我が儘を一つだけ
まず思ったのは、ロロナはフローリアの正体を知らなかったのだということ。
コルラッドは、ある程度こちらの意向を汲んでくれていたのだろう。
けれどもう、知られてしまった。
ギルレイド領に対して後ろめたさを感じていたから、誰にも言わずにいたのに。
怖い。
ロロナはそれを聞いてどう思っただろう。昔、一家で魔獣に襲われた経験があると話していた。
怖気づく心はある。
だが、フローリアは逃げたくなかった。
ゴクリと喉を鳴らし、意を決して顔を上げる。
「……はい。私は、力の弱さを理由に、聖女失格の烙印を押されました」
声が震える。弱々しいままでは喧騒に押し負けてしまいそうだ。
フローリアはお腹に力を込め、はっきりとした口調で続ける。
「この地に魔獣が頻出するのも、私の責任です。責められても仕方がないと――……」
「誰が責めるっていうのよ。八年前の戦争でのあなたの活躍、今でも騎士団内で語り継がれてるわ」
「……え? か……え……?」
衝撃的な事実に言葉もない。
口をパクパク意味もなく動かすフローリアに、ロロナはさらに続ける。
「そもそも、うちの領地は魔獣の森に隣接してるせいで、あなたが聖女になるよりずっと昔から魔獣に脅かされてるの。何でもかんでも自分の責任と思い込まないでくれる? 私はあなたに背負われるほど弱くないから」
……指摘が全て真っ当で的確すぎて、やっぱり言葉は出てこなかった。
私にもっと可愛げがあれば。私の魔力が強かったら。私の努力が足りなかったから。今まで自分を責めてばかりの人生だったから、耳が痛い。
その上でロロナは、自分は強いと断言した。
それが、頼もしく感じた。対等な関係を示してもらったような心地にさせられる。
やはりフローリアはロロナが好きだ。
だからこそ、きちんと伝えたいと思った。
「……ロロナさん。シェルリヒト様のお誘いは、断らなければいけなかったと思いますよ。護衛という任務上もそうですが、何より辺境伯閣下と想い合っているのですから――よくないことです」
勇気を振り絞っての注意だった。
フローリアの恋が叶わないのは関係ない。
いや、正直全くないとは言い切れないのかもしれない。フローリアにとってゼインは、誰より幸せになってほしい人だから。
胸は痛いけれど、ロロナは魅力な女性だ。惹かれる気持ちも理解できる。
二人が笑い合っていられるなら、それで十分。フローリアの幸せなど勘定に入れる必要はない。
――これも、ロロナさんが嫌がった自己犠牲なのかもしれないけれど……。
いくらシェルリヒトに惹かれていたとしても、ゼインを裏切らないでほしい。
押し付けがましい言い分であることは分かっている。これはただの、ゼインを想うがゆえの我が儘。
真剣なフローリアに対して、ロロナは心底不思議そうに首を傾げた。
「何で? 多方面に粉をかけといて損はないじゃない。まだ向こうも結婚してないって聞いたし、悪いことはしてないわ」
「ですが、辺境伯閣下と想い合っているのに、心変わりなど……」
「心変わりじゃないわ。だって、私達はまだ付き合ってないもの!」
清々しいほどの断言。
何やら説得力すら感じて、フローリアは圧倒されてしまった。思わず『確かに』と頷きそうになる。
恋愛観とは地域によって差があるのか。それとも、フローリアの頭が固すぎた?
どちらにしても目が覚めるような思いだった。
――何だか、うじうじと気にしていた自分が馬鹿馬鹿しくなるような……。
ロロナに会うことも気まずくて、しばらくずっと避けていた。
だが、もし逆の立場なら。
彼女なら、何があろうと正々堂々立ち向かったのではないだろうか。
告白もしていないのに悩んでいた自分とは大違いだ。フローリアは、意中の相手がいるなら優しくしないでほしかったと、ゼインに対する八つ当たりじみた思いすら抱いていた。
「ロロナさんは、本当に強くて格好いいです……」
「当然でしょ! その上可愛いし性格もいいから、極上の男を選び放題なのよ! 引く手数多で困っちゃうわよね!」
自信満々にふんぞり返る彼女の頭を背後から押さえつけたのは、メルエだった。
「何の話?」
「私という人間の魅力と価値についてです!」
「……フローリア。無駄話はいいから、帰ろう。大事な報告、あるんでしょ?」
「ちょっと無駄話って何よー!?」
顔を向けられたフローリアは、はたと思い出す。
そうだった。重要なことを報告しなければならなかったのに、目先の緊急事態にすっかり気を取られていた。
「戻ろう。ゼイン様もコルラッドも、脱走組の帰りを待ってる」
「――はい」
当然ゼインとコルラッドは、辺境伯邸でシェルリヒト発見の報告を待っていることだろう。
彼と顔を合わせるのは、辺境伯と知って以来。
緊張から鼓動が早くなる。
ロロナから逃げなかったように、ゼインとも怖がらずに向き合いたい。
フローリアは、メルエに従って歩き出した。
辺境伯邸の執務室に案内される。
ドラゴンが出現した際に通され、コルラッドに迎えられたことを思い出す。
非常時だったから深くは考えなかったけれど、今思えばあれにも作為を感じる。
なぜなのか分からないが、コルラッドはこれまで何度もフローリアを試してきた。洞察力や判断力など魔道具師に必要ないのに。
今もまるで、勇気を試されているかのように、ゼインと向き合わされている。
コルラッドが報告を聞く体で、メルエやシェルリヒトを自然に壁際へと誘導している。ちなみにロロナは入室を許可されず扉の向こうで騒いでいた。
「辺境伯閣下に目通り叶いましたこと、幸甚の極みにございます」
フローリアは辞儀をしながら口上を述べた。そのままの姿勢でゼインからの許しを待つ。
僅かな逡巡の気配があったと思うのは、フローリアの勘違いだろうか。
間を置いてから、ゼインは挨拶に応じた。
「……許す。面を上げてくれ」
ゆっくりと頭を上げる。
久々にゼインと顔を合わせた気がした。
整えられた銀色の髪、真紅の瞳。穏やかな声音と、大きくてたくましい体。
卑屈な気持ちにならず向き合えたことを、フローリアは心から安堵した。
壁際に立つコルラッドが、笑顔で口を挟む。
「フローリア様、堅苦しい挨拶は抜きにしませんか。今メルエから聞きましたが、王太子殿下には気安い態度だったのでしょう?」
なぜかゼインが傷を負ったように胸を押さえたけれど、これもきっとこちらを見極めるための皮肉。
フローリアは毅然と立ち向かった。
「恐れ多いことではございますが、殿下とは親しくさせていただいておりますので。――閣下とも」
そこで言葉を区切り、再びゼインに視線を戻す。
彼はなぜかますます苦しげな表情をしているが、目線はしっかり合わせてくれた。
――本当に、何を勝手に落ち込んで……。
自分が情けなくて恥ずかしい。
彼の気遣わしげな眼差しは、以前と何一つ変わっていないのに。
フローリアは静かに息を吸ってから、ゼインと向き合った。
「これまでの非礼の数々、お詫びのしようもごさいません。ですが、閣下とも……少しずつでも、また以前のように、親しくさせていただければと思っております。閣下がお嫌でなければ……」
「嫌なはずがない!」
遮るように声を張り上げたのはゼインだった。
執務机から身を乗り出していた彼は、泣きそうに顔を歪める。
「俺の方こそ、本当にすまなかった……騙すつもりは一切なかった……」
肩を落とした彼が、このまま本当に泣き出してしまうのではないかと焦ったフローリアは、必死になって首を振った。
「そ、そんな、閣下が謝ることなど……」
「『閣下』、か。……フローリア殿、俺は、どのように償えばいいだろうか……?」
償いといわれても、フローリアとて損得勘定で動いているのだ。
ゼインが好きだから、想いを諦めたくないから、ここからまたやり直したい。
そういう、至極自分勝手な動機。
恋敵のロロナから勇気をもらうだなんておかしな話だが、彼らがまだ付き合っていないなら、フローリアにもできることはある。
もう、はじめから諦めたりしたくない。
これは欲だ。
けれど欲は、原動力にもなる。
この際、我が儘を言ってもいいのではないかと、悪い心が顔を出した。
「償いというか、我が儘を言っていいなら……また差し入れを持ってきて、ほしいです……」
何かを望んでいいなら、フローリアの願いはそれだけだった。
また二人で並んで、のんびりと話がしたい。同じ空を眺めて、ふざけて笑い合いたい。……想い続けることを、許してほしい。
辺境伯を雑用に使うなんて不敬もいいところなので、決死の覚悟での我が儘だった。
無言のゼインを恐るおそる窺うと、彼は胸を押さえて蹲っていた。
「む、胸が痛くて死ねる……」
「えっ、そんな、どこか具合が!?」
そういえば、先ほどから同じ仕草をしていた。
異常があるかもしれないと、フローリアは慌てて駆け寄り彼の胸元に触れる。すると、ゼインの顔がみるみる真っ赤になっていく。
「まさか他にも異常が? ゼインさん、すぐに横になった方が……」
「『ゼインさん』……ぐぅ、久々の破壊力……」
「破壊……一体どういう……はっ! も、もしや……細胞が、内部から破壊されている……!?」
フローリアとゼインの噛み合わない会話が、どんどん勘違いを飛躍させていく。
それを止めもせずに眺める者達は、もれなく全員半眼になっていた。
「何でしょうね、このもやもや感は……」
「分かる。ゼイン様、頭に花が咲いてる」
「もう延々と愚痴を聞かされずに済むと、安堵すべきなのだろうが……これはこれで浮かれすぎていて、もう少し関係にヒビが入ったままでもよかったのでないかというね……」
ここまで恋に溺れることのできるゼインもすごいが、それに全く気付かないフローリアもある意味すごい。聡いのになぜそこだけ。
想いが通じるのは、まだまだ先になるだろう。
三人は、真っ赤な顔で何かを噛み締めているゼインを眺めながら、はた迷惑な彼らの今後に思いを馳せるのだった。




