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ギルレイド領の春


   ◇ ◆ ◇


 短い春を謳歌するギルレイド領は、久しぶりの晴天に恵まれた。

 フローリアがここにやって来て、早くも五カ月が経とうとしている。

 ある程度の知識や一般常識を身につけ、少しは成長したと思っている。

 けれど独り立ちの許可が下りず、フローリアは未だにコルラッドの屋敷でお世話になっていた。

 厚意に甘えっぱなしでいいのかと申し訳なく思う一方で、魔導具作りに適した環境に身を置けることに喜びも感じている。

「――よし。これであと三日も乾燥させれば、粉末にできそうだわ」

 フローリアは、汗を拭いもせず微笑んだ。

 場所は辺境伯邸の敷地内、コルラッドの屋敷のほど近く。辺境伯の正式な許可を得た上で、天日干しができる比較的日当たりのいい土地を一時的に間借りしていた。

 というのも、ギルレイド辺境伯領は魔獣素材の宝庫だったのだ。

 毛皮は防寒具として利用されていたが、他の部位の処遇はずっと悩みの種だったらしい。

 地面や人体に被害がないよう大容量の空間収納にしまうまではいいが、それらを有効利用する目処が立たない。そのまま長年放置していたのだという。

 これに目を輝かせたのはフローリアだった。

 空間収納に入れていたものは劣化しない。つまり、討伐したその当時のまま、新鮮な素材が手に入るということ。

 魔獣素材は扱いが難しいけれど、魔力を通しやすい。とても上質の魔道具を作れるのだ。

 魔道具製作のために売ってほしいとコンラッドに懇願したところ、扱いに困っていたこともあり二束三文で融通してくれた。

 今フローリアは、それらの魔獣を少しずつ解体し、使える部位ごとに選別している最中だった。涼しい地方の春とはいえ、全身を覆う防護服を着ての作業なので汗まみれだ。

 解体には、魔獣素材でできた特別製の防護服と、地面に敷く魔力吸収布は必須。

 しかしその二つさえあれば、安全に作業ができる。魔道具製作の際に仕入れた知識がこんなかたちで役立つとは思わなかった。

 はじめの頃は慣れない作業に悪戦苦闘したけれど、今は危なげなくナイフを操ることができる。聖女兼公爵令嬢時代には考えられないことだった。

「――フローリア殿」

 黄血熊と呼ばれる魔獣の胃袋を丁寧に開き、魔力吸収布に並べ終えたところで、フローリアの名を呼ぶ声があった。

「ゼインさん、こんにちは」

 振り返ると、こちらに歩いて来る大柄な騎士の姿があった。

 白銀の髪に、磨き抜かれた紅玉のような瞳。冴え渡る相貌は鋼の肉体と相まって、峻厳な山のごとく鋭い印象を与える。

 辺境伯の護衛官を務めているコルラッドの妻メルエとは、多少異なる装いをしているものの、いつも背中に大剣を背負っていた。

 けれど今日の彼はそれだけでなく、籐製のバスケットも携えている。

「少し休んだ方がいい。メルエから差し入れのアイスティと、乾燥イチジクを預かってきた」

「あ……わざわざありがとうございます」

 ゼインは、レト少年に剣を教えるため、コルラッドの屋敷を訪問している。

 その度にこの魔獣解体場所にも顔を出してくれるのだが、フローリアは毎回恐縮してしまう。

 とはいえ、厳しい雰囲気とは裏腹にささやかな気遣いをくれる彼に、最近は緊張せず話せるようになっていた。

「呼んでくださればこちらがお伺いしましたのに」

「魔道具作りの進捗を確認したかったというのもありますが、最近は暖かくなってきましたし、フローリア殿は集中すると飲食を忘れるので心配で。熱心に努力なさるのは素晴らしいことですが、ご自分の体も大切になさってください」

 ……過保護だ。

 バスケットを用意してくれたメルエもだが、これはギルレイド領に住まう者の特性なのだろうか。

 聖女としていたらなかったフローリアには、その優しさを受け取る資格はないのに。

 だが、心配させるというのも、彼らに対する迷惑になるかもしれない。

 フローリアはゼインに謝罪を返すと、作業で強ばっていた体を起こした。

 なけなしの浄化の力でこっそり手を綺麗にしてから、防護服を脱ぐ。

 この時、必ずゼインは背を向けるのだが、なぜかはよく分からない。しっかり服を着ているのだが。

 敷布の上に並んで腰を下ろす。

 敷布が小さいからどうしても近くなってしまうけれど、その中でも最大限の距離を取る。

 天気がいいせいもあり、こうしているとまるでピクニックのようだ。

「フローリア殿、どうぞ」

「す、すみません。何から何まで」

 アイスティが注がれたグラスに、勧められるがまま口をつける。自覚はなかったけれど喉が渇いていたらしく、あっという間に飲み干してしまった。

 小さく笑う気配と共に、再びグラスにアイスティが注がれる。

 フローリアは恥ずかしくなって目を合わせられないまま、次はゆっくり飲もうと思った。

 メルエは剣の腕が一流なのに家庭的なことも得意で、乾燥イチジクもとてもおいしかった。疲れた体の隅々まで甘さが行き渡っていく。

 小麦もライ麦も希少なギルレイド領で、甘いものは貴重だ。こうした厚意を受けるとありがたく感じるが、やはり申し訳なくもなる。

「なぜこうもよくしてくださるのか……」

 乾燥イチジクを飲み込みながら考えていたことが、無意識に口から転がり落ちていたらしい。

 フローリアをまじまじと見下ろすゼインの視線で、その事実にようやく気付いた。

「あっ、いえ、あの……」

 挙動不審になっていると、彼はふと目を和ませた。その仕草で威圧感が一気に消えるから、人見知りのフローリアもすぐに打ち解けることができたのかもしれない。

「あなたが、いつでも一生懸命だからでしょう。だから何か力になりたいと思う。きっとメルエやレト、コルラッドも、俺も」

 ゼインの落ち着いた声音が、すんなりと体に染み込んでいく。

 乾燥イチジクのように甘く、優しい。

 フローリアは、言葉もなく温かな胸を押さえた。

 何気ない気遣いや、思いが込められた眼差し。

 もしかしたらフローリアが欲していたのは、こうしたありふれたものだったのかもしれない。

 家族や婚約者からは得られなかった。

 それが、王都を遠く離れた、『絶望の地』と呼ばれる場所で得られるなんて。不思議と切ない気持ちで思いやりを受け止める。

 暖かい風が吹き、ゼインの銀色の髪がそよいだ。

 彼は穏やかに目を細めると、天日干ししている魔獣の素材に視線を向けた。

「今は何の作業をしていたのですか?」

「あぁ……今は、黄血熊の胃を天日干しに」

 黄血熊は毒草でも何でも食べる雑食性なのだが、それは胃袋で毒素を分解できるからだ。

 この特性を生かせば、毒素を分解する魔道具が作れるのではないかと考えた。

 ゼインも騎士だけあって魔獣に詳しいのだろう、すぐに合点がいったようだ。

「なるほど。魔獣の血に汚染された土壌を、浄化できるかもしれませんね」

「はい。将来的には人体の毒素を取り除くこともできるようになればいいのですが、そこはどうしても慎重にならざるを得ません」

 毒素のみを取り除けるのか、様々な実験を重ねる必要があるだろう。

 ――毒素の分解に限界量はないか、誰にでも使えるか、実用化に向けてやらなければならないことはたくさんあるわ……。

 メルエは、魔道具作りにも協力してくれていた。

 彼女は何と、魔獣の森を越えた先にある、ユルゲン帝国の出身だったのだ。

 身分さえ魔力の保持量で左右されるノクアーツ王国と違って、ユルゲン帝国は魔力以外の文明が発展している。

 ノクアーツ王国の上層部はそれを野蛮な文化だと蔑んでいるが、フローリアは少ない魔力でも生きやすい世の中というものに可能性を感じていた。

 ユルゲン帝国では魔道具はありふれたもの。

 特権階級でなくても当然のように用いる、生活必需品という感覚らしい。

 一方、ノクアーツ王国ではその希少性ゆえ、どうしても高価になってしまうため、労働階級の手には届かない。魔力量が少なくても使えるという、魔道具の利点が全く生かせていなかった。

 フローリアは、ユルゲン帝国について詳しく知らない。実際には内包する問題もあるのだろう。

 だが少なくとも、身分の垣根なく魔道具が使えるならば、国民全体の生活水準はノクアーツ王国よりもずっと高いはず。それは、フローリアにとって理想の世の中だ。

 目標は高く、実現を目指して。

 フローリアが静かに熱意を燃やす隣で、ゼインは笑いながら自身の胸を叩いた。

「人体実験がしたいなら、俺をいくらでも使ってください。黄血熊くらい頑丈なので」

 さすがに、ギルレイド領の騎士を実験体扱いはできないだろう。

 フローリアは目を白黒させながら首を振った。

「じょ、冗談にしては物騒です」

「冗談じゃないからでしょう」

「も、もっと怖いです……」

 こちらの反応を窺って、ゼインが朗らかに笑う。

 どうやらからかっただけらしい。

 目が合うと、彼は不意に真面目な顔になった。

 僅かに目線を下げ、水滴のついたグラスの表面を意味もなく撫でている。

「フローリア殿は、花祭りをご存じですか?」

「花祭り……ですか?」

 ゼインによると、花祭りとはギルレイド領で毎年春に行われる祝祭のことらしい。

 この辺りの地域では春にライ麦の種を蒔き、秋に収穫する。種蒔きの前に豊穣を祝い、街中を花で飾る行事だという。

「とても賑やかな祭りで、広場には食べものの屋台も出ます。よろしければ……その、一緒に……」

 彼は落ち着きなく視線を彷徨わせている。その珍しさに目を瞬かせながら、フローリアは考えた。

 一緒に、ということは、祭りの案内を申し出てくれたのだろうか。ゼインは本当に優しい。

 フローリアはまた温かな気持ちになって、ささやかな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。大勢で行ったらきっと楽しいでしょうから、レトやメルエさん達にも声をかけてみますね」

「あ……いや、その……そうですね……」

 まるで家族のような繋がり。

 喜びを噛み締めていたフローリアは、ゼインが心なし肩を落としていることに気付かなかった。




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