真意と陰謀
「フローリア殿の指摘通り、俺達は以前から様々なことを調べてきた。シェルリヒトと学友だった頃からになるから……かれこれ五年ほどか」
そもそものきっかけは、八年前の戦争。
シェルリヒトは戦線に立っていたゼインに詳しい話を求め、ゼイン自身も生じた疑念を晴らすべく独自に調査をはじめた。
コルラッドも巻き込んだ二人は、そうしていく内に、戦争から見えてきた陰謀に気付いたのだ。
「シェルリヒトは、戦争の終わり方がおかしいと思ったらしい。当事者の俺では分からなかったが」
ユルゲン帝国は、わざわざ魔獣の森を越えてまで進軍してきた。膨大な人員や軍事費が注ぎ込まれたはずだった。
それなのに、大した益もないまま停戦協定を締結するなど、帝国は何を考えているのか。シェルリヒトはその答えを探していた。
「前線を守る俺達からすれば、戦争が早く終わるのは喜ばしいことだった。だから違和感にも目をつぶっていた。フローリア殿も覚えているだろう?」
ゼインに問われ、自然と当時の情景が浮かぶ。
毎日神経をすり減らして、体力も精神力もぎりぎりの状態。たとえフローリアを守るために騎士が重傷を負っても、逃げ出すわけにはいかなかった。
泣きたくても、逃げたくても、許されない。全員がそうして踏み止まっていたから。
戦いに明け暮れる目まぐるしい日々。
それが突然終わったのは、短い夏がギルレイド領を通り過ぎようとしている時期だった。
「確か、五月の終わりから……八月までだったでしょうか。八月半ば頃に、停戦協定が成立しました」
言われてみれば、確かに戦争の期間は、たったの三ヶ月ほど。
けれどあの頃のフローリアにとっては、ようやく終わるという感覚だった。
その報せを受けた時、全員が身分の上下なく快哉を上げたものだ。包帯だらけの騎士や兵士達も。
笑い合う者、泣き出す者、肩を抱き合う者。
明るい気配に満ちた中、襲爵したばかりの若き辺境伯が、馬上で高々とギルレイド領の紋章が入った軍旗を振り上げたのだ。
当時はフローリアも一緒に、泣きながら笑った。その後熱狂した騎士達に握手を求められたり、胴上げされたり、なかなかたいへんな目に遭ったが。
多くの傷を白銀の鎧の下に隠した辺境伯――今思えばあの勇ましい少年が、ゼインだったのだ。自分より歳上の屈強な騎士達を率いていた、彼が。
「あの、あれの何がおかしかったのでしょう?」
何だか頬が熱くなりそうだったので、フローリアは慌てて思考を戻した。あまりに不謹慎だ。
はじめに違和感を抱いたというシェルリヒトが、フローリアにも分かりやすく説明する。
「戦争が短期間で終わること自体は、特に珍しいことではない。どちらかが大勝するか、大敗するか。圧倒的な武力差があれば戦争にならないから、逆に早期に決着がつくんだ」
大勝か、大敗?
フローリアは眉根を寄せた。
だって、停戦協定が結ばれたのは、両国の戦力が拮抗しているからだったはずだ。
シェルリヒトが、フローリアの反応に頷く。
「そう。最前線にいた君達にこんなことは言いたくないが、あの当時、停戦協定に持ち込まなければならないほど我が国は疲弊していなかった。既に政務に携わっていたから、そこは間違いない」
「確かにおかしなことですが……停戦協定が結ばれたこと自体は、むしろいいことでは?」
フローリアは疑問を口にしながらも、いいことで終わらないのだと理解していた。彼らの深刻な様子を見ていれば分かる。
これが、一連の話に繋がってくるのだ。
――ユルゲン帝国から、密偵が入り込んでいる……それに、魔獣を狂化する魔道具……。
もしかしたら、ユルゲン帝国はノクアーツ王国を乗っ取ろうとしているのだろうか。国を内部から崩壊させるため、魔獣を操っている?
まだ思惑自体ははっきりしないが、どちらにしても内部に協力者がいなければ話にならない。
休戦協定が結べたこともそうだが、密偵の存在が露見していないのも、その内部犯の力が大きいのではないだろうか。
「国の中枢に……ユルゲン帝国と繋がっている、何者かがいる……?」
口にしてみて、恐ろしい予想に総毛立った。
国内に食い込んでいる密偵の数は、何人かも分からない。上層部とも深い繋がりがある。
そんなの、もうほとんどユルゲン帝国に乗っ取られているようなものでは――……。
「フローリア殿、大丈夫か?」
大きな手に肩を支えられる。
嫌な考えに囚われ、よろけてしまったのだろうか。いつの間にか側に来ていたゼインが、ひどく気遣わしげにフローリアを覗き込んでいる。
「す、すみません……ただの推測なのに、何だか不安になってしまって……」
「気休めを言えなくてすまないが、俺達も同じ推測に至っている。既に王宮内部でも、帝国の民が見つかっているのだ。……だが、大丈夫」
途方もない真実に怯えるフローリアの肩を力強く叩き、彼はゆっくりと背後を振り返った。
ゼインの大きな体で隠れていた、シェルリヒトと目が合う。
「――その通り。彼らの思惑がどこにあろうと、それを阻止するために我々がいる」
窓辺で輝く金髪、強い意志を宿した青紫色の瞳。
見る者を惹きつけ、自然と頭を垂れたくなる圧倒的な存在感。柔らかな微笑を排したシェルリヒトは、王者たる風格を備えていた。
「心配には及ばない。ノクアーツ王国は必ずや守られる。ゼインやコルラッド殿――そして君のような、素晴らしい忠臣に恵まれているゆえ」
「殿下……」
熱いものが胸に込み上げ、フローリアは懸命に涙を堪えた。
王太子という立場のシェルリヒトが、フローリアを魔道具師として認めてくれたのだ。素晴らしい忠臣だと。嬉しくないはずがなかった。
弱い心はすぐに逃げ出そうとするけれど、認めてくれた彼らだけは、裏切らないでいたい。そう強く思った。
フローリアの昂ぶった心に水を差すように、コルラッドが口を開いた。
「魔獣が頻繁に出没するようになったのは、二年ほど前からです。その当時、あなたの身の回りで何か印象に残ることはありませんでしたか?」
「私……ですか?」
「あなたのこと、ご家族のこと、どれほど些細なことでも構いません。ノクアーツ王国において浄化を司るのは、スレイン公爵家ですから」
「――」
頭がうまく働いてくれない。いや、考えるのを拒否している。
フローリアは呆然と目を見開き、問われるがままに答えた。
「私が、この地に来たのが……おおよそ半年前。そこからさらに一年半前というと……ちょうど、公爵の代替わりがあったはずです」
スレイン公爵であった祖父が亡くなり、フローリアの父が爵位を継いだ。
「それと……父が公爵となってから、私と第二王子との婚約破棄の話が……本格的に」
元々、第二王子との婚約は、国王と祖父が結んだものだった。
祖父の葬式が済んだあと、待ち兼ねたように婚約破棄の話が持ち上がった。
国王の許しが必要だったのでそこから一年以上かかったけれど、父の思惑通りに婚約の破棄が成された。第二王子と義妹が抱き合って喜んでいたことを、鮮明に覚えている。
そうしてフローリアは、卒業式の日を待たずギルレイド領に追いやられたのだ。
それが、二年前のフローリアに降りかかった、悲しい出来事の全て。
コルラッドが、意味深長な眼差しでこちらを見ている。無慈悲に、まるで断罪するかのように。
終始試すようだったのはこのためかもしれない。
かと思えば、ゼインとシェルリヒトの視線もフローリアに向けられていた。
気遣いに透けている、痛ましいものでも見るような眼差し。
……嫌でも気付いてしまう。
政治の中枢を担う人物。
なおかつ第二王子と近しく、彼が即位した場合に利益がある者。
魔獣を狂化する魔道具でノクアーツ王国が混乱に陥ったとしても、それを浄化し……むしろ称賛や功績へと変えられる者。
この国において、代々聖女を輩出しているのは――スレイン公爵家。
フローリアの生家のみ。
ゼイン達が追いかけ続けた陰謀、その首謀者は、父だったのだ。
力になりたい。彼らだけは裏切らないでいたい。
何て薄っぺらに響く言葉を。
フローリアは力なく項垂れ、足元を見下ろした。
自分の立っている場所が、脆く崩れ落ちていくような気がした。




