禁忌の代償
グローグは、しばらく怒りを露わにすると……気が抜けたように肩を落とした。
「私は憎まれているのだな……フローリア。私が、お前を聖女の地位から追いやったために」
「え……?」
「だからことさら私の罪を強調したがるのだろう。気持ちは分かるさ。私とて、お前を追放などしたくなかった」
彼が何を言っているのか分からない。
家に居場所がなくて辛かったのは事実だが、フローリアの糾弾はスレイン公爵家内で収まる規模の話ではない。
なぜ混同して考えるのか、何を履き違えているのか、頭の中にたくさんの疑問がよぎる。あるいは、意図的にそう仕向けているのか。
「だが、我が家は代々聖女を輩出してきた家系だ。より強い聖属性の魔力を持つ血を、次の世代に残すという義務がある」
だんだん興が乗ってきたのか、グローグの口調に熱が籠もりだす。
対照的に、フローリアの心は冷えていく一方だ。愁嘆場を演じる父が滑稽に映る。
「分かってくれ、フローリア。建国当時から国を支える偉大な一柱で在り続けるためには、冷酷な判断をしなければならない時もある。それは、我ら一族が代々背負ってきた業でもあるのだ」
「……業?」
もしかしたらこの演技は、体裁を守る側面が強いのかもしれない。ここには王太子もいるから、都合の悪い話はしたくないと。
だが、それだけは聞き捨てならなかった。
今まさに苦しんでいる人がいるのに、改善すべきを怠っておきながら。
まるで自分も、この在り方に苦しめられてきたのだと言わんばかりに。
初めて、自分の家族に虫唾が走った。
「軽々しく、何が業ですか。ただご自分の既得権益を守りたかっただけでしょう? 被害者面しないでください」
淡々と言い返すと、グローグが見る間に気色ばんでいく。
「何を言うか! こちらの内情など知りもしないで偉そうに……!」
胸を失望が満たしていく。
フローリアは一体、彼らに何を期待していたのだろう。なぜ必死になってすがっていたのだろう。
自分を守るためなら心ないことも平然と行える人達に、何を。
強い衝動が湧き起こっているのに、なぜか心は水を打ったように静かだ。
フローリアは、ゆっくりと微笑んだ。
この場にそぐわない、あまりにも鮮やかな笑み。
誰かが息を呑む音がした。
「私は、内情を理解した上で発言しているつもりです。――あなたこそ、この国宝の魔道具がどのようなものか、既に知っていたはずでは?」
フローリアの問いに、グローグの顔色が目に見えて変わった。
気付いていないと高を括っていたのだろう。
チラリと部屋の隅に視線を送る。
ユルゲン帝国の者達は、口論の矛先が向かないよう、小さくなって存在感を殺していた。全員が、グローグの顔色を窺っているようだった。
あれほど従順な者達に回路を修繕させておきながら、知らなかったとは言わせない。
フローリアは、テーブル上に置かれた魔道具の方へ、すいと近付いた。
「言ってみればこの魔道具こそが、スレイン公爵家の業とやらを体現しているのかもしれませんね。忌まわしい罪を」
「――やめろ、フローリア。黙れ」
「いいえ。王太子殿下にも、ぜひ知っていただかなくては。国宝の魔道具に刻まれた歪みを」
フローリアは、新しい技術をかたちにしようと模索していた。
防犯のために、購入者とその本人が承認した者以外、使用できない機構を。だから分かるというのも皮肉なことだった。
新しい技術でも何でもなかった。そして、これほどおぞましいことに利用されていた。
「許されるはずがありませんよね。――国宝である魔術回路に、スレイン家の者しか魔力を流せないような回路を組み込むなど」
フローリアは、あくまで朗らかな笑みのまま言いきった。
グローグはもはや顔面蒼白だ。
静観する者達も、それぞれの反応を見せていた。
絶句する者、表情を険しくする者、僅かに目を細める者。
言葉を理解している者の中で、ほとんど表情を変えていないのは少年だけだった。
魔術師リノハから話を聞いた晩、フローリアなりによく考えたのだ。
聖属性が潜在魔力に近いものなら、なぜ国宝の魔道具はスレイン公爵家の人間にしか扱えないのか。なぜ、他の聖属性魔力持ちでは駄目なのか。
魔道具に精通しているからこそ、不自然だと気付いていた。
それは、スレイン公爵家が、意図的に魔術回路を歪めているからではないか――と。
何が建国当時から国を支える、だ。
ずっと国を裏切り続けておきながら。聖女を輩出することで、権力を盤石のものとしておきながら。
「ところで、私はギルレイド領で研鑽を積み、魔道具師としてそれなりの技術を身に着けました」
この強い衝動の名が分かった。
これは、怒りだ。
どうしようもないほどの怒り。
「分かりますか? この芸術的な美しさを誇る魔術回路の書き換えも、今の私なら可能なんです」
焦りを煽るように、グローグを流し見る。
「誰でも魔力が籠められるようになれば、『建国当時から国を支える偉大な一柱』とやらの役割を、これで終えることができますね」
「な、何を……やめろ……やめなさい……スレイン公爵家の歴史に、泥を塗るつもりか……」
憐れなほどガクガク震えながら手を伸ばすグローグに、フローリアは晴れやかに笑った。
「――どうもお疲れ様でした」
「っ、やめろおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
グローグからほとばしる大絶叫。
間もなくグルン、と白目を剥いて気絶する。
フローリアは己の父が気絶する姿を、ただ無表情に見下ろしていた。
……何ともいえない雰囲気の中、重苦しい沈黙が横たわる。誰も口を開くことができなかった。
まるで、互いの出方を探り合っているかのような緊張感。そうして押し付けられたのか、やがてシェルリヒトが気まずげに発言する。
「フローリア嬢……ほ、本当に魔術回路を……?」
彼らがなぜ目配せをしているのか分かっていなかったフローリアは、ようやく謎の緊張感の意味を理解して笑った。
「そんな恐れ多いことを、無許可でするはずがないですよね。国宝の魔道具なのに」
一連の発言は、グローグの心を完膚なきまでに叩き折るための方便。
父もわざとらしい演技をしていたのだから、フローリアも反撃したまでだ。
まさか、シェルリヒトまで騙されるとは思っていなかったけれど。珍しくポカンとしていた彼は、長々と息を吐き出す。
「君、怒ると結構怖いんだね……」
なぜか固唾を呑んで見守っていたのは、メルエとコルラッドも同様だ。夫婦揃って安堵している。
「……既に、尻に敷かれる未来しか、見えない」
「メルエ、やめてあげましょう。むしろそんな一面もありと興奮している方が一名いらっしゃるので」
「うむ。フローリア殿、見事だった……」
しきりに頷いているゼインは、確かに先ほどの気まずさの輪の中に入っていなかった。
フローリアは苦笑をしてから歩き出す。
ゆっくりと歩み寄った相手は、ヴィユセだ。
グローグに拒絶されたあとまた座り込んでいた義妹が、ゆるゆると顔を上げる。
彼女もまた、可哀想なほど震えていた。スレイン公爵家の罪を、聞いていたから。
ヴィユセはほとんど力の入っていない指先で、フローリアのトラウザーズを遠慮がちに掴んだ。
「ねぇさま……わた、私、本当に、何も……何も知らなかったの……」
「えぇ、そうなのね」
なるべく穏やかな声音を心がけながら応じる。
膝をつき、再び宥めるように抱き締めると、腕の中のヴィユセはくぐもった声で泣き出した。
「姉様、怒ってない……? だって、私、知らずにラティシオ様のこと……」
「傷付かなかったといえば嘘になるけど、もういいの。私が許せなかったのは、家族を蔑ろにしたあの人だけ。あなたに怒っていないわ」
震える背を宥めながら、フローリアは続ける。
「……けれど、知らなかったとはいえ、誰かの犠牲を享受していた事実は覆らない。あなたも私も」
低くなった声に、ヴィユセの肩が震える。
「ね、姉様……?」
本能的に体を離そうとした義妹の手を、ぐっと握った。逃げさせない。
「既に捨てられた身とはいえ、私も同罪。――共に罪を償いましょう」
フローリアの言葉に過剰な反応を示したのは、ヴィユセではなかった。
背後から腕を引かれ、やや性急ともいえる方法で義妹と引き離される。
ゼインだった。フローリアの腕を掴む彼の手は、激情を懸命に抑え込んで震えている。
「ゼインさん……」
フローリアは困惑した。
「あの……グローグ・スレインのなそうとしたことは、国家転覆罪に相当すると思います。国家転覆罪は、一族郎党処刑されるものです」
フローリアの判断は間違っていないはず。
それなのに彼の真紅の瞳は、激情とは反対に凍りついていくかのよう。罪から逃れようとしているわけでもないのに、なぜ。
――少しは、別れを惜しんでくれている……?
もちろんそれはフローリアも同じ。
嬉しいような切ないような気持ちになり、浮かべた笑顔は複雑なものになった。
自分の罪から逃げるつもりは毛頭ない。
けれど、寂しい。
「ゼインさん……」
フローリアは、思いを込めて大切に名を呼んだ。
「ギルレイド領では、本当にたくさんお世話になりました。ゼインさんが魔獣素材をたくさん譲ってくれたおかげで、魔道具師という道が開けました」
彼らが一人前として扱ってくれたから、初めて魔道具師として胸を張れるようになった。
辺境伯と知らずに接していたことも、今となっては懐かしい。休憩中、二人で並んで眺めたギルレイド領の澄んだ青空や、灰白色の大地も。
せめて想っていたことくらい伝えられたらよかった。今となってはそれすら重荷になってしまうから……秘めておくしかないけれど。




