それぞれの処遇
フローリアの言葉に、シェルリヒトもまたホッとしたようだった。
「本当に、頼ってくれてよかった。僕もつい必死になって、君を思い止まらせる方法を求め、建国史について調べたりもしたんだよ」
「建国史……」
建国当時については誇張された言い伝えが多く、詳細は史実に語られていない。
忠実なる臣下と伝わるスレイン公爵家が、悪事に手を染めていたことが知られていないように。
「君が、あんまりにも良心の呵責を感じているようだったからね」
「やはり、スレイン公爵家の裏切りは……」
「いや。むしろ両者の関係は、そう悪いものではなかったようだよ」
シェルリヒトは驚くべき事実を口にした。
初代国祖と初代スレイン公爵の妻は、血を分けた兄妹だったという。
「公爵が忠誠心の厚い臣下だからこそ、大切な妹を任せることができたのだろうね。僕は、スレイン公爵家を優遇するような魔術回路を刻んだのは、むしろ初代国王ではないかと考えている」
降嫁しても家族だと、真心を示した。
それが、長い歴史を経る内に歪んでしまったのだとしたら、とても悲しいことだけれど。
「僕も友人として、誠意を示したいと思ったんだ。父にも話を通して、フローリア嬢の処遇については既に合意を得ているよ」
「ですが……本当によろしいのでしょうか? 殿下のお立場が悪くなるようなことがあっては……」
「問題ないよ。これでも一応王太子だから」
シェルリヒトはすごい。
一切曇りのない笑顔を向けられ、フローリアは友人がいてくれる心強さを改めて実感する。
彼には、一生をかけても返しきれないほどの恩ができてしまった。期待されている通り、今後は役に立っていきたい。
フローリアの胸が感謝でいっぱいになっている間に、ゼインとシェルリヒトが軽口を叩き合う。
「事前に了承を得ていたあたり、フローリア殿が拒絶しようと囲い込む気満々ではないか」
「優秀な人材は得難いものだよ。絶対に自分を裏切らないとなれば、さらにね」
「お前という奴は……」
「仕方ないだろう、減刑を望むなら相応の価値を示す必要があった。ただ権限を押し通せば、僕に婚約者がいないこともあって、いらぬ誤解を招く。それは君にも都合が悪いだろう?」
旧友を打ち負かしたシェルリヒトのとびきりの笑顔が、フローリアの方を向いた。
「ということで早速、魔道具師殿に相談があるんだ。実は、ヴィユセ嬢の扱いに困っていてね」
「!」
義妹の名にフローリアの頬が強ばる。
ヴィユセは今、どうしているだろう。
何も知らなかったと泣きじゃくる、彼女の顔が思い浮かんだ。
これ以上をシェルリヒトに望むのは、むしがよすぎると分かっている。一人だけ罪から逃れようとしているくせに、今さら義姉ぶろうなんて。
それなのに口を開けば罪の減免を願い出てしまいそうで、フローリアは強く唇を噛んだ。
「……心配せずとも、悪いようにはしないよ」
体の震えを必死に押し隠していると、シェルリヒトが静かに告げた。
フローリアは目を見開く。
「彼女には、今後も聖女として役目を果たしてもらうことになるだろう。ラティシオとの婚約を正式に発表したばかりだし、罪に問おうにも外聞が悪い」
現時点で、ヴィユセ以上に魔力のある聖属性は見つかっていない。当代最強の聖女として王家に仕え続けることが、彼女の償いになるという。
「ヴィユセは……助かるのですね……」
安堵のあまり力が抜ける。フローリアの頬を、枯れたはずの涙が一粒転がり落ちた。
また甲斐甲斐しく頬を拭うゼインを半眼になって眺めながら、シェルリヒトは肩をすくめる。
「ラティシオが婚約破棄をしたがっても、当分は無理だろうね。魅了で操られていたとはいえフローリア嬢を傷付けたのだから、同情はしないが」
「あ……魅了? もしかして、ヴィユセの扱いに困っているというのは、魅了に関してですか?」
「あー、憐れなほどどうでもいい存在と成り果てているね、我が弟。自業自得だけど」
フローリアはようやく気付いた。
ヴィユセは、洗脳のような力を無意識に使っているのだ。本人にその気がなかったとしても、周囲を魅了して簡単に脱出できてしまう。
「今は、一人の使用人としか接触ができないようにしてあるよ。その使用人には例の魔道具を持たせている。勝手にすまないね」
「いいえ、お役に立っているなら何よりです」
例の魔道具、というのは魔力を溜め込む性質をもつ、青いチーフの魔道具のことだろう。
そしてそれが、魔道具師への相談に繋がるのだ。
フローリアは思考を巡らせる。
魅了への対策として、魔力を溜め込む魔道具を改良するという方法もあるけれど、まず試してみるべきことがあった。
「あの、例の魔道具をヴィユセに持たせてみるのはどうでしょう? 彼女自身が所持することで、周囲に影響を与えなくなるのかもしれません」
魔道具の性能を考えれば、なにも周囲にいる者達が身につける必要はない。本人に持たせてしまえばいいのだ。
「なるほど。逆転の発想だね」
「指向性があれば潜在魔力にも効果を発揮するという点は、確かに実証済みだ」
「やはりフローリア嬢は頼りになるね。これからも、末永くよろしく頼むよ」
「おい、誤解を招く言い方はやめろ」
ゼインも交えて軽口を叩き、ここまでは和やかな雰囲気だった。
シェルリヒトが、不意に表情を消し去るまでは。
フローリアは直感的に理解した。
ここから、厳しい話になる。
「スレイン公爵家についてだけれど……取り潰しとなることが決定したよ。そして事件に直接関係のない親族は、爵位を没収した上で、十年間の労役刑が課せられる」
「……はい」
「君のお父上の罪は、なかったことにはできない。並びに、お義母上も」
彼は慎重に言葉を選んでいるようだった。
それでも、察するものはある。
「……義母は、知っていたということですね」
フローリアは、噛み締めるように呟いた。
グローグと同罪。つまり少なくとも、ユルゲン帝国との繋がりを把握していたということだ。
「とはいえ、まだ罪状を洗いざらい話していないし、重大なことを秘匿している可能性もある。今のところは貴人用の牢に収監されているよ」
今のところ。
いずれは……ということだろう。
それでも、猶予期間はある。それ自体がシェルリヒトの温情だった。
フローリアはしばらく瞑目し、様々な感情に折り合いをつける。
ずっと、家族という輪の中に入りたかった。彼らに認めてもらいたくて努力をした日々が、確かにあったのだ。
このような結末を迎えることになるなんて思っていなかったけれど、それこそ全て自業自得。それはフローリアにとっても。
もう、元には戻らない。
「即刻処刑でもおかしくないところ……殿下の寛大さに感謝いたします」
「今は難しいけれど、いずれ接見の時間をもてるよう、取り計らうつもりだ」
「恐れ入ります」
ツンと鼻が痛み視界がぼやける。
けれど涙は流さずに、フローリアはゆっくりと頭を下げた。
乾いた音を立て、黒髪が肩をすべり落ちる。
鼻はしばらく痛むままだった。
◇ ◆ ◇
結局、王都に滞在している間に、幽閉されているという父と義母に会う機会はなかった。
けれど、あくまで魔道具師としてだが、ヴィユセと面会することはできた。
フローリアの予想通り、魔力を溜め込む魔道具は無事に機能した。これがあれば魅了の力が解放されることはないだろう。
魔道具は、ヴィユセの潜在魔力を無効化するものだと説明してある。魔力を溜め込む性質についてはあまり広めない方がいいだろうという、シェルリヒトの配慮だ。
ヴィユセは、今後常に魔道具を持ち歩くことを承諾した。
しばらくは観察期間が設けられるけれど、問題がなければ、ヴィユセはまた聖女として役目を果たしていくという。
『父様と母様のことは、心配しないで』
『姉様が修理した魔道具で、辺境の地まで届くよう、一生懸命祈るから』
そう言って彼女は笑っていた。
たくさんの辛い現実を、泣きながらでも受け入れたからだろうか。
いつの間にか、彼女は少し逞しくなったようだ。
……そうしてフローリアは、謁見を終えたゼインに合わせて帰路につくこととなった。
帰るのだ。
あの灰白色の大地へと。




