頑張らなければよかった
お見舞い。
突然行ったら迷惑だろうか。
フローリアは祝賀会で倒れたあと、目覚めてすぐゼインに会えて嬉しかった。誰かが気にかけて側にいてくれたことに安心した。
それがゼインだったから、なおさら。
だが、彼はどうだろう。
気を遣わせてしまうのは本意ではないし、コルラッドの珍しい社交辞令として流すべきか。
――で、でも……会いたい……。
フローリアはハッと気付いた。
ゼインがしていたように、何か気遣いの感じられる品を用意すればいいのではないか。
たとえば、魔道具。
「具合がよくなる魔道具を、今から作れば……」
「そういうのいいですから、フローリア様」
残念なものを見るような眼差しのコルラッドと目が合って、フローリアは驚愕した。
「コルラッドさん、やはり頭の中が読めて……?」
「あなたが読みやすいだけですから。というか今のは声に出てましたし」
「大丈夫、フローリア。この男、大抵読める」
コルラッドの辛辣な評価には、メルエの謎の励ましが添えられていた。
大抵の思考が読めるなんて、魔道具でも使っているのではないだろうか。
フローリアが悩んでいる内に、お見舞いに行くことが決定していた。
シェルリヒトは公務がはじまるとのことで、報告会を終わらせたあと名残惜しそうに去っていった。
『僕も笑える予感しかない現場に立ち会いたかった』と言い残していったが、フローリアにはよく分からなかった。
そんなことを思い返していたら、ゼインが滞在している客間に着いてしまった。
シェルリヒトの客人という扱いなので、当然遊戯室からも近い。ちなみにフローリアも同じ棟でお世話になっている。
緊張してきたフローリアが躊躇している間に、コルラッドがさっさと扉を叩いた。
しばらく待ってみても応えがない。
ついに勇気を出したフローリアが、上ずった声で呼んでみる。
「ゼ、ゼインさん、お留守ですか?」
「休んでいる人間が出かけるはずないでしょう。実際に不在だとしたら、そもそも返事を期待する方がおかしな話ですし――……」
つらつらと正論を並べていたコルラッドが、不意に口を閉ざす。
やけに深刻な表情になり、メルエに視線を送る。
いつの間にか彼女も同じくらい切迫した顔付きになっていて、急いた様子で頷き返した。どうしたのかと、フローリアは彼らの顔を見比べる。
「あ、あの……」
問いかけは、最後まで言葉にならない。
コルラッドがいつもの慇懃無礼をかなぐり捨てて、乱暴に扉を蹴り開ける。
その性急さにも大きな音にも驚いて、フローリアは体をすくめた。
けれど、彼らが何を慌てているのか、すぐに分かった。扉の向こうに人の気配が――ない。
「ゼインさん……!?」
寝室どころか、念のためクロゼットの中まで捜してみたが、どこにも見当たらない。
ゼインが、こつ然と姿を消していた。
「どういうことだ……あの野郎」
コルラッドが獰猛な獣のようにうなる。
すぐにメルエが宥めにかかった。
「落ち着いて、コルラッド。危険な目に遭っているか、まだ分からない」
「だがベッドが冷たくなってる。朝会ったあと、すぐ抜け出したってことだ。俺達を騙して」
頭が真っ白になっていたフローリアも、コルラッドの言葉を受けて思考が回りはじめる。
ゼインは、意図的に彼らを欺いて抜け出した。部下に打ち明けられない事情があったからだ。
もしかしたら昨日報告会を欠席したのも、体調不良ではなかったのかもしれない。
連日、部下に何も告げずに出かけていたとしたら、一体どこへ?
『いいなぁ、姉様……』
祝賀会で倒れたフローリアの記憶に、やけに残った声。とても平坦で、だからこそ不穏に感じた。
一気に血の気が引いていく。
だが震えている場合ではない。この嫌な予感を確かめる方法はないか。
「……そうだ」
「フローリア?」
フローリアは一つの可能性に行き着き、ゼインに与えられた客間を飛び出した。
すぐ近くにある自分に割り振られた部屋へと駆け込み、クロゼットに保管していた魔道具を抱え、再びゼインの居室に舞い戻る。
「……魔道具?」
フローリアが戻ったことにメルエは安堵の表情だったが、黄金鹿の角を加工した靴を持参していると気付き首を傾げた。
コルラッドは、素早く靴を履き替えるフローリアの意図を察したらしい。
「魔力の流れまで視えるのですか? それに、まさかあなたは……」
「分かりません。でも、試してみないと」
手短に答えて、靴に魔力を流す。
コルラッドやメルエの魔力がよく視える。だが、それでは足りない。
フローリアはさらに目を凝らし、集中力を高める。取り越し苦労だったらいいのだ。
けれどもし、フローリアの予測通りだったら、何か少しでも手がかりが欲しい。
もっと、もっと。
そう願うほどに、フローリアは無意識下で魔道具に魔力を流していた。
これほど魔力を流してもいいのか。このような使い方もあるのか。フローリアの研究肌な部分がそんなことを考えるけれど、魔力を緩めない。
すると、ふと魔力回路の限界に突き当たった。
これ以上魔力を込めたら魔道具が壊れてしまう、限界量に達し――ようやく捉えた。
フローリアの足がフラリと動き出す。
ベッドに、ゼインの魔力の残滓が視えた。彼の風の属性を思わせる、翡翠のごとく涼しげな色。
そこに混じって溶ける、ほとんど認識できないほどかすかな金色。
何度も視てきたからだろうか。
やけに確信できる。これは――ヴィユセの魔力。
少ない魔力を使いすぎたせいか、ひどい虚脱感に襲われたフローリアはその場に膝をついた。
メルエが慌てて駆け寄る気配がするけれど、どこか他人事のように感じる。
一足遅かった。
試行錯誤して完成させた魔力を溜め込む魔道具にも、もう何の意味もない。
フローリアは、間に合わなかったのだ。
ほとんど茫然自失の状態でも、フローリアは最後の気力を振り絞ってぽつぽつと話した。
ヴィユセの魔力が僅かに残っていること。ゼインがラティシオのように、ヴィユセの虜になっている可能性。
冷静になったコルラッドの判断は早かった。
シェルリヒトに緊急事態を報せる伝令を走らせたあと、フローリアを与えられた客間に押し込む。
彼は、ガタガタと震えるばかりのフローリアのために、温かいスープを手配していた。
食欲など少しもないため、一度は断った。
けれど傍らで支えてくれるメルエが、フローリアの指先をスープ皿に誘導すると、じんわりとした温もりに震えが止まった。
恐るおそる口をつける。
ミルクの風味が活きた、優しい味わいのスープ。ソーセージやみじん切りになった野菜がたっぷり入っている。
自然と涙がこぼれていた。
「ごめんなさい……」
一度謝罪を口にしたらもう止まらず、フローリアは嗚咽を堪えながら続ける。
「私……本当に役立たずです……魔道具作りくらいしか取り柄がないのに、間に合わなかった……今も、ゼインさんを探しに行きたいお二人の、足止めをして……私が悪いのに、こんなによくしてもらう資格なんて……」
情けない。
頑張ろうと決意したって、何度も心が折れて。こんな自分、自分でも嫌なのに。
逃げないで頑張っても駄目だった。
スープにポタポタと涙が落ちている。せっかく用意してもらった料理まで台無しにしてしまう。本当に駄目な人間だ。
でももう頑張りたくない。疲れた。
頑張っても駄目なら、はじめから頑張らなければよかった。全部無駄だった。
子どもの頃から周囲の期待に応えるため、家族に認められるため、全力で頑張ってきた。
元々の魔力量が少ないのに聖女の役割を懸命にこなしたし、せめて魔力を有効活用するため魔道具作りの勉強もした。命じられれば戦争だって行った。
全部、努力すればいつか報われると信じていたからだ。きっと誰かが認めてくれると。
「フローリア……」
「全部、全部嫌。もう嫌。これ以上頑張るなんてできない。守りたかっただけなのに、どうして全部奪われなきゃいけないの……」
慰めの声すら耳に入らず、フローリアはしゃくり上げて泣き続ける。
その時、突如大声が響いた。
「『何もかも自分のせいにして落ち込むの本当にやめてくれるー!?』」
びっくりしてフローリアの涙が、止まった。
浮かんだのは、はた迷惑なほど前向きで明るい、赤毛の少女。ギルレイド領にいるはずなのに。
フローリアは声がした方を振り返った。




