後悔先に立たず
とはいえ、没頭できるものがあるのは、フローリアにとってもありがたいことだ。
ゼインのことを考えずに済む。
解析をするだけなら、魔道具や素材を破壊してしまう心配もない。
フローリアは、コルラッドが置いていった用途不明の魔道具を、防護手袋をしてから持ってみる。
まずは使われている素材を鑑定。
普通の首飾りに見えるが、魔獣の森の木の枝に引っかけられていたらしい。
使われているのは魔力電導のいい銀で、中央には大粒のルビーが配置されている。ルビーもまた、魔力を流しやすい鉱物だ。ただし、これには細かな亀裂が入っていた。
ルビーを囲んでいるのは、細かな半透明の石。
丸く加工されているが、他のどの素材より強い魔力を感じる。おそらく、魔獣素材だ。
「魔獣素材ということは……ユルゲン帝国製?」
ノクアーツ王国では、魔獣素材を扱える者は希少だと聞いた。
浄化の魔道具のせいかところどころ壊れているけれど、魔力回路も非常に細かい。
これほどのものを作れる技術は、ユルゲン帝国にしかないだろう。
回路に魔力を流せば、魔道具の性能を解析することができる。
壊れている部分、途切れている部分を、回路に魔術を通しながら一つずつ修復していく。
細かくて地道、とても根気のいる作業だ。
「けれど……なぜ浄化を受けただけなのに、ひどく損傷しているのかしら?」
不思議だが、とにかく直していくしかない。フローリアは腕まくりをして作業に取りかかる。
ざっと見て、時間がかかりそうな大きい損傷が三箇所。小さいものなら数えきれないほどある。
フローリアは、始点である大粒のルビーに人差し指を置いた。
ゆっくりと魔力を流していく。
細く伸ばしていけば、早速亀裂に直面する。
ヒビが入っている箇所は、怪我に包帯を巻くようにして微細な魔力で包み込む。
球体を意識して囲ってしまえば、魔力が欠落している部分が見えてくる。
そこに魔力を注ぐことで回路は修復するのだが、これは壊れた器を直す作業に似ている。
欠片の一つ一つを、正しく嵌めなければ元に戻らない。それと同じように、フローリアの魔力を完璧なかたちで埋め込まなければならなかった。
一つ直せば次、またその次。
時間はかかっても確実に直していく。
そうしている間にも、少しずつ魔導具の特性が分かってきた。
排除、迷い、散逸、喪失……本質はまだ見えてこないけれど、悪い意味合いの作用が多い。
何となく不穏なものを感じる。
フローリアのこめかみを、汗が流れていった。
◇ ◆ ◇
絶望。絶望しかない。
ゼインは執務机に座りながらも、すっかりやる気を失っていた。
応接用のソファに腰かけていたシェルリヒトが、紅茶を飲みながら悩ましげに首を振る。勝手にくつろがないでくれと注意する気力もない。
「ゼイン。僕はね、君がとっくにフローリア嬢を幸せにしていると思っていたんだ。正式に名乗ってすらいなかったなんて、にわかには信じ難い」
「何とでも言ってくれ……」
「では言わせてもらうが、八年前の戦争で『辺境の孤狼』とまで呼ばれていた人間と同一人物とは、とても思えない体たらくだね。最近では『野獣辺境伯』だなんて噂もあるから、その通りに言葉を忘れてしまったのかな? 間抜けだしダサいし格好悪いし正直いいところがほとんど見つからな……」
「さすがに言いすぎじゃないか?」
何と遠慮のないことか。
それもそのはずで、シェルリヒトとは同じ学園に通っていた頃からの付き合いだった。
学年は彼の方が二つ下だったが、ゼインが最終学年で風紀委員長を務めている頃、彼は新入生だてらに生徒会書記に就いていた。業務上、言葉を交わすことが多かったのだ。
気の置けない仲というのは楽だが、互いの痛いところを熟知しているということでもある。
彼は、ゼインがフローリアに憧れていたことも承知しているのだ。
というより、入学直前の十五歳で命を救われたから、学園在籍中が最も聖女熱の高まっていた時期といえる。
ゼインはいつも恥ずかしげもなくフローリアの素晴らしさを語っていた。今思えば、彼に弱みを握らせる軽挙だった。
「聖女教なるものがあれば、すぐにでも入信してしまいそうな勢いだったよね」
「……滅多なことを言うな。さすがに神への冒涜がすぎるぞ」
もちろん入るが。
そしてフローリアが追放されたこと自体は許し難いが、彼女が聖女でないならどうでもいいのも事実。即抜ける。
「我が弟がフローリア嬢を軽んじていると知った時も、殺しにでも行きそうだったな」
「……だから、滅多なことを。不敬罪になる」
今も大嫌いだし救いようのない見る目のなさだと思っているが、フローリアがろくでもない男と結婚しなくてよかった。苦労する未来しか見えない。
「――まぁ、彼女が純粋すぎて言い出せなかったという気持ちは、分かるけれどね。僕が構うのも優しいからだと勘違いしているようだったし」
シェルリヒトが、打算ありきで彼女に近付いていたことは知っている。
ゼインは、苦みの混ざった彼の笑みを興味深く見つめた。シェルリヒトほど計算高い人間に罪悪感を抱かせるとは、やはりフローリアはすごい。
「言っておくが、惚れるなよ」
「そうやって牽制している暇があるなら、さっさと現状を何とかすれば?」
またもや的確に心を抉られ、起き上がりかけていたゼインの上体は再び執務机へと着地を決めた。
「嫌われたら生きていけない……」
情けないが、あの日のことを思い出すたびに胸が苦しくなるのだ。
優雅な所作で辞儀をするフローリア。
人形のような微笑をたたえ、彼女は『辺境伯閣下』と呼んだ。
自業自得であることは分かっている。
だが、立ち直れないほど衝撃的だった。
「……憧れていた方が、動いて、息をして、喋って、笑っているんだぞ。側にいられるだけで感動だし、十分幸せだった」
聖女教、というのは言い得て妙だ。
ゼインはフローリアを、まさしく神聖視していた。追放され傷付いた彼女を手厚く保護しなければならないと、使命感に駆られていた。
だが、実際のフローリアに触れていく内、想いが変化するなどあっという間だった。
最初は青ざめて震えていたのに、すぐに魔獣解体のノウハウを覚えた。今や潔いほど躊躇いがない。
意外にもよく食べるし、肩の力が抜けてからはよく笑うようになった。青空に吸い込まれていく笑い声は、どこまでも涼やかだ。
隣に座った時だけゆっくりと眺められる横顔。
まろやかな額から、柔らかな曲線を描く顎にかけてまで、愛でるためにあるかのような美しさ。
彼女が魔道具に夢中になっているからこそ眺められるのだが、その無防備さが可愛らしくも危なっかしくもある。
小首を傾げる仕草。驚くと小動物のように固まってしまうところ。困った時に下唇を軽く噛む癖。
それらから目が離せない理由に、コルラッドの指摘を受けるまで気付けなかった。
しかし気付いてしまえば、あとは坂道を転がり落ちるようなもの。
華奢な体を抱き締めたいとか、花びらのような唇に触れたいとか、やましい想いが募っていく。
崇拝は、あっさり恋になってしまった。
「もう俺は駄目だ……謝罪をしなければと分かっているのに、次に会う時が怖くて仕方がない……」
執務机に突っ伏したままだったゼインの後頭部が、容赦なく叩かれる。
フローリアの作業部屋から戻ったコルラッドが、側に立っていた。
「今回のことでフローリア様は一皮剥けたようだというのに、あなたは何をグダグダと」
「ご苦労だった、コルラッド。それでフローリア殿は、俺のことを何か言っていたか?」
「あなたの話題など口の端に上りもしなかったですよ。フローリア様は聡明な方なので」
再び頭に落ちてくる一撃。
凶器は、コルラッドが普段から持ち歩いている手帳だったらしい。
「……私も、見方を変えることにしました。少々あの方を見くびっていたようです」
頭を押さえて苦しんでいると、腹心の部下はやけに真率な声音で呟いた。
「傷付き、泣いて終わるだけじゃない。フローリア様はどのような目に遭おうと、立ち上がって前に歩き出せる方です」
婚約者も、聖女という地位も失い、ギルレイド領に追放されたフローリア。
けれど泣き暮らすかと思いきや、自分にできる精いっぱいのことをしようと魔道具作りをはじめた。そしてそれは、辺境伯領全体を救い得る一大事業になるかもしれない。
揺らぎも、落ち込みもする。
だがそれで終わらせない。屈しない。
王都で『絶望の地』とまで呼ばれる、厳しい環境のギルレイド領。
この地で生きていくには優しさだけでなく、たくましさと強かさも確かに必要だった。
ゼインは久しぶりに、唇に笑みを刻む。
フローリアは、ずいぶんこの辺境伯領に馴染んできたようだ。
「……それくらい、俺も知っている。だからこそ稀有で清らかなあの方は、目映く輝いているのだ」
「ちょいちょい美辞麗句を挟むの、本当にいい加減やめてくださいます?」
主従のやり取りを黙って聞いていたシェルリヒトが、ティーカップをテーブルに置いた。
「愛が重いのは十分よく分かったから、そろそろ仕事の話をしようか。――スレイン公爵家について」
その一言で、ゼインも気持ちを切り替える。
今まで密かに集めてきた情報を共有し、精査していかねばならない。
ここからが本題。それぞれが為政者の顔になって、話し合いがはじまった。




