浄化の魔道具
先導するコルラッドが、素早く剣を振り抜く。
彼が使用しているのは珍しい曲刀だ。その鋭い軌道がひと息に、ウサギのような魔獣を屠る。
穴砂兎という、小さいけれど後ろ足の力が強く、人にも危害を加えることのある魔獣だ。
高い跳躍で翻弄されてもおかしくないのに、コルラッドは一瞬で穴砂兎の命を刈り取る。
剣の腕は嗜み程度だと言っていたのに、騎士にも匹敵する実力だった。
フローリアはこれまでコルラッドの屋敷に籠もっていたので知らなかったが、大型魔獣が襲来する時は、小型の魔獣も同時に複数出現するらしい。
ゼインがあれほど心配していたのも、おそらくこれが理由だったのだろう。
「コルラッドさん、本当にお強いのですね……」
「この地で領主の補佐官として生きるには、最低限の技能です」
魔力吸収布で刃の血液を拭き取ったコルラッドが、先を急ぐように合図を出す。
フローリアは従って走り出したけれど、この全力すら彼にとっては徐行なのだろう。
最低限の技能という言葉が耳に痛い。
唇を噛んでいると、コルラッドは呼吸を乱さずに口を開いた。
「あなたには他にやれることがあるでしょう。それはあなただけの持ち味です」
「……」
完全に心を読まれているが、彼なのだからこのくらいではもう驚かない。
「そう言ってくださるのは、嬉しいですが、私も、足手まといには、なりたくありませんっ……」
息切れしながら懸命に主張する。
同時に、彼がなぜ表情を読んでくれたのかを悟った。こうして喋るだけでも、フローリアには体力の消耗が凄まじい。
「努力しようとおっしゃるのを否定するつもりはありませんが、一朝一夕に身に付くものではありませんよ。私は、メルエに容赦なく鍛えられたのです。八年前の戦時下に、実地でね」
「……もしかして、それがお二人の、馴れ初め?」
答えがあるとは思わず問いかけたのは、気分を紛らわすためだった。
疲労困憊の状態な上、これから魔獣と対峙することになるのだ。何とか緊張を和らげたかった。
コルラッドは、わりとあっさり話に乗った。
「馴れ初めと呼ぶほど甘いものじゃありませんがね。八年前、ユルゲン帝国と休戦協定が結ばれた時、何となく一緒になっておこうかという流れになっただけですので」
何となくと言いつつ、彼の表情は優しい。
「メルエは人として尊敬できましたし、気心も知れておりました。彼女ならばこの先嫌になることはないだろうとね。受け入れてくれさえすれば、好きになっていく自信はありましたし」
「な、なるほど……」
何だか壮大な惚気を聞かされている。
淡々と、燃え上がるものは一切なさそうに話しているが、不思議と恐ろしく惚気だ。
フローリアは、運動以外の理由で頬が熱くなるのを感じた。
しかもこちらの意図を汲み、不安を紛らわせようとしてくれているのも分かる。本当に至れり尽くせりすぎて怖い。
コルラッドは的確で鋭い。けれど、逃げを許さない鋭さは、いつでも間違いなく真実だった。
彼は決して嘘をつかない。現実から目を逸らさない強さを持っている。
強くて優しい、本当に似合いの夫婦だ。
フローリアは神妙な面持ちで、握り締めた長杖型の魔道具を見下ろした。
努力を重ねて製作した魔道具が機能するのかも不安だが、何より怖いのは知り合いが怪我をすることだった。
フローリアが作ったのは、あくまで浄化の魔道具。治癒を施すものではない。
僅かばかりの癒やしの術なら使えるけれど、願わくば、誰も怪我せず今日を乗りきれたらいい。
誰かにとっての大切な人に、悲しいことが起こらないように。
フローリアの頭の中にもメルエやロロナ、そしてゼインの顔が浮かんだ。ギルレイド辺境伯領に来てから出会った、たくさんの人達。
彼らがフローリアを当然のように受け入れてくれたから、少しずつ前を向けるようになった。全てを悲観し縮こまるのはやめて、自分にできることをしたいと考えられるようになった。
全部、守りたい。
何度か小型の魔獣を斬り伏せながら進み、ようやく遠くに魔獣の森が見えてきた。
森付近に小さな人影も複数ある。
あれが辺境伯領の騎士なら、フローリア達も飛行種の魔獣の射程範囲内に入っているかもしれない。上空に注意を払いながら走り続ける。
飛行種と聞いているが、どのような魔獣だろう。
鳥型だけでなく虫型もいる。大きなトカゲに羽が生えたような、ドラゴン種もいる。
鳥型ならば雷電鳥のように水や雷を操るものがいるし、虫型ならば毒を持つものも多い。どれであっても厄介だった。
その中でも一際危険なのは……。
フローリアの脳裏によぎった嫌な予感は、大きな風切り音と共に聞こえた獰猛な咆哮によって確信に変わる。
大きな羽が地面に影を落とした。
舌打ちをしたコルラッドが、フローリアの頭をやや乱暴に押さえる。
岩のようにごつごつとした、暗褐色の体表。背中から尾にかけて鋭い棘がたくさん並び、皮膜のような羽には凶悪な鉤爪が伸びている。
――ドラゴン型の魔獣……!!
動きが早く飛行も巧み。
魔獣の多くは家畜を襲って捕食する。その際に人を傷付けることもあるのだが、ドラゴンの場合は意図的に人を襲う獰猛さをも併せ持っている。
頭上を通り過ぎていく巨体を見上げながら、フローリアは戦慄した。
あの速度で飛行する魔獣を、果たして撃ち落とすことができるのか。
人を相手取るのとは明らかに勝手が違う。ましてや、魔獣の血には毒素が含まれているのだから。
ドラゴンがほとんど怪我を負っていない点から、見えてくるものがある。
騎士達が、今後領地に降りかかる実害さえ最小限に抑えようと、冷静に算段しているのが分かった。
負傷者が出ていないのも、本来なら驚くべきことなのだ。
「――フローリア殿!!」
聞き慣れた声がいつものように、けれどいつもより切迫感を帯びてフローリアの名を呼んだ。
ドラゴンがこちらを標的にして滑空していた。
コルラッドが盾のように前に出るが、背後にフローリアを守りながらでは形勢が不利だ。かといって、安易に離れればドラゴンの餌食になることは目に見えている。
判断は素早かった。
ゼインがこちらに駆け付けようとしているが、それより先にフローリアは叫んだ。
「【起動 浄化】!!」
魔力を流すと、黒杖が青く光り輝く。
目を刺すような閃光に怯んだドラゴンが、ギャッと鳴いて上空へと回避する。
ただの目眩ましとして使ったけれど、これは騎士達への報せでもあった。
「浄化の魔導具が完成しました! ドラゴン討伐はたいへんでしょうが――けれど少なくとも、戦闘時の出血はもう心配しないでください!」
フローリアの叫びは、無事騎士達に届いたらしい。遠くで、勝ちが確定したわけでもないのに喝采が上がった。
「ありがとうございます、フローリア様!」
「最高です! 愛してる!」
「お前、それだけはやめておけ。消されるぞ」
「ちょっとあなたドラゴンの的にだけはならないでよー! 護衛を任された私が怒られるんだから!」
知り合いと思われる声もちらほらと交ざっていて、フローリアは微笑みを浮かべる。
そうしている内に、ゼインがようやくこちらにたどり着いた。
「フローリア殿……! ご無事でよかった!」
「ゼインさんも、ご無事で何よりです」
「あなたの機転と勇気に感謝を。――浄化の魔道具は、うまく機能しそうですか?」
フローリアは、あえて強気に笑ってみせた。
自信なんてなくても、最前線で弱気は命取り。それは八年前に嫌というほど思い知らされている。
「もちろんです。――勇敢なる騎士のみなさまに、確実なる勝利を」
戦時下を思い出していたフローリアは、咄嗟に当時頻繁に使っていた言葉を口にする。
ゼインは虚を突かれたように目を見開いたあと、頼りがいのある笑みを浮かべた。
「では、こちらが合図を出すので、合わせていただけると助かります。コルラッドは引き続き彼女を守ってくれ」
「分かりました」
「承知いたしました、ゼイン様」
ゼインが長いマントを翻し、ドラゴンの下へと向かっていく。
大剣を構えながら、合流した騎士達に何か指示を出しているようだ。
まずは弓を操るメルエが、連続で矢を射出する。
ドラゴンは飛行の軌道を変えて悠々と避けた。
だが、それははじめから当てるためのものではなかったようだ。あれは――誘導だ。
矢を避けるため、ドラゴンが魔獣の森に近付く。そこに、複数の騎士が待ち伏せしていた。
木の上で身を潜めていたロロナを含む身軽な者達が、飛び上がって一太刀浴びせにいく。
しかしそれすら、羽を傷付けるための攻撃でしかなかった。皮膜のような羽からは出血しないため、器用にそこだけを狙って斬りつける。
その後ロロナ達は、くるりと勢いを殺して見事な着地を決めていた。
そして、羽を傷めて飛行高度が下がったドラゴンを待ち構えるのは――大剣を振り上げたゼイン。
「フローリア殿!!」
ゼインの声に応え、フローリアは構えていた黒杖を高くかざした。
魔道具が完成したといっても、どれほど自信満々にみせたとしても、効果範囲は未知数。試験をする暇さえなかったことをゼインも把握している。
だから、優秀な将である彼が合図を出すなら、この瞬間だと思っていた。万が一が起こっても被害を抑えるために。
ドラゴンに致命傷を与える……この一瞬。
「――【起動 浄化】!!」
全身全霊で魔力を流すと、黒杖の魔道具が鮮烈な光を放った。




