花なんかなくても
数拍の静けさのあと、周囲に怒号が轟く。
それを受け、フローリアはようやく注目が集まっていることに気付いた。
そうだった。
今日は花祭りで、ここは花屋の店先で、花を買い占めた領主と花が欲しい領民達との絶対に負けられない攻防が繰り広げられている真っ最中だった。
「うぉぉおおおおっ!?」
「領主様が可愛い子に告白されてる!!」
「すげえ! 羨ましい!!」
「領主様、ぼーっとしてる場合じゃないっすよ!」
「ホラホラしっかりしてください!」
両者に確執が……と懸念していたが、どうやらそうでもないらしい。
呆然とするゼインをはやし立てる声が上がっているけれど、どれも激励の意味合いが強い気がする。
普段から接点があるのか、若者達はものすごく友好的だった。確かにそうでもなければ、領主の横暴に直接文句など言えるはずもない。
フローリアも彼らの声援に背中を押されるように、ゼインと改めて向き合った。
彼の真紅の瞳がこちらを凝視している。誤魔化そうにもばっちり聞こえていたようだ。
――それに、伝えるって決めていたんだから、誤魔化す必要がない……誤魔化したくない。
これも、祭りの熱気のせいだろうか。フローリアは破れかぶれな気持ち半分、意を決する。
「すみません、こんなかたちで。ゼインさん、あの、私……好きです。好きなんです、あなたが」
何度も言葉に詰まる、不格好な告白。
それでもぐっと口端を引き締め、顔を上げた。決意に満ちた漆黒の瞳が星のようにきらめく。
「優しいところも、頼れるところも。誇らしそうに領地を見つめる横顔も、隠した弱音も、丸ごと。ゼインさんの全てが私の救いでした。いつだってあなたがいてくれたから、私は生きようと思えた……」
辛い時はあった。苦しい時も、傷付いてもう立ち上がれないと思った時も。
けれど、ゼインがいたから。
彼の一つ一つを思い浮かべるたび、こうして向き合うたび、フローリアはいつも笑うことができた。
生きていていいと思うことができたのだ。
あふれる気持ちを抑えることができない。
フローリアは自然と笑顔になっていた。
「大好き。ゼインさんが、大好きです」
胸がいっぱいになって息をつく。
そこには、余すことなく伝えることができた満足感も混じっている。
けれどふと、思い至る。
勢いで好きだと言ったけれど、そもそも花祭りはこういう催しではない。男性が女性に花を贈って想いを伝えるというものだ。
女性側から愛の告白をするなんて、ギルレイド領の伝統を否定したことになりはしないか。
「あ……すみません。私、作法と違うことを……せっかくの花祭りが台無しに……」
フローリアは急に弱気になって謝罪をはじめる。
それを、片手を挙げてゼインが制した。
「謝らないでくれ。こうして無事に花祭りが開催できたのは、フローリア殿のおかげなのだから」
果たしてこの状態は、無事と呼べるのだろうか。
空っぽの花屋に一瞬だけ視線を送りながら、フローリアは内心で冷や汗をかく。
「い、いえ、私は何もしていません。ゼインさんは買いかぶりすぎで……」
「いいや。フローリア殿が大地を浄化したから今がある。これは、あなたが守ってくれた景色だ」
青い空に向かって伸びる櫓を、それを彩るこぼれんばかりの花籠を、ゼインは目を細めて見上げる。
誇らしげな横顔には笑みが浮かんでいて、やはりこういうところが好きだと思った。
そのまま彼の笑みがこちらに向けられ、フローリアの心臓が騒ぎ出す。
「それだけではない。騎士団に死傷者なく天地蜥蜴が討伐できたのも、昨年よりたくさんの小麦を作付けできたのも、全部フローリア殿がギルレイド領に来てくれたからこそではないか」
「そんな……」
それは、聖女時代のフローリアの魔力が少ないせいで、ギルレイド領が魔獣被害に遭うと思っていたから。贖罪の気持ちからはじめたことだ。
実際は、国宝の魔道具が故障していたせいだと、今は分かっているが……後ろめたさから逃れるための行為を手放しで褒められては、居心地が悪い。
「私にそこまでの影響力はありませんが……そう言っていただけるだけで嬉しいです。私の方こそ、ギルレイド領のみなさんに感謝していますから。優しい人達に囲まれて、本当に幸せです」
謙遜ではなく紛れもない本心だった。
周囲で成り行きを見守っていた若者達が、なぜか感動して目を潤ませている。ここまでの紆余曲折を知らないはずなのに、本当に心からなぜ。
「尊い……目映い……」
「性格まで清らか……」
「領主様いいなぁ……」
「何か羨ましすぎて涙が止まんねぇ……」
ゼインは外野を一睨みしてから、咳払いをする。
そうして改めてフローリアに視線を定め、二人の間にある距離を慎重に詰めていく。
「ギルレイド領はあなたという存在に救われた。だが、秀でた能力があるから側にいてもらいたいわけじゃない。無力だと泣いているあなたに、俺はもうとっくに救われていたのだから」
それは、いつのことだろう。
フローリアはほとんど常に自分の無力さを嘆いているけれど、彼の言葉の重みに長い年月を感じた。
脳裏に、八年前の過酷な戦場がよぎる。
けれどそれも一瞬のこと。フローリアの思考は、目の前で跪くゼインに奪われた。
請うように見上げる真紅の眼差し。
熱を湛えた真っ直ぐな瞳、どこか必死さのにじむ表情に、心の全てを埋め尽くされていく。
「愛している、フローリア殿。俺の愛はずっとあなただけのものだ。生涯の全てを、このギルレイド領と――あなたに捧げたい」
「……っ」
フローリアは夢のような気分で、言葉を返すことができなかった。
頬が熱くて頭がふわふわしている。何とか頷くだけで精一杯だった。
ゼインが、堪えきれないように破顔する。
途端、フローリアはおそらく、先ほどとは比べものにならない爆発的な騒がしさに包まれた。
推測のかたちになってしまうのは、勢いよく立ち上がったゼインに抱き締められているためだ。ぎゅうっと力が込められているから何も聞こえない。
かろうじて無事な視界で周囲を覗き見る。
若者達は笑顔で、誰もが我がことのように喜んでいる。だからきっと、この祝福を受けゼインも笑っているはずだ。
嘘みたいで、未だに実感が湧かない。
大衆の前だから気を遣ったのだと言われた方が、まだ信じられる。
フローリアが瞬きすら忘れていたから、乾いた瞳から涙が一粒転がり落ちる。
涙はあっという間にゼインの胸元に吸い込まれてしまい、それだけ距離が近いのだと実感して、またドキドキしてきた。
それでいて温もりが心地よく、力強い腕から離れたくないと思ってしまう。重症だ。
酸欠で頭が回っていない可能性をどこか冷静な部分で考えていると、ゼインの喜色に満ちた声が降ってきた。
「あなたに想いを伝えるには全く足りていないが……ここにある花を受け取ってくれないか」
フローリアはその一言で夢心地から覚め――急速に青ざめた。
荷馬車の花は、全てフローリアのため。まさか、この暴動寸前の騒ぎの原因が自分とは。
腕の中でもがき、何とか体を離す。
甘い気分に浸るのは後回しだ。
「――ゼインさん、花をみなさんに配りましょう」
フローリアの深刻な表情を、ゼインは不可解げに見下ろした。
「なぜだ?」
「このままゼインさんが花を独り占めしては、花祭りが成立しないからです」
「しかし、これはフローリア殿のために……」
「私一人にはもったいない量です。みなさんに幸せをお裾分けするつもりで、お願いできませんか?」
購入したのはゼインなので無理強いはできない。それでも懇願の眼差しで見つめれば、彼はわりと早めに屈した。
早速、周囲に集まっていた若者達に一列になってもらい、花を配りはじめる。
その際フローリアは、謝罪の言葉を添えていく。
自分も素敵な恋をするのだと嬉しそうに駆け出していく者の中には、見覚えのある顔もあった。以前街で乱闘騒ぎがあった際に、フローリアが介抱した若者達だ。
面白がって乱闘に飛び込んでいた彼らが、意中の相手に想いを伝えに行くのか。
フローリアは微笑ましい気持ちで花を渡した。
「頑張ってくださいね」
「あの、俺……いや、俺達は……」
彼らは揃って顔を赤くしていたが、フローリアの背後で睨みをきかせるゼインの威圧に耐えきれず、無念の敗走となった。
花は飛ぶようになくなっていき、荷馬車には小さな花束を一つ残すのみとなった。
ノースポールという、可憐な白い花。
それをゼインが手に取り、改めてフローリアに贈ろうとした時――一人の青年が駆け付けた。
いかにも人の好さそうな青年は、花が配られていると聞きつけてやって来たらしい。
二年付き合った恋人に花祭りで求婚する予定だったのだが、今年に限って花束が手に入らなくて街中を駆けずり回っていたという。
「いっそ飾り付けの花を拝借しようとも思ったんですけど、どこの家もこの日のために育てたものだし……もうこれは、彼女と縁がないってことで諦めた方がいいんですかね……」
フローリアは、ゼインに非難の視線を送った。
自身の行いの弊害を目の当たりにして、さすがに彼もばつが悪そうだ。
フローリアは最後の花束を、今にも泣き出しそうな青年に差し出した。
「どうぞ。あなたに幸せがありますように」
「しかし、それは……」
戸惑いの声を上げたのは青年ではなく、背後に立つゼインだ。
彼は花束とフローリアの間で、オロオロと視線を彷徨わせている。
「全部配っては、フローリア殿に捧げる分が……」
「私は花がなくてもいいんです。ゼインさんが隣にいてくれるなら、それで十分ですから」
花束を受け取った青年が、礼を告げて走り出す。
笑顔で見送るフローリアは、ゼインがうずくまって悶えていることに気付かなかった。
次で完結です!
明日投稿する予定ですので、よろしくお願いします!




