色付く想い
無事に魔獣を退け、ギルレイド領には再び平和が訪れていた。
活躍した騎士達も褒賞と休暇を受け取っているため、ロロナはフローリアについている護衛の顔触れの中から外れている。
だから、三日ぶり。
あの協力してドラゴンを討伐した時以来、久々に顔を合わせたのに。
「ちょっとあなた、馴れ馴れしすぎじゃない!? 辺境伯様は私の恋人になる方なんだからね!」
……まるで出会ったばかりの頃のよう。いまいち彼女が分からない。
フローリアは、作業部屋の外でばったりと出くわしたロロナに、なぜか一方的に罵られていた。
背後に控える騎士が必死に止めているけれど、彼女の口は止まらない。
「この間のドラゴン討伐に抜擢されたのだって、きっと私が手柄を挙げるためよ! 功績は一つでも多い方がいいものね!」
「そ、そうですね……」
「辺境伯様は私を信じているから、こうして試練を課すのね……これも恋人になるためと涙を呑んでまで……それなら私は、絶対に耐え抜いてみせる! 負けないんだから!」
ビシッと挑戦的に指を突きつけてから、ロロナは足音荒く去っていく。
フローリアは呆然と首を傾げた。
――私……どこかで辺境伯に会っていたかしら?
魔獣襲来の時、フローリアは初めて辺境伯邸に足を踏み入れた。誰もが慌ただしく動いていたから気付かなかったけれど、もしかしたらあの時どこかですれ違っていたのだろうか。
久しぶりに会えたのなら、話したいことがたくさんあったのに。
小さくなっていくロロナの背中を見つめながら、フローリアは首を傾げ続けた。
最近、好天が続いている。
フローリアはロロナの謎行動に衝撃を受けていたけれど、作業に没頭していれば次第に気にならなくなっていった。
夢中で羊角虫の角を切り取る。
羊のように丸まった角を持つ、漂っているだけの小型の虫だ。毒を持っているので無害ではないけれど、はねはなくこの角で浮遊している。
魔道具に使えそうだと、今日も楽しくフローリアは魔獣解体作業に励む。
魔道具師として認められはじめたからか、以前よりもさらにやりがいを感じていた。
ゼインがバスケットを携えて立っていることに気付いたのは、三十以上の羊角虫の解体を終えた頃。いつの間にか、護衛の騎士がいなくなっている。
「す、すみません、ゼインさん。いつからお待ちになっていたのですか?」
「覚えていません。楽しそうなあなたを見ていたら時間があっという間にすぎていました」
彼が本当に満足げに笑うから、頬の熱さが防護服のためなのか、破壊力のある台詞のためなのか、分からなくなってくる。
フローリアは熱を逃がすように防護服を脱ぐ。ゼインは素早く背中を向けた。
そしてその間に、彼は敷布やバスケットの準備をはじめる。
「今日もアイスティと、メルエからの差し入れが入っています。干しイチジクだと言っていました」
「わぁ、嬉しい。メルエさんお手製の干し果実、大好きなんです」
防護服を脱ぎ終えたフローリアは歓声を上げて歩き出したものの、ずっと中腰で作業をしていたため少しよろけてしまった。
すかさず体を支える太くたくましい腕。
見上げると、想像していたよりも近い位置に深紅の瞳があって、フローリアは慌ててゼインから距離をとった。
「あ、ありがとうございます」
「問題ないです。レトくらいに軽い」
「そ、それは……よかったです」
子どもと比べられ、笑うしかなかった。
他意はないのだろう。フローリアを全く意識していないというだけで。
きっとこちらの方が意識しすぎているのだ。
腰に回った腕の力強さが、あの日気を失ったフローリアを抱き留めてくれたものと同じだと分かってしまうから、余計に。
気持ちのよい蒼天の下、休憩がはじまった。
いつものように敷布に並んで座る。限界まで距離をとっているのに、以前より恥ずかしく感じるのはなぜなのか。
フローリアはアイスティを飲みながら、いつものことになったゼインとすごす休憩を、不思議な気持ちで受け止めていた。
むしろ今では、彼の訪問を心待ちにしている。メルエの差し入れのおかげもあるのだろうが、人見知りのフローリアにはすごい進歩だった。
乾燥イチジクを頬張る。柔らかな歯触りと共に、自然な甘さが口の中に広がっていく。
うっとり味わうフローリアが目を開くと、ゼインは干し果実に口もつけずこちらを見下ろしていた。
瞳は細められ、小さな子どもでも見守っているかのようだ。
「ゼ、ゼインさんも食べてくださいよ……!」
「いや、おいしそうだから全部あげたくて」
「おいしいから食べてほしいんです!」
彼はもう本当に、フローリアとレトを同列と捉えているに違いない。優しく見つめられているのに何となく空しさを覚える。
「フローリア殿も褒賞と休暇をもらっているのに、相変わらずここで作業をしているのですね」
「まだまだ作りたいものがたくさんありますし、全く苦にならないので」
褒賞も材料費にあてるつもりだし、そもそも浄化の魔道具をコルラッド経由で辺境伯に買い取ってもらったので、フローリアの懐はかなり潤っている。
今後木材や金属がさらに必要となることを想定し、資材を多めに買い足す予定だった。
「最近は、ライ麦畑の調子はどうですか?」
フローリアはあのあと、同じ浄化の魔道具を二本製作した。
大地の汚染除去のためだが、まだ試用段階だ。一先ず三本でやり繰りしてもらい、効果があるようならどんどん増やしていく予定だった。
聖女じゃなくても大地の浄化ができる。
今後も、ギルレイド領が抱える悩みごとを解決できる魔道具を開発していきたい。
「順調です。フローリア殿が、春蒔きの小麦の時期に合わせてくれたので、秋には収穫が期待できますね。辺境伯領の全員が、あなたに感謝していることでしょう」
ゼインが笑顔で感謝を告げるから、また目のやり場に困ってしまう。
「誰でも使えているのなら、よかったです」
「少ない魔力……しかもどの属性であっても聖属性に変換できるというのは、本当に画期的なことですね。ドラゴン討伐時のフローリア殿のような威力はありませんが」
「そ、そうですか……」
フローリアは、話を合わせながらも内心でビクビクしていた。
あれはおそらく、フローリアが聖属性だから起こった相乗効果だったのだが、また同じようなことになっても困るので実証できない。
フローリアが元聖女であったことを知るのは、コルラッドのみ。
ゼインも、メルエやレトやロロナも知らない。
フローリアの魔力が弱かったせいで、ギルレイド領は聖女の加護が薄いのだ。
苦労している彼らに正体を明かせば、糾弾されるかもしれないと怯えていた。だから隠し続けてきたのだけれど……最近は、彼らに黙っていることを申し訳なく感じるようになっていた。
ふと、ゼインと視線がぶつかる。
彼は目を和ませて笑う。
それだけでフローリアの心臓は、軽やかに舞い上がりそうだった。何だか最近、この人の前で浮かれすぎてはいないだろうか。
顔が赤くなってしまいそうで、フローリアはこっそり目を逸らした。
なぜゼインは、目が合っただけで微笑みかけてくれるのだろう。
王都にいる家族や、義妹にしか笑いかけない婚約者は、興味すらなさそうだったのに。
けれどあの頃は、フローリア自身笑顔を忘れていたように思う。妙に寒々しい気持ちが常に胸にあって、それを打ち消すため、躍起になって聖女の役割を果たそうとしていた。
……ギルレイド辺境伯領は、王都では『絶望の地』として有名だった。
それなのにフローリアはここに来て、温かなものをもらってばかりだ。
優しさや気遣い。信頼、笑顔。
心が息を吹き返していくようで、いつの間にかフローリアも笑っていた。自分の思いを口にすることを、恐れなくなっていた。
――あぁ……これがきっと……。
幸せというもの。
当たり前に分かち合うもの。
全てこの地に生きる人々が教えてくれた。メルエ達や……ゼインが。
どこまでも広がっていく灰白色の大地と、遠くに見える雪を被った険しい山。魔獣の森。
青い空の下で輝くギルレイド辺境伯領の、たくましくも温かな人々。
この地で彼らと共に生きていきたい。笑い合っていたい。
この先も……ずっと。
全然本編と関係ないのですが、
『今日から、契約家族はじめます。』という拙作を原作にしたコミカライズが、発売しました!
心温まる素敵なお話になっておりますので、ぜひよろしくお願いします!!




