彼を経由して許可を得ているのだ。
聖女で公爵令嬢だった頃ならまだしも、追放された今辺境伯と挨拶を交わすことなんてないだろう。
――辺境伯邸の敷地内にいる全員に、自慢したくてたまらないとか……?
だとしたら、やはりどこか憎めない。
明るく前向きで、どこまでも自身を誇っていて。フローリアとは正反対だ。
可憐な妖精のようだった義妹ともまた違う、目映い太陽に似た少女だった。
その時、ロロナが勢いよく顔を上げる。
「フッフッフ……読めたわ、辺境伯様の意図が!」
彼女の表情は、すっかり自信を取り戻していた。
フローリアはもはや、元気があるなぁと感心するばかりだ
「あなた見るからに上流階級出身だけど訳ありって感じだし、ズバリ何か特別な事情があってここに潜伏してるのね!」
ロロナは何も見えていないようでいて、意外にも鋭かった。
フローリアが上流階級出身ということも訳ありということも、あっという間にバレてしまうとは。
コルラッドから一般常識を十分に学んだつもりだったが、まだ足りなかったらしい。
というか、彼女に露見したということは、少しも身になっていなかったのかもしれない。
そう考えるほどに、ロロナはフローリアに興味がなさそうなのだ。だって会話が成立していない。
「この任務をやり遂げれば、それは私の功績になる! つまり平民出身の私が、名実共に辺境伯様と並び立つに相応しい人材であることが、完璧に証明されるってわけ!」
「は、はい……そうなのですね」
「というわけで、敵情視察も済んだことだし私は帰らせていただくわ!」
「はい……お構いもできませんでしたが」
高笑いをしながらロロナが去っていく。
言動も存在感も、とにかく強烈だった。まるで嵐のような慌ただしさだ。
針山蛇の針の失敗作を片付けることすら忘れ、フローリアは一人きりになっても彼女が出て行った扉をぽかんと眺めていた。上の蝶番が外れた扉が、もの悲しい音を立てている。
その扉が、再び断りもなく開いた。
「三日後からあなたの専属護衛になるから、今日は顔合わせに来ただけよ!」
それだけ言い捨てて、ロロナはまた出て行った。
勢いよく閉めた反動だろう。ギリギリのところで体裁を保っていた扉が完全に外れ、ただの木の板となり果ててしまった。
コルラッドから借りているだけの場所なのに。
フローリアはやけに風通しのよくなった作業場所で、一人疲労感から項垂れた。
……結論としては、なぜかフローリアに護衛がつくことになったらしい。本当になぜ。