急ぎギルレイド領へ
コルラッドやメルエの説明の通りなら、まだ大型魔獣とぶつかっていないはず。
定石通りに防御に徹し、その間に王都へ早馬を走らせた。そう、信じたい。
領地への移動は、馬を乗り継いでの過酷な行軍となった。馬車でのんびり進んでいる暇はない。
魔獣の習性は解明されていないことが多く、万が一が起こった場合、戦局はあっという間にひっくり返ってしまうこともあり得る。
馬を休めて昼食をとっている間も、フローリアはじりじりとした気持ちでいた。
乗馬の心得はあるものの、ゼイン達のように早く馬を駆けさせることはできない。フローリアはメルエに同乗させてもらっていた。
単独で騎乗して足を引っ張るよりずっといいが、彼らだけならもっと早いことも理解している。
――私がいなければ、もっと早く領地に到着できていたのに……。
フローリアと同じように感じているはずなのに、ゼイン達は疎ましさなど微塵も顔に出さない。
それどころか、流し込むようにスープを飲んでも休憩時間が短くなることはないし、体調を気にかけてくれさえする。
それが心苦しく、不甲斐ない。
「あなたはそうやって、すぐうじうじと……よく悩みが尽きませんね」
せめてできることをしようと、急いで食器を片付けるフローリアにそう言ったのは、コルラッドだ。
またいつものように考えが透けていたのだろうか。フローリアは消え入りそうな声で謝罪する。
「す、すみません……」
「頑張ろうとする心映えは素晴らしいですがね。毎度すぐに挫折をするから、次の新たな目標を立てているだけとも言えますよ。『力になりたい』とか『向き合いたい』とか『逃げたくない』とか『目を逸らしたくない』とか」
「た、確かに……」
「あなたの決意とやら、脆弱すぎません?」
「本当に申し訳ございません……」
いちいち的を射ているのは確かなのだが、なぜ心の中でこっそり立てていた目標の内容まで見破られているのだろうか。怖い。
「やめろ、コルラッド。長年調べていた件の真相が明らかになったのも、フローリア殿が頑張ってくれたおかげなのだぞ」
ますます小さく縮こまるフローリアの隣で、ゼインがコルラッドをいさめる。
「謝ることはない。フローリア殿はとてもよくやってくれている。逃げ出すことだってできるのに、怖くても、挫折しても、こうして立ち向かうことができるではないか」
彼から褒めてもらえることは嬉しいが、隣で苦々しい表情をしているコルラッドが視界に入るから、素直に喜びづらい。
「……ゼインさんは、逆に甘すぎませんか?」
一部始終を見ていたメルエが、フローリアの呟きに頷いた。
「すごい。見事な、飴と鞭」
「あまりに的確に表現されると、それはそれで微妙な気持ちになりますけどね……」
居たたまれない。こんな危急時なのにひたすら居たたまれない。
――でも、おかげで少し落ち着いたような……。
もしかしたら、彼らなりの励ましだったのかもしれない。と、思いたいものだ。
ゼインは立ち上がると、フローリアの手からさり気なく食器を取り上げた。
「これは、俺達が洗ってくる。馬の様子を見てくるから、ついでだ」
そう言い置くと彼は、文句を垂れ流すコルラッドを引き連れて川の方へ向かった。食器洗いなど辺境伯の仕事ではないのに。
――きっと、それだけ焦っているのね……。
ゼインも態度に出さないだけで、本心では急ぎたいところなのだろう。
当然だ。ギルレイド領が……愛している人が、窮地かもしれないのだから。
フローリアの頭に、ロロナの顔が浮かんだ。
彼女は騎士だから、最前線に出ることもある。膠着状態が続いていることを願うばかりだった。
「……フローリアのためなら、何でもしそう」
男性陣の姿が完全に見えなくなると、食後の水分補給をしていたメルエがポツリと呟く。
ゼインのことを言っているのだろうと分かって、フローリアは苦笑した。
「あれは、ロロナさんのためですよ」
「? 何で急に、ロロナ?」
「花祭りでロロナさんに贈るための花を、準備していると聞きました」
ブーッ
メルエが無表情のまま、噴いた。
前置きや予備動作が一切なかったため、フローリアはただただ驚いてしまった。
「メ、メルエさん……!?」
彼女がむせて咳き込んだことでようやく硬直が解け、慌てて手巾を差し出す。
「大丈夫ですか? 急にどうして――……」
「それ、ロロナからの情報?」
袖で乱暴に口許を拭うと、彼女はフローリアの言葉を遮ってまで性急に問いかける。
「えっと……」
「フローリア」
「は、はい。ロロナさんが、とても幸せそうに話しておりました」
やたらと鬼気迫る表情で促され、迅速に頷く。
何か怒らせてしまったのかとオロオロしていたフローリアだったが、次にメルエは疲れたように肩を落とし、ため息をついた。
「なるほど……道理で伝わらない……」
「メルエさん、どうかされましたか?」
彼女がぞんざいにしか拭かなかったので、フローリアは遠慮がちに手を伸ばし、口許を手巾で拭う。
その間、メルエはじっとこちらを見つめていた。あまりに熱心で戸惑うほど。
首を傾げると、彼女はようやく口を開いた。
「それ、ゼイン様に直接、確かめたことはある?」
フローリアの体がギクリと強ばった。
確かめたことはない。
なぜかといえば、彼の口から『ロロナが好きだ』と聞くのが怖かったから。
「――フローリアが、すぐに人の顔色を窺うのは、昔からの癖なの?」
口を噤んでいたら、手痛い追撃を受ける。
黙ってやり過ごそうとしたって、メルエは逃がしてくれない。
「ロロナがゼイン様を好きなら、仕方ない? ゼイン様がロロナを好きなら、諦められる? そうしてずっと遠慮したまま、苦しむの?」
「そ、れは……」
「気持ちは、自分だけのもの。フローリアはもう少し、自分のために意志を押し通したっていい」
メルエの言葉は優しいものだったけれど、とても重々しく響いた。
その後、男性陣が馬を連れて戻ってきたため、フローリア達は慌ただしく出発した。だんだんギルレイド領の領都が近付いてくる。
騎乗中は口を開く余裕がないため、思考が捗る。
フローリアは、メルエに突き付けられた言葉の意味を、ずっと考えていた。
思えば今まで、全部人のためだったように思う。
けれど、それ自体はひどく自分本位な感情から来た行動だった。
いつだって、必要とされたいという願望が根底にあった。誰かの役に立ちたい。家族の輪に入りたい。愛されたい。……誰よりそう願ってきたから。
役に立って認めてもらうという浅ましい欲望が、確かにあった。結局はただの独りよがり。
それなら、人のためではなく自分のためだと、この際認めてしまおう。
フローリアは、自分のために力を尽くすのだと。
そう自覚した上で成し遂げたことが、結果的に誰かのためになるのなら、初めて自分で自分を認められる気がする。
――この戦いが終わったら……。
勇気を出して訊けるだろうか。
そして、言えるだろうか。
ゼインを愛していると。
領都に入ってもひたすら馬を疾駆させ続け、まだ日暮れには早い頃。ようやく魔獣の森に接近しつつあることが分かった。
小型の魔獣が、多数襲いかかってくるようになったからだ。
「前線はおそらく、魔獣の森に最も近い住居を守るようにして築かれているでしょう。そこにいる騎士の誰かが浄化の魔道具を持っているはずなので、浄化はフローリア様にお任せしますよ」
フローリアは馬上で、必死に頷いた。
口を開く余裕がないというか、開いた途端に舌を噛みそうというか。
コルラッドから作戦の指示を受けている間も、先頭を行くゼインが次々に魔獣をなぎ倒していく。
空から襲いかかる月光蝶や羊角虫の群れを一閃し、大剣で黃血熊を一突き。
十八本の脚で地面を這う鋼条蜘蛛が頑丈な糸を吐き出すけれど、それすら見事に一刀両断。そのまま鋼条蜘蛛へ、剣を叩き落とすように斬りつける。
その度、フローリアはすかさず浄化の魔術を放っていた。念のためゼイン達の全身にも。魔道具がないため威力は弱いが、ないよりはましだろう。
ゼインが馬上で器用に振り返った。
「やはり聖女殿がいると、非常に戦いやすいな」
珍しく不敵な笑みを向けられ、フローリアはたじろいだ。軽口だと分かっていながら、全然うまく受け流せない。
――か、格好いい……!
非常時だというのに、魔獣をどんどん屠っていくゼインの強さに、ときめきが止まらない。
領民を守る勇ましい姿は、群れを率いる銀色の狼さながら。
八年前の戦争での活躍から『辺境の孤狼』とまで称されていたというが、この奮迅ぶりを見ていれば当然のように感じる。
大切なものを守るために大剣を振るうゼインは、誰よりも気高く雄々しかった。
「しかし、これだけたくさん小型魔獣が出るということは、相当な大物が現れたのでしょうね」
意味ありげなコルラッドの視線の先を追い、フローリアは慌てて気を引き締めた。
前方からさらに六体の魔獣が、一気に押し寄せてくるのが見える。
フローリアは全員に、癒やしの魔術を重ねがけした。微弱な魔力でも疲労回復くらいの効果はある。
「勇敢なる騎士のみなさまに、確実なる勝利を」
無意識にこぼれた言葉は、八年前の戦争で頻繁に使っていたもの。
ギルレイド領を守る騎士達はそれぞれ奮い立ち、勇ましくも獰猛な声を上げた。




