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Mr.シービー


 取り立てて言うこともない三日月の夜は、明日にとって申し分ない日和りだった。軽快な足取りで進む夜道は大変気分が良く、少し道に迷いつつ目的地で足を止めた。


 ――MIDNIGHT


 ドアにお洒落なプレートが掛かっていた。しかしこんな辺境に客など来るのだろうか。甚だ疑問に思いながら開けると、今夜も青空が爽快だった。


「こんばんはお嬢さん。先に一杯頂いてるよ」


 恰幅の良い白髭の男性がカウンターに座っていた。手に持つグラスは絶え間なく七色に光輝き、ベリー色の酒が神々しい。それ以上に気掛かりだったのは、砕子も乃蒼も不在で、ジュンの姿さえなかった。


「どうも……いらっしゃいませ」

「はは。そう警戒せんでも。新入りさんだろ? 話は砕子から聞いとる。オープン以来のしがない常連だよ」


 明日はカウンター内に立つと、男性と握手をした。ミッドナイトの見習いとして初の役目は、硬い表情の挨拶。手を放して直立不動になり、ふと乃蒼のアドバイスを頭で復唱する。


 一人の時に客が来たら、適当に酒を出す。

 出す酒に文句を言う客は滅多にいない。

 ほぼ全員砕子に用事があるから、不在の時は待たせる。

 会話は相手次第。

 酒は飲んでもいい。やっぱだめ。明日ちゃんは未成年だからダメ。

 左手は革手袋必須。

 服装はジャージで結構。


「聞いた通りだ。お前さん、左手がアノマリーなんだろ?」

「ええまぁ。やっぱりお客さんってみんなアノマリー知ってるんですね」

「当然さ。客はほとんど砕子と同類……いや、同業者だからな」

「え? 業者なんですか? アノマリーを売るんですか?」

「そうさ。この世は広い。アノマリーは良い飯のタネだ」


 男はグラスを置いて、懐から紙幣を一枚出すと横に置いた。桃色で見知らぬ記号が沢山あり、中心には水牛に酷似した頭を持つ正装の人間が、両手を広げている。


「左手のアノマリーの力、見せてくれないか? 何かわかるかもしれんぞ」

「これに触れて壊せと?」

「その通り。お手並み拝見といこう」


 以前と同じ手順なら、手を焼くこともないだろう。

 手袋を外した明日は紙幣を手に取って少し驚いた。てっきり紙かと思っていたが、アルミホイルに似た手触りだった。こねる感じに握り潰してみたところ、圧縮された丸い塊になり、広げてシワを伸ばすと、一瞬でピン札になった。男は困惑している明日に我慢できずに笑う。


「じゃあやってみますよ――」


 紙幣に左の掌を当てた。テーブルの無事を祈りつつ、慎重に右手で傷に触れた。

 音は鳴らない。紙幣が粉末になることも、液状化することもない。かと言って傷が痛むこともなかった。見た目は変わらず、テーブルの紙幣はそのまま。


「何も変わりませんね」

「それはどうかな?」


 男が明日の手を退けて紙幣を持ち上げる。


「この通りだ。やるなお嬢さん」


 二枚に増えていた。テーブルには明るい紙幣が二枚並ぶ。降って湧いたサプライズな光景に、明日は目を丸くした。


「これもアノマリーさ。どんな破損が生じようとも、分裂して『破損』という事実を処理するらしい。その手のアノマリーはホンモノだな」

「これが何か知ってますか? 怖いんですが」

「うーん。正直に言うと、ようわからん。十五からこの世界にいるが、人間に宿って同類を壊すアノマリーは初耳だよ」

「こんな危ない手、本当に手袋一つで抑え込めてるのかさえ疑問です」

「砕子のくれた手袋だろ? お友達を消さない手段としては、それが最善策だろう」


 男は席を立つと、増えた紙幣を明日に渡した。


「さて。予定があるので、そろそろ失礼するよ。砕子によろしく」

「はあ。これは?」

「お代だよ。くれぐれも、ソイツを手にしたままドアを開けるな」

「どうして? ドアが増えるとか?」

「そいつは通貨であり、入場券さ。危険度は低いがな。わかるだろ?」


 グラスの中身を一気に飲み干すと、手を振りながら男はミッドナイトを出た。

 静かな店内に、渡された紙幣の擦れる音だけが現れる。改めて鑑定士気分になって調べてみたが、書かれている言葉も正装の人物にも心当たりがなく、そもそもお代としてコレを受け取ることが正解だったのかさえわからない。

 男の言っていたことは本当だろうか。

 ってかまたドアかよ。

 危険は少ないらしい。

 好奇心というより、単に暇が嫌なだけ。

 明日は何気なく一枚手にすると、入り口のドアの前で立ち止まる。こうなると逆に恐怖側が開けるのか最終確認を促してくれる。

 だから、少し見てみるだけ。本当に少し。お試しで5センチくらい。

 開けた瞬間、腕が吹き飛ぶなんてことはなかった。だから安心して全開にすると、そこは廊下だった。ピカピカの床に明日の姿が薄っすらと映り込み、大きな窓の外には純白の宮殿らしき建造物がそびえていた。

 団地の階段じゃない事実については、新入りの明日には考える余裕が失われている。廊下は途方もなく続いて先が見えない。


「おや。どちら様でしょうか?」


 突然の問いかけに、声が出ないほど肝を潰した。振り返った明日はさらに追加で尻餅をつく。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 相手に手を差し伸べられたものの、気が動転して動けない。

 まず侵入者同然なのに早々と見つかったのが一つ。そして相手の容姿が二つ目。


「あ、ありがと。平気です」


 自力で立ち上がった明日は、どうしても相手の額から天へ伸びる一角が気になる。それでもしっかりとブルーのスーツを着こなす感じは好印象だった。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「私はえーっと、人間です」

「それは承知しております。我々とは頭の種類が違いますから」

「ですよね!」


 牛に似た顔を持つ相手は、耳をパタパタと動かす。穏便に済ませたい一心で、明日は気前よく笑顔を取って付けた。


「私はその、ミッドナイトの新入りでして、意味わかります?」

「ミッドナイトの方でしたか。わかりますとも」

「知ってるんですか? こっちのこと」

「もちろん。砕子様には何度も助けられてます。我が国から勲章も」

「……国? カントリー?」

「もちろん。ここはブワンガ・オブ・ンルバーダでございます」


 当然明日は呆気に取られた。

 案内致しましょうと親切にしてくれた人はンルバーダ人であると誇り高く言った。丁寧にお辞儀をする姿は、コンシェルジュかホテルのフロントに見えた。


「マーと申します。実はですね。近々そちらに伺おうと考えておりました。こうしてミッドナイトの方に出会えたのは神の導きでしょう」

「お酒かアノマリーが必要なんですか?」

「いいえ。Mr.シービーがまた行方不明に。以前は砕子様が速やかに発見して下さいましたので、今回も是非、ミッドナイトから来た貴女に」

「明日と呼んでください。話聞いちゃいましたし、出来ることがあればやってみます。駄目そうなら砕子さん呼びましょう!」


 先に礼を述べると、マーは案内をすると言って歩き出した。全てが代わり映えしない光景の中、明日は黙々とその後ろを歩いた。そのあまりの静けさに声を出すタイミングを失っていたが、助け船の的にマーから口を開いてくれる。


「砕子様の助手を?」

「強いて言えば下っ端ですね。店番ってやつ。この場所って、アノマリー的な?」

「いえ、私やこの宮殿は、実在する本物ですよ。もちろん我々から見て不可思議な物や現象があれば、それはアノマリーになると砕子様は仰っています。大抵は貴女と同じ感性と価値観かと」


 アノマリーだと言っていた紙幣。でもその先に待っていたのは、アノマリーではない世界らしい。こんがらがった明日は歩きながら器用にクルクルと回転した。左手でマーに触れれば真意は確かめられたが、もし消失でもしたら一躍罪悪感が襲い掛かる。


「着きました。この部屋になります」


 目的地は、明日から見てよくわからない記号が書かれた黒い扉。

 マーが開けると、中は恐ろしいくらい天井が高く照明は霧が掛かって見えない。すぐ目の前には馬鹿でかい壁が行く手を塞ぎ、フローリングに似た床は左右に分かれていた。室内だと明日は思ったが、森林のような湿った空気を肌で感じた。


「この部屋のどこかに、Mrシービーがいるはずです。どうか見つけ出して連れてきて頂きたい」

「そのシービーさんって、アノマリーってことですよね。砕子さんの手下である私に依頼するってことは?」

「ご名答。故に我々では手を焼く存在なのです。私は執務室にいつでもいます。必要であれば、いつでもいらしてください。それでは、お願いいたします」


 言われるがまま。明日は部屋に入るとスッキリと無音の空間に包まれた。

 さて、どうしたものか。

 溜息を従えて別れ道を確認した。

 どちらもすぐに壁に当たり、そしてまた左右に別れ道。


「迷路……?」


 パンのかけらを持ってくるべきだった。明日は天を仰ぐ。

 突っ立ってても何も始まらない。困ってる人がいるなら、助けたい。頼られたんだから。

 自分の記憶力と空間認識能力と幸運値を信じて、孤軍奮闘の時間は幕を開ける。手始めに右へ進むと、早速行き止まりという先客が迎えてくれた。この事実をポジティブに捉えて、明日は戻って反対の道へ進む。

 無機質な白い壁が延々とあったが、途中から廃墟に見られるようなスプレー缶の落書きみたいな紋様に様変わりした。見てるだけで目が疲れて、明日は顔を足元に下げた。

 行き止まり、別の道。コンベアの流れ作業みたいに数回繰り返した。


「――迷子はだーれだ。泣き虫ちゃんかな? 勇敢な勇者かな? それにしては角が無いな!」


 初めて十字路に遭遇して立ち止った時である、機械の音声みたいなアナウンスが天井から降り注いだ。照明が数回点滅する。


「人間だから、角はないよ。それより誰か、シービーって知らないかなぁ」


 独り言。迷路では心強い相棒。笑い声が返ってくる。


「――いいね。人間か! 久しぶり。そうさ、俺が噂のMr.シービー。マーに探せと言われたんだろ? 俺は天邪鬼でね、今はダラダラと自由が欲しいんだ」

「もしかして悪者?」

「――まさか! 俺が? 王宮のためにどれだけ稼働してると思う? どうせまた雑用だよ。メンドイ日もあるんだよ」

「ここに仕えてる身なら、それは幼稚な我儘じゃん」

「――へへ、言うなお前。じゃあ俺を見つけてくれよ。そしたら大人しく部屋を出てパーティーだ」

「……言ったね? 何だかやる気出て来たわ。無断で羽目を外す誰かと違って」


 壁を一発殴って、明日は直進する。今度は打って変わって床が緩やかな勾配を持ち、半端なアップダウンが現れるも、小走りで越えた。終始感じの悪い笑い声が煽ってくる中で。

 こんなヤツクラスにいたな。

 教室の掃除をサボって雑巾でキャッチボールしていた。あの時もこんな笑い声が教室を支配していた。イラッとした私が雑巾を箒で場外ホームランにして、サボっていた連中は先生に注意された。この時と同じでいい。

 何が何でも取っ捕まえてやろう。明日は気合を入れて走り出す。


「――調子はどうだ? 安心しろよ、別れ道は少なくしてやる。俺からの優しさだ」


 言葉の通り、次に訪れた場所は最初のような二手。しかし今回は道幅が異常に狭小で、おおよそ人が通る場所に見えない。無理を承知で体を押し込んで先を目指した明日だったが、予想通り中間あたりでお尻が引っかかった。たちまち体を上下に揺さぶりながら引き返すと、陽気な口笛が聞こえる。


「――いいケツしてんじゃん。あんなところで詰まるのお前くらいだぞ」

「ここ人間いないもんね。史上初ってことで石碑でも立てておいて」

「――どうだか。いい加減諦めて帰れよ。シービー様の貴重な時間だってのに」

「そんなにマーたちが嫌なの?」

「――そうじゃねえ。俺は扱いに不満があんだよ。俺にはいつ休暇が与えられるんだって聞いたら王宮の連中、鼻で笑うんだ。おまけにネットも煙草も無いなんてアホだろ」

「さっきからアンタ、人間っぽい話し方だけど、この国の人じゃないの?」

「――あたり前だろ。俺に角なんてねえよ。元々はお前と同じ場所から来たんだよ」

「ここって、アノマリーの世界じゃないんだよね? マーはそう言ってたけど」

「――それはマジ。この国もマーたちンルバーダ人も実在する。奴らはアノマリーなんかじゃねえ。むしろ俺らがアノマリー」


 明日はもしこの場にいるのが砕子だったらと考えた。この先何が起きても涼しい顔であっという間に解決して、今頃ミッドナイトで祝杯でもあげてるに違いない。

 通路から抜け出た明日は、すぐに気づいたことがあった。二つあったはずの狭い道は、自分の抜け出たルート一つしか見当たらない。注意深く壁を触ってみても、そこは壁以外の何者でもなかった。


「普通の迷路じゃない……、当然か」


 回れ右。十字路まで戻ろうとした明日を釘付けにする物があった。

 さっきまではなかった。でもさっき見た紋様の落書きが床に存在した。口を結んで停止する明日にしびれを切らしたのか、紋様は池の鯉みたく揺らめき、泳ぐように壁へ移動した。


「――ソイツがこの部屋の主だ。レイアウトを自由に変更する。奥にいる俺に誰も近づけないために。最高の友人だな」


 ハッと閃いた。発明家になった気分。打開策としては最高のアイディア。


「ねえシービー。さっき『俺ら』がアノマリーって言ったよね?」

「――それがどうした? 諦めて帰る気になったか?」

「あんたがアノマリーなのは知ってるけど、もう一つはこの迷路を形成する壁のこと? それともあの変な落書き?」

「――両方だよ。言ってみれば、こいつは迷宮草ってやつだ。どんな場所でも根を生やして、壁で迷路を作っちまう。ここのお嬢様が物好きでね、たまに簡単な迷路で遊ぶってわけだ」

「もしもだよ。この壁壊したら、どうなる?」

「――そりゃ……。わからん。そんな場面に会ったことねえ。けどコイツが死ぬことはないだろ。本体はそっちのマークだ」

「オッケー」


 こうなれば脳内でカントリーミュージックが待ってましたと産声を上げる。どう見てもディスコミュージックに乗るような軽やかなステップで壁に接近すると、愛犬でも褒めるような柔らかい手つきで左手で壁を殴った。


「弁償してくれは、なしだよ?」


 手袋から手を引き抜いて、壁が壊せないか試した。

 押し当てた左手に右手を添えると、壁は簡単に粉々となり崩落した。現れた通路は四つの道に分かれている。壊せると知った以上、もう明日には関係ない。


「――何だお前!? 殺し屋か!?」

「かもね。大人しく出てくる?」

「そんな性格に見えるか?」

「まだ姿見てないけど?」


 こうなったらこっちのもの。明日は調子の波に乗る。

 手当たり次第に次々と壁にメンチを切っては、連戦に連勝を優雅に重ねた。徐々に広がっていくテリトリーは、シービーの居所へ確実に導いた。明日がついに部屋の角を見つけて近づくと、生き残っていた一枚の壁の向こうから笑い声が聞こえた。


「――お前待て! どうやって壁壊してるんだ? 本体には絶対に手を出すなよ!」


 壊さなくても回りこめば済む話だが、破壊神と化した明日に穏やかな心の余裕はない。我先にと左手が動き、息を吐けば壁が消えた。


「やっと会えたね。ここで会ったが百年……」


 肩透かしにあった。そこには大型収納コンテナが一つだけ置かれていた。カーキ色の本体には、黄色で沢山数字が明記されていて、蓋にはCrashBoxと塗料で殴り書きされている。

 どう見てもコレが目的の相手。

 湿気た気分に押されてコンテナを足で小突くと、けたたましくコンテナがガタガタと揺れた。ストレスが溜まるタイプの騒音に対処すべく、明日が咳払いをしてその上に座る。正しくは抑え込んだ。


「――何て野郎だこのチート娘! もっと慈悲深く接してもいいだろ」

「野郎じゃないしチートはお互い様でしょ。物なのは予想外」

「――俺はここで雑用してる。お前の住む世界で色々あって、この宮殿なら平和に暮らせるって言われたんだ。要するに商品として売られた。砕子にな」

「なるほどね。何でこんな迷路に? キャスター付きじゃないように見えるけど」

「――そこで相棒さ。ここの迷路を作ってる相棒。あの落書きみたいなヤツだよ。ギリギリ俺のこと動かせる。使用頻度が高くて逃げ出したい時に救われてる。名前は無い。売られ仲間の先輩だ」


 明日の足元に紋様がうねうねと浮かび上がると、スニーカーの横で申し訳なさそうに縮こまった。


「――相棒はお前が怒ってると思ってるらしい」

「別に怒ってないから安心して、このコンテナ野郎をマーのところへ持って行きたいだけ。君を壊したりしないよ。壁は壊しちゃったけどね」

「――お前のその手、変わってんな。そう言う趣味なのか?」

「だといいけど不正解。何か知らない? 砕子さんいわく、この傷はアノマリーらしいけど」

「――人体に付く奴は初めて見るな。こっちでもアノマリーは珍しい。でも砕子が言うならマジなんだろ」

「ふーん。ってかシービーはどんなアノマリーなの?」

「――書いてある通り、クラッシュボックスだ」

「……それが何か知りたいの」

「――そのセリフ、砕子に会った時を思い出すぜ。何か俺の中に入れてみ? ボックスに収まる物体なら何でもクラッシュだ」

「まるで私の手じゃん」

「――よう兄弟」

「何でもいいの? 私の手じゃ壊せない物でもいい?」

「――当てようかベイビー? それは紙幣じゃないか? 俺は知ってるぞ」


 なら話が早い。立ち上がって、ポケットからクシャクシャに丸められていた紙幣を取り出すと、シービーは口笛で歓迎。陽気な音色に味を占めて英語の歌を歌い出したが、すぐさま明日が蹴飛ばして止めた。


「この紙幣アノマリーだよね。私じゃ壊せなくて」

「――増えたんだろ? コレは増殖する紙幣だ。稀に出現してんだよ。どうも発行してる銀行が怪しい。ンルバーダ人も、無条件に富豪になれるアノマリーを野放しにはしない。そこで俺の出番だ」


 金属の留め具を外して蓋を開けると、中は空っぽだった。

 紙幣を投げ入れて閉めると、シービーは露骨にテンションを上げる。蚊帳の外の明日は意味があるのか計りかねる部分があったが、シービーから離れた。


「――これは……! かなりの回数分裂を繰り返したな! 印刷のズレが偽札レベルだ! でもアノマリーはスゴイぜ? こんなんでも本物として使える。誰も疑わない! 俺たちみたいな流れ者、鏡の中から手を差し伸べる連中だけが知ってる! 俺はCrashBox。あの子はそう、神の祈りの子!」


 シービーは取り乱した様子で震えだし、暴れながら体を何度か回転させた。


「――……ふう。終わったぜ。完了だ。最高だ。開けて見てみ?」


 明日が確認してみると、そこに紙幣は確認できず、コンテナの中は綺麗な星形の花でいっぱいになっていた。一気呵成に押し寄せる強烈な甘い香りに、堪らず蓋を落とした。


「消えて無くなるんじゃないんだね」

「――それじゃあ退屈だろ。俺は出来るアノマリーだから……な!」

「その出来るアノマリーさんに、用事があるのですが?」


 突然のマー登場に、二人は驚きの声を出し、明日はシービーの上に倒れ込んだ。


「ありがとうございました。どうしてもシービーが必要でして」

「――あの顔見ろ。きっと嫌なお役目だ」

「例えば?」

「――俺って生き物も対象範囲なんだ。国民とか。運搬よろしくな」


 マーと明日はシービーを持ち上げて部屋の外に運び出す。廊下ではマーと同じ服装の人たちが数人待っていて、シービーを担ぎ上げてどこかへ運んでいく。そんなシュールな光景を手を振って見送った。


「シービーは執務室が定位置でして。用事が済んだらまた戻します」

「あの部屋の迷路は大丈夫ですか? ハチャメチャに壊しちゃいましたが」

「明日の朝には元通りでしょう。あの迷路は日替わりです。シービーを含め、ここのアノマリーはお嬢様のコレクションです。私には少々理解しがたい趣味ですね。結構お時間を取ってしまいましたが、よろしかったのですか?」

「そんなに短気じゃないでしょ、砕子さんは。帰って事情を話せば問題なし。あっ」

「どうされました? 何でも仰ってください」

「お金。ここに来るのに使った紙幣。シービーに……」


 マーは大笑いした。明日はそれどころじゃない。


「紙幣については、存じております。新しい物をご用意致したいのですが、今回は不要かと」

「え? まさか投獄?」

「いいえ。お迎えが待っておりますよ。ご案内します」


 一体誰だ。ここにいることは、誰も知らないはず。あの人なら把握していても不思議じゃないけど。

 少し歩いて、城門に似た扉がゆっくり開くと、知った顔があった。驚きの隠せない明日は名前を叫んだ。


「乃蒼!」


 そう呼ばれた本人はニコニコで近づいては、明日の体にボディーチェックの要領で触れた。


「大丈夫だった?」

「え、うん。何でここに?」

「こっちのセリフだよ。冀さんが新人しか店にいなかったって言うから、急いで戻ったらいないんだもん」

「あの白髭の人? そんな名前だったんだ」

「今夜は砕子さん不在だから、ジュン君と一緒にお使いに行って、その帰りに会った。それでミッドナイトに戻ったら、これが」


 乃蒼は見覚えのある紙幣を見せた。明日はカウンターの上でコレを増やした自分を思い出す。非常に察しの良い乃蒼を見て、友人冥利に尽きると感じた。だから思わずしたハグも許されるという算段である。実際に乃蒼は気にせず、心配を続けた。


「何だか勝手な行動してごめんね。新入りなのにさ」

「別に砕子さんも怒らないよ。ミッドナイトが更地にでもならなきゃね」


 ひと段落着いた。一先ず乃蒼と帰ろうとした時、マーがお礼の品だと言って透明な箱を明日に渡す。熱帯魚でも飼おうかと思ったが、よく見れば中に何か入っている。取り出したそれは、今夜ミッドナイトで見た七色のグラスだった。乃蒼が言葉を飾って、自宅に持って帰っていいと進めたものの、きっと普通のグラスじゃないだろうと悟り辞退する意向を示した。

 またのお越しをお待ちしております。

 マーに見送られて、二人はミッドナイトへ帰ってきた。

 カウンターの端には缶のコーラを飲むジュン。


「どんな用事で、ンルバーダへ行ったのかしら?」


 背後から砕子のご登場に、二人は驚いて声を上げた。その声に驚いたジュンは缶を倒しそうになる。


「偶然お邪魔しただけです。はいこれ、お土産です」

「このグラスさ、十個集めると勲章に交換できるぞ。がんばれ」

「あっ。砕子さんは勲章持ちだって」

「マーだな? 顔に書いてあるぞ。シービーを販売した時が、その十個目」


 ジュンの隣に座った明日は、至極当然のようにコーラを一口もらう。唖然とするジュンに乃蒼は同情の苦笑い。我関せずの砕子は、お土産のグラスに酒を少しだけ注ぎグッと一口で飲み干した。


「シービーは口が少し悪かったろ。昔からだよ」

「人でも中に入れれるとか」

「そうさ。マーたち宮殿の者は追放と呼ぶイベントらしい。まあ処刑だな。白い花だったろ? 何でもあの花に変える。本人は壊してるつもりらしい」

「売っておいてソレなんですね。迷路を作ってたアノマリーは?」

「よくわからん。名前もない。でも有害じゃないからお嬢様に見せて、売りつけた。良い値段だったぞ。いつか明日も売り子になれ。ってかその予定」

「今のうちに震え上がっておきますね。ところでなんとかバーダってどこにあるんですか?」

「ん? 外だけど?」

「この辺?」

「そうじゃない。地球の外」


 おもむろにジュンを見ると、何かに立ち向かうように右頬を膨らませている。気を使える明日は適当に頭を撫でて機嫌を取った。


「意味が不明です」

「ンルバーダは地球ではない他の惑星だよ。意味は奇跡の星。偶然我々と似た出で立ちで、酸素があり、文化が発展していて、言葉を理解してくれる。言語についてはアレらには相手に合わせる能力があるらしい。そんな摩訶不思議な場所に行けるのが、あの紙幣さ」

「宇宙人ってことですか?」

「そうとも言える。お互いにな。客としては民度良くて最高だよ。あっちの金は、アノマリー化したやつ以外不要だがな。取引は物々交換なんだ。ンルバーダ産の物を、こっちで売って金にする」


 砕子がグラスを指の爪で鳴らすと、ピアノに似た様々な音が響く。水の滴るような乾いた高音に得も言われぬ安堵に襲われた明日は、グラスもアノマリーなんだろうと実感する。自分でも鳴らしてみると同時に、客が一人ミッドナイトへ入ってくる。


「いらっしゃい。贈答品をお探しなら、うってつけがあるぞ?」



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