大規模討伐
浄化の魔道具と、魔力を可視化する魔道具。
両方を装備したフローリアは、まずは全員に施した浄化をかけ直した。
そうして、天地蜥蜴の魔核の位置を探りはじめる。黄金鹿の角を使った靴に、そっと魔力を流す。
大きすぎて全てを確認するのに骨が折れそうだ。ただ、全体を覆う茶色の魔力は視える。おそらく天地蜥蜴は地の属性なのだろう。
――地の属性なら、風や炎の属性での攻撃は、あまり意味がない……。
青毛豹や岩石山羊のように全属性とまではいかずとも、そもそも魔獣というのは魔力に耐性のあるものが多いのだ。
そのため騎士達の戦い方も武器を重視したものになるのだが、この天地蜥蜴も例に漏れず、風と炎に耐性があるらしい。
そのことを伝えると、ゼインが頷いた。
「了解した。魔法剣士には、風と炎を使わせないようにする」
「魔法剣士がいるのですか?」
魔法剣士とは、魔術をまとわせた剣で戦う者達を指す言葉。魔術にも剣士にも適正がある者は少ないので、とても希少だと聞く。
この場にいる騎士達の中にいるのだろうかと首を傾げるフローリアに、彼はやや意外そうに答えた。
「ここにも何人かいるが、メルエとロロナも魔法剣士だ。そういえば、戦っているところを見たことがなかったか」
あまりによく知る名前を挙げられ、フローリアは絶句した。
ドラゴン討伐の囮役や、諍いの仲裁をする場面などは見たことがあったけれど、それすら実力の片鱗でしかなかったとは。
――むしろ、魔法剣士を差し置いてドラゴンにとどめを刺したゼインさんって……。
一番恐ろしい事実に気付きそうになって、フローリアは雑念を追い払うように首を振った。
再び、天地蜥蜴に集中する。
立ち込める茶色のモヤは濃密で、魔力がかなり強いと確認できる。地の属性は防御にも強い。概ねコルラッドやメルエ達の見解通りだ。
魔力耐性もあるし、物理攻撃も届きづらい。
一撃で仕留めることのできない巨体といい、本当に厄介な魔獣だった。
――だからこそ、私が早く魔核を見つけて……。
その時フローリアは、ふと気付いた。
魔力が意思を持つかのように蠢いている。
これは、ヴィユセの魔力を観察している時にもよく見かけた光景だった。何らかの作用をもたらす際の、魔力の動き。
天地蜥蜴の大きく平たい口、その中央に向かって魔力が集まっている。
ぞくり。
背中を悪寒が駆け上がる。
ひどく嫌な予感がした。
「……退避」
「フローリア殿?」
「退避してください! 一刻も早く!」
フローリアは、鬼気迫る形相でゼインに詰め寄った。彼は説明などなくとも緊急性を汲み取って、一拍後には号令をかける。
「――総員、退避! でき得る限りこの場から遠くへ離れるんだ!」
統率のとれた騎士達は即座に動いた。
全員が散り散りになって、全力で駆け出す。手にしていた剣以外は何も持たず、石盾も予備の武器も置き去りに。
そして、その判断は正しかった。
天地蜥蜴の口許に凝縮された魔力が、勢いよく吐き出される。狙いは過たず、最前線の簡易本陣。
ドゴォォォンッ
稲光のような一瞬の閃光のあと、鼓膜を震わす轟音と共に、目の前の地面が抉れた。
石盾も鋼鉄製の武器も、跡形もない。
全員無事だったが、もしも逃げていなければ部隊が丸ごと壊滅するところだった。
「嘘でしょ……やば……」
「この上、魔力で攻撃してくる種類とは……ほとんど砲撃に等しいですよ……」
「問題は、それだけじゃない。見て」
ロロナやコルラッドの呆然とした呟きに、厳しい声を返したのはメルエだった。
彼女の視線の先には、今はくぼ地となってしまった簡易本陣跡。
その地面が……やけに黒い。
日が沈みかけているからではない。まして、焼け焦げているわけでも。
「あ……」
フローリアは、震える手で悲鳴を呑み込んだ。
瘴気だ。
灰白色の土が、汚染されて黒ずんでいる。しかもそれは、少しずつ周囲に広がっていた。
「攻撃を受けても受けなくても大打撃というわけですか……絶望的ですね」
コルラッドが皮肉げに笑った。
すぐに大地の汚染を止めなければ。
浄化の魔道具を握って飛び出そうとするフローリアを、ゼインが引き留める。
「フローリア殿、今は危ない。天地蜥蜴を討伐するのが先だ」
「ですが、こんな攻撃を何度も受けていたら、ギルレイド領は……」
「これ以上一発も打たせなければ問題ない」
焦るフローリアの肩を、彼は優しく宥める。
絶望的な状況には似つかわしくない、優しく温かな手。向けられた笑みで、そこに日常があるかのように錯覚する。
だがそれは、ひとたび騎士達へ向くと――獰猛な狼の笑みに変わった。
「――短期決戦だ。総員、死ぬ気でついてこい」
傲慢なまでの命令に、全員の気持ちが引っ張られるのが分かった。
この人に従いたい、命じられるままに動きたいという、抗いがたい吸引力。
折れかけていた騎士達の気持ちが、持ち直していく。フローリアもまた、震えを抑えるよう黒杖を強く握り締める。
湧き立つ騎士達から離れ、メルエがやって来た。
「フローリア。もう一度、魔核を探してみて」
「分かりました。やってみます」
そうだ。まずは一つずつ、目の前の問題から。
落ち着きを取り戻すために深く息を吸い込み、フローリアは再度魔核の位置を探りはじめる。
今度は、黄金鹿の角を使った魔道具に、魔力をどんどん注ぎ込んでいった。
こうすることでさらに精度が上がることは、ゼインが失踪した時に実証済みだ。
出し惜しみはしない。フローリアの全力で魔力を注ぎ続けると――やがて吸収が止まった。あの時と同じ飽和状態だ。
ゆっくりと目を開ける。
平衡感覚を失いよろけそうになったけれど、天地蜥蜴をしっかりと見据えた。
「……視えた」
平たい顔にある、離れた目。
そのちょうど真ん中、人間でいう鼻の付け根辺りに、魔力が濃く集まっているのが分かる。
それは、周囲に色濃く漂う茶色の魔力ではなく、くっきりと鮮明な漆黒。
「目と目の間です! 中心に、魔核があります!」
フローリアの叫びを受け、騎士達はそれぞれに走り出した。
天地蜥蜴を足元で牽制する者、魔獣から距離をとる者。フローリアを戦地から遠ざける役割はコルラッドが担った。
練度が高いからか、彼らの連携は完璧だった。
作戦会議をする暇などなかったはずなのに、まるで綿密な計画を立てたかのよう。
「フローリア様、浄化の光は目立ちます。地面の浄化は後回しに、最低限の補助だけお願いします」
「はい、分かりました」
騎士が組んだ腕を踏み台代わりに、ロロナが空中へ躍り出る。
かなりの跳躍だったけれど、まだ魔核に届くには足りない。それでもくるりと体勢を変え、天地蜥蜴の頬を斬りつける。
フローリアには、彼女の両手剣がまとう碧色の魔力が視えていた。水の魔力だ。
浅くではあったものの、傷を負わされた天地蜥蜴も黙っていない。
縄のように細長い舌が口から飛び出し、ロロナを巻き取ろうとする。
それを阻んだのは、水の魔力をまとう長槍を投げ放ったメルエだ。彼女は槍も使いこなすらしい。
フローリアは魔獣の切り傷、舌に触れたロロナの浄化を立て続けに行った。
先ほど魔力を多く使いすぎたせいで、またも目眩に襲われる。
すかさず支えてくれたコルラッドに礼を言い、再び戦局を見守る。
死ぬ気でついてこいというゼインの言葉は騎士達に向けられたものだけれど、一人だけ休んでいるわけにはいかない。
天地蜥蜴は、うるさい蝿でも追い払うかのように前脚を振り上げた。
騎士達はギリギリで回避し全員無事だ。
けれど、決定打に欠ける。このまま膠着状態が続けば討伐が長引く。
そうなれば、先ほどの攻撃がまた放たれる。
――全員が、懸命に挑んでいるのに……。
こういう時、戦う術を持たないフローリアは無力だ。ただ補助の魔術を放つことしかできない。
歯痒い気持ちでコルラッドを振り返る。
「コルラッドさん、せめて……」
「自分なんかに戦力を割くのは勿体ないから討伐に参加してほしいとか言い出さないでくださいね」
まさに図星だったので、フローリアは言い淀む。
「あなたは十分に力を尽くしている。フローリア様がいるから、魔獣の爪が掠ってもすぐに回復する。だから恐れず立ち向かっていけるんです」
「ですが……」
「それに、お忘れじゃありませんか? 先天的に潜在魔力を身体強化に注ぎ込んでいるという理由で魔術を使いこなせない、うちの特大の戦力を」
「……え……」
一瞬、何を言われたのか本気で理解できない。
それは普通に考えてあり得ない……と頭をもたげた疑念は一瞬で消え去る。
そもそも聖属性の魔力だって、潜在魔力に近いという不可思議なものだった。おかしな性質を持つ魔力というのは実際にある。
潜在魔力が先天的に身体強化に回ってしまうというのも、おそらく特異な例だ。
魔術を使いこなせないのに、魔法剣士を上回る恐ろしい戦力。フローリアにもすぐに思い当たった。
確かにいくら強くても、ドラゴンを一刀両断などあり得ないことだった。
騎士達は未だに奮闘している。
鋭い攻撃を放つ魔法剣士のメルエやロロナですら、彼のための時間稼ぎにすぎないというのか。
だとしたら、本当に素晴らしい連携だった。
フローリアには、そこに彼らの信頼が見えるような気がした。
持ち堪えれば何とかしてくれる。必ず成し遂げてくれる――ゼイン・フランツ・ギルレイドならば。
ほとんど夜のような暗さの中、銀色の光が闇を切り裂いた。
見上げるほどの高さから振り下ろされる白刃。フローリアは一瞬、流星かと思った。
闇の化身のごとき巨大な魔獣の、目と目の間。
黒光りしている表皮には弾力がある。通常の武器ならば弾き返されるだけ。
けれどゼインが放った渾身の剣は――天地蜥蜴に吸い込まれるように突き立った。




