問題児二人
怪しい魔道具の解析をはじめた、翌日。
フローリアは息をつき、作業台に首飾りを置いた。銀の細い鎖がシャラリと軽やかな音を立てる。
この魔道具は、非常に物騒できな臭い、恐ろしいものだということが判明した。
すぐに辺境伯……ゼインやコルラッドに伝えるべきだ。それに、シェルリヒトにも。
なぜ王太子である彼が、辺境に現れたのか。疑問に思っていたけれど、おそらくこの魔道具発見の報せを受けてのことではないだろうか。
これは、それほどのものだ。
彼らはきっと、数年前から動いていたはず。
国を揺るがす重大な案件のため、極秘裏に手を結び調査をしていた。そうして今回の、シェルリヒトの来訪へと繋がったのだろう。
「……いえ。これ以上の憶測はよくないわ」
一介の魔道具師が介入するべきではない。
フローリアは、ただ依頼された通りに解析結果を伝えればいいのだ。
今の時間、護衛についているのはメルエだ。コルラッドに話を通しやすい。
魔道具解析のためか恐怖心なのか分からない汗を手巾で拭うと、フローリアは作業部屋を出た。
「メルエさ……」
呼びかけが途切れる。
メルエは、どこか焦った様子の騎士と顔を突き合わせていた。やけに深刻な雰囲気だ。
彼女はすぐにこちらを振り返った。
「ごめん、フローリア。どうかした?」
何か問題が起こったのなら……と遠慮しかけたフローリアだったが、緊急事態はこちらも同じ。勇気を出して謁見を申請する。
「あの、その……お忙しいところ申し訳ないのですが、実は急ぎの案件で。魔道具の鑑定結果についてお伝えしたいことがありますので、辺境伯閣下とコルラッドさん、そしてできることならシェルリヒト様に、大至急お目通りをお願いしたく……」
シェルリヒトが王太子であることは、一部の関係者を除いて伏せられている。不敬と分かっていながら名前で呼ぶしかない。
けれどフローリアの主張が尻すぼみとなった理由はそれではなく、話せば話すほど、メルエが気まずげに目を逸らしてしまうからだ。
なぜだろう。この嫌な予感。
彼女は、ものすごく顔をしかめて口を開いた。
「今、シェルリヒト様には、臨時でロロナがついてるんだけど。……二人で、行方をくらませた」
「……え?」
「たぶん、一緒に出かけようって、無駄にいい顔で、たぶらかされた。あの子昔から、無理めなところ、狙いがち」
「…………え?」
メルエの背後で共に目を逸らしている騎士が、いなくなった彼らについて報告したに違いなかった。
採れたてほやほやの情報だ、とフローリアも一緒に現実逃避を試みる。
だってさすがにメルエの口振りも不敬だし、シェルリヒトは婚約者がいないとはいえ羽目を外すにも限度があるし、ロロナもロロナで恋人候補のゼインを差し置いて何をしているのかと言いたいし。
けれど全て言葉にならない。一部に関しては、することすら許されない。
「……とにかく、捜さなければ」
この時フローリアの瞳は、おそらく光が失われていただろう。
問題を起こしていなければいい。
祈るような気持ちは、街に入った途端に裏切られた。派手にガラスが割れる音、男の怒鳴り声、女性の悲鳴に出迎えられる。
何だか、街歩きの日の再現のようではないか。
メルエも同じことを考えていたらしく、浮かぶ表情にも焦りより呆れが強い。
「……フローリア、やっぱり屋敷にいた方がいい」
「いいえ。とにかく人手が足りないはずですし、また怪我人が出ているかもしれません」
どこに消えたか分からない問題児二人を捜索するに当たり、フローリアは手伝いを申し出ていた。
万が一彼らが危険を冒していれば、なけなしの治癒魔法でも役に立つと考えたからだ。騎士の大半が魔獣の森の捜索に割かれたので、単純に人員不足という理由もある。
「とにかく、魔獣の森に侵入していないようで、それだけでもよかったと言えますよね……」
「そこまで、人騒がせではなかったみたい。どちらにしても、迷惑だけど」
「メルエさん、不敬ですよ……」
こっそり忠告しつつも、否定はしない。
せめて周囲に声をかけ、用件を言付けてから出かけてほしかった。
騒がしい方へ早足で進むと、果たしてシェルリヒトとロロナはすぐに見つかった。
酒場に面した通りで揉めているようだ。彼らはあの時と同じく渦中にいる。
意外だったのは、今回彼の胸ぐらを掴んでいるのもまた、あの赤ら顔の男性だったことだ。
王太子が胸ぐらを掴まれるという困った事態に、あれほど強いロロナは一体何をしているのかというと――うっとりしていた。
シェルリヒトは外套のフードを目深にかぶっているのに、頬を染めてさえいる。
上品な笑みや優雅な物腰、気品溢れる佇まいを脳内で補完しているのだろうか。恐るべき技術だ。
たぶらかされた、というメルエの表現も、あながち間違っていないかもしれない。
「騎士として、未熟……鍛え直す必要が……」
隣から不穏な呟きが聞こえてくるけれど、フローリアは聞こえなかったふりで現場に近付いた。
赤ら顔の男性は、今日も酒が入っているようだ。前回で懲りていればよかったものを、またも王太子に喧嘩を売るとは災難なのか自業自得なのか。
瞬きの間に距離を詰めたメルエが、即座に男性を後ろ手で縛り上げる。男性から悲鳴が上がった。
「いてえぇぇぇっ!! おい、これではあまりに横暴だろう!?」
「問答無用。縛り首にされても、文句は言えない」
「ギルレイド領の騎士ともあろう人間が、一方だけに肩入れをするとはどういうことだ!」
フローリアは、赤ら顔の男性の口調に、ふと違和感を覚えた。
何か、不自然だったような――……。
違和感の正体がかたちを得る前に、シェルリヒトがこちらを向いた。
「やぁ。ちょうどいいところに来てくれたね、フローリア嬢。お忍び中によく出会うものだ」
「お言葉ですが、大規模捜索がかけられているから駆け付けることができただけですし、そもそも全然忍べておりませんし……」
「そうかい? やはりにじみ出てしまうのかな」
おどけて肩をすくめる仕草に、フローリアは懐かしさを感じた。
シェルリヒトは聡明な人格者なのに、こうした遊び心も併せ持つ人だった。王宮で偶然顔を合わせた時もよく軽口を叩いていた。
今になって分かる。おそらく、あの当時のフローリアはよほど暗い顔をしていたのだろう。そういう人を放っておけないのだ。
冷遇されている人間に声をかけるのだから、変わり者であることは否めないが。
フローリアは、気が抜けて笑ってしまった。
「フフ、困ったところもお変わりありませんね」
「君のそういう大らかさもね。ただし美形に限るという寛容さだろうか」
「メルエさんをよく見てくださいね」
メルエは、シェルリヒトへ、全力で呆れの籠もった眼差しを向けていた。
洒落た仕草で片目をつむってみせられても、美形だから仕方ないとはならないいい例だ。
その内に他の騎士達も駆け付け、にわかに酒場の一角が騒がしくなった。今回は怪我人がいないようで、一先ずホッとした。
「メルエ殿、彼を領主邸に連行してもらえるかな? 色々聞きたいことがあるから、決して逃さないようにね」
「かしこまりました」
フローリアが現場を見て回っている間に、シェルリヒトとメルエは赤ら顔の男性の処遇について話し合っていた。
確かに男性は不敬罪を犯したが、気さくなシェルリヒトはそうしたことに目くじらを立てる性質ではない。きっと他に真意があるのだ。
――そういえば、私も何か違和感を……。
考え込んでいると、突如ロロナが視界に飛び込んできた。
「シェルリヒト様から聞いたわよ。――あなた、公爵令嬢だったのね。しかも元聖女」
彼女の言葉に、フローリアは息を呑んだ。




