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出会い 3

 日没を迎えた奥兎市ほど暗い顔の自治体はないと、明日は中学に進学した辺りから薄々考えていた。住人が少ない以上、当然民家の明かりが少ない。夜道を照らす黴が生える5秒前な街灯も、過剰なくらい遠慮がちにアスファルトに光を浴びせていた。


「ジュン。かんじわからない」


 つかぬ事として、少年に名前を尋ねた。帰宅してすぐのことである。右手のパーを出して、歳が五歳であることも示した。

 ミッドナイト。砕子がいるらしいその店は、開店時間の日没まで余裕があった。一度ジュンを連れて家路に着いて、明日は制服を着替えることにした。選り取り見取りと言えるほど服は持っていないが、何着かベッドに並べて頭を絞り吟味する。

 プリーツのついたワンピースはお気に入りだけど、グラデーションが少し派手に思われるかも。ここは一度も着用してないTシャツを起用するべきか。温泉旅行を楽しんだ友人から頂いたゆるキャラが温泉に浸かる一品。これはこれでラフでアリかもしれない。ひと風呂浴びて行けば百点満点。


「せいふくでいい。のあもそうしてる」


 ジュンの鶴の一声により衣装が決定した明日は、出掛ける支度を着々と進めた。シャワーくらいしかやる事なんてなかったのは通常営業の極み。

 ご丁寧に日の入り時刻を調べて、帳が下りたことを確認した明日は、いよいよジュンと自宅を出た。

 奥兎でも一際人口密度の低い夜覧地区へ行く方法は徒歩しか選択の余地はない。バスは16時を最後にあちらへは向かわず、自転車でニケツは転ばぬ自信がなかった。

 しかし不幸中の幸いで、住んでいる星隠と夜覧は隣接しており、自宅の位置は二つの地区の境界線に近かった。雑草が縦横無尽に生えた公園と白線がひび割れた路地を進んで、明日たちは速やかに夜覧地区へと足を踏み入れた。


「おみせのばしょ」

「ジュン知ってるの?」

「あっち。けはいがする。おなじアノマリー。おねえちゃんがよんでる」

「じゃああっちが四丁目?」

「しろいたてもの。にかいにいる」


 夜覧地区はそのほとんどが夜覧団地と呼ばれる。かつての宅地開発によって一丁目から四丁目までがそれに該当し、その中で四丁目はドミノのように集合住宅がきっちりと並んでいた。

 遠くで催されている蛙の合唱を引っさげて、二人は敷地を囲む規制線をなぞる。そこは人が住んでいない証拠だと言わんばかりに街灯は機能しておらず、頼みの綱は頭上の月光だった。


「本当にここ? 野犬とかゾンビが出そうなんだけど」

「6のたてもの。ぞんびはほとんどでない」

「それじゃあ不法侵入といきますか。ほとんど?」


 枯れ果てた植え込みへ踏み入って、二人は6号棟を目指して歩いた。ここら辺で明日の中に、こんな場所に店とはどんな了見なんだと疑問が発生していた。

 蔦を着こなす4号棟、入り口が落書きと不法投棄の家電に占拠された5号棟を見学しつつ、その奥にある目的地へ明日の胸が高鳴る。雰囲気が完全にホラーだけど、騙されてないよね。

 やたらと車輪を失った自転車やオートバイが転がる6号棟付近に悪戦苦闘しながら、やっとの思いで入り口へたどり着いた。ジュンはアノマリーの特性だと主張して全ての障害物を問題なくすり抜ける。これも幽霊に似た存在なら普通なんだろうと、明日は自分の考えに違和感持ちながらも強引に納得した。


「だいじょうぶ?」

「うん。私も幽霊だと楽に通れたね」

「そっちじゃない。のりもの」

「別に躓いたりはしなかったよ」

「……あれぜんぶアノマリー。いきてる」


 明日は振り返った。

 絨毯みたく広がっていた廃車の海は、綺麗さっぱり消え失せている。

 なるほど。すでにここは異世界みたいなものか。てっきりここが入り口かと思い込んでいたけど、とっくの昔に踏み込んでいたんだ。

 6号棟の階段は他とは比べ物にならない清潔さを放っていた。新築かと見紛う質感で明日たちを歓迎する。この建物だけは電気が通っているのか、踊り場の蛍光灯が照らしてくれる。正規の方法なのか、自分の知らない未知の方法なのか、明日はジュンに聞くことはしなかった。


「みぎのあおいドア。まってる」


 顔を合わせる瞬間は近い。タイルを張り合わせたデザインのドアをゆっくりと引いた。

 中は全面打ちっ放しのコンクリートで質素この上なく、少し雨のような匂いがした。

 明日は入るのを少しだけ躊躇う。それは建物に対して、この場所は異常と断言できるくらい広大な空間だったからに他ならない。所々にある鉄骨らしき柱は、立体駐車場を思わせてくれる。

 そして明るかった。照明がという意味ではなく。室内に壁が無い様子で、遠くに見慣れた空があった。昼間の室内と考えられる明るさで、雲らしき白い塊も漂っていた。


「こんばんは。明日です。言われた通りに来ました」


 ご丁寧な宣言には訳があった。

 明日の十数メートル正面に、バーカウンターが見える。ダークカラーのL字で、椅子は4つ。カウンター内の棚には煌びやかな酒らしきボトルが無数に並び、教会のステンドグラスのように絢爛華麗で美しい。

 お洒落なバーカウンターであるが、そこに見える不釣り合いな存在に明日はドキドキしていた。

 自分が袖を通している制服お同じ格好の少女が立っていた。手入れの行き届いた漆黒のロングヘアに、明日は見覚えはなかった。しかし顔を一目見た瞬間、相手の名前はわかった。と同時に、喜びの感情が高飛車に沸き立つ。


「……いらっしゃい。明日ちゃん。左手、まだ傷なの?」

「……うん。見た目はアレだけど、痛みは一切ないよ。……本当に乃蒼だね」


 呼ばれた乃蒼は黙って頷く。

 明日は椅子に座ると、緊張からソワソワと落ち着きのない挙動になった。言葉は思い浮かんでいるのに、喉奥で渋滞を起こし詰まった格好でもある。


「わかる? 少し姿が変わったから、気付いてもらえるか不安だった」

「顔がそのまんまだし、忘れないよ。ちょっと成長した?」

「不思議だよね。砕子さんが言うにはね、普通に大人まで成長するらしいの。この制服も砕子さんが着ろって」

「どこで手に入れたんだか。まあ似合ってるよ」


 付かず離れずの雰囲気に、少女たちは自然と笑みが零れる。


「あれ、ジュンがいない。一緒に来たはずなんだけど」

「砕子さんとコンビニ行ったよ。気付かなかった?」

「全然知らん。この辺コンビニなくね?」

「うん。そこでアノマリーなの」

「それな。アノマリーって何なん?」


 慣れた様子で乃蒼は足元の冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して明日に出した。緊張が解けた反動で喉が渇いていた明日は、これ見よがしに一気飲みでボトルを空にしてみせる。そこでようやくボトルのラベルが見知らぬ言語であることを知り、何かを心配するような目で乃蒼を見た。


「水は普通だよね?」

「もちろんだよ、安心して。飲み水のアノマリーは希少なの。それに普通の人間だと飲めないくらい不味いらしいよ」

「乃蒼も飲めるの? 幽霊じゃないの?」

「私もそう思った。今から二月くらい前、あの場所で目覚めた。体はあるし、声も出る。それでも誰一人私に気付いていない様子だった。一人を除いて」

「それが砕子さんって訳だ」

「うん。自分の家を眺めてたら、いきなり『ついてこい』って。覚えてることは全て話した。隣に座っていい?」


 乃蒼は制服ごと体を半透明にすると、悠々とカウンターをすり抜けて明日の隣に座る。


「ジュンもさっきすり抜けてた」

「死んだ人間がアノマリーになるとね、この能力と同類のアノマリーに対する感知能力が身に着くらしいよ。ここで教えてもらったの。次に砕子さんはある提案をくれた」

「ここでバーテンダーをしろって?」

「それもそう。あとアノマリーに関連する手伝い。それと引き換えに、明日ちゃんに会わせてあげるって言われた。暇が出来たら何時でも声は掛けられるって」


 偶然なんかじゃなかった。砕子はそう装っていただけで、ジュンと出会ったあの時点で、とっくに私のことなんて知っていた。要するに掌の上だったらしい。


「あのアパートはね、私たちが小学生の頃はちゃんと住人がいたの。水のおかわりはボトルを軽く振ってね」


 言う通りにボトルを数回シェイクすると、手首に重さが伝わりボトルの中は一瞬で水に満たされた。


「ボトルがアノマリーなの。それでね、今日砕子さんが壊した角部屋。ある年に若い母子が引っ越して来た。近所付き合いは皆無、子供であるジュン君の存在さえ知らない住人もいた。母親はギャンブルか外で作った男の家に入り浸りで、静かな家庭だった」


 乃蒼は自分の身の上話のように目を閉じた。お洒落なカウンターの冷たい空気が、妙な予感を明日に知らせる。自分を気にかけてくれるような子供に、どんな浮世話があるというのか。


「ある夏の日。滞納が続く家賃を催促するために、大家さんが角部屋のドアを叩いた。反応がなかったことに業を煮やしてドアを開けると、そこにジュン君はいた。動かない乾いた手と食べかけのハンカチが全て。無事に曰く付き物件になったアパートは、すぐに閑古鳥が鳴いた。最後の住人が消えた直後、大家さんの存在も立ち消えて、アノマリーだけが残ったの」


 静かな感傷を受ける明日の前に、乃蒼は手を差し出す。そこに置かれたのは、しわくちゃの黄色いハンカチ。角に残る噛み千切った痕跡は、ジュンの顔を思い浮かばせた。


「住人と大家さん以外に消えた人間がいない事実については、運が良かったと言うべきかな。あの地域が過疎なのもあるけどね。そんなアノマリーに近づいた人間が最近現れたの」

「それが私ってことか」

「早く声かけて阻止してって、砕子さんに連絡したんだよ?」

「じゃあ恩人は乃蒼だね。砕子さんは自分だと言っていた気がするけど」

「部下の手柄は上司の物ってね。あの人地味に狡猾なところあるから。この前なんて支払いを誤魔化そうとしてアノマリー――」


 まさに誤魔化すようなタイミングでドアの開く音がした。二人が振り返ると、コンビニの袋を下げた砕子が立っている。しれっと横に並ぶジュンは、大事にお菓子の箱を抱きかかえていた。


「親子?」

「親子だね」

「誰が親子だ」


 砕子はカウンターに入って二人の前に立つ。こともあろうにジュンが床に座り込もうとしたので、見かねた明日が持ち上げて隣に座らせる。


「よく持ち上がるな」

「いや。凄く軽いですから」

「死亡時の体重が影響してますね」

「ああそうだった。乃蒼は突発的な事故死だったから、変わらず43キロなのか」

「私より……軽いだと」

「明日ちゃん……一人暮らしで……」

「待って。太ってない。私も成長したんだよ」


 煙草に火を着けた砕子は、二人の顔を見つめた。

 カロリー計算はしていると日々の健康管理の姿勢を主張する明日を受け流す乃蒼は、初めてお目にかかる天真爛漫な笑みを見せていた。


「ところで明日殿。来てくれたってことは、私の力になってくれるってことだよな?」

「……言いたかないですけど、そうですよ。乃蒼に会えましたし」


 いつか見た革手袋で、ボトルを持っていた明日の左手を砕子は掴む。じっくりと傷を観察しつつ、首をひねったまま難しい顔を維持した。どうしても単なる醜状にしては綺麗だった。ここまできっちり端から端までの傷なら、手そのものが損壊しても不思議じゃない。しかし現実は正反対で、明日は普通に手を利用している。この目の前の事実が個人的に解せない。


「なあ明日。乃蒼の死とこの傷はどう関係している?」

「それは……。乃蒼を助けようとして、手を伸ばして確か……嚙まれたんです」

「つまり、これは歯形か? 随分とスマートな歯列だな」

「正直よく覚えてないんです。手に痛みと熱があって、乃蒼が私の名前を叫んで、そこまで。次の記憶は病院のベッド」

「調べる価値はありそうだ。ひょっとしたら、明日がアノマリーを視認できるのは、この傷ありきかもしれない。これがアノマリーならば」


 砕子が傷に触れた一瞬だった。


「あぶない」


 ジュンの一言は遅かった。

 静電気でも走ったかのように明日はボトルを手放す。カウンターに転がったボトルは、刀で斬られた藁束同然に中心から真っ二つにされ水を打った。


「砕子さん。これは……」

「何したんですか? すげーびっくりした」

「私は何もしてないぞ。恐らく明日の左手だ」


 自分に注目が集まり、明日はお手上げになった。最早スカートの上に流れ落ちる水さえ気に留めない。


「小僧。どうして危ないと知っている」

「おねえちゃんのて、いきてる」

「あの傷が?」

「アノマリー。ほかのアノマリーたべる」


 話が急すぎる。こっちは唐変木もいいところだぞ。空気が美味く呑み込めない気がする。左手の傷には是非自ら素性を説明してほしい。

 一番変なリアクションを見せたのは、笑顔の砕子だと明日は思った。何を考えたのか不明瞭な笑い声を出しながら、自分の革手袋を脱いで明日に渡した。


「小僧や乃蒼に触れる時は、それを使うといい。不注意で二人をボトルの二の舞にしたくないだろ?」

「ひょっとして、これもアノマリー……?」

「今みたいに、左手がアノマリーに触れた状態で傷を触るとダメかもね」

「今日から小僧諸共、明日も我々の一味だ」

「やったね明日ちゃん!」

「そんなに良くはないと思うけど!」


 抱き着く乃蒼に喜びを感じつつ、明日は超特急で左手に革手袋をはめた。


「アノマリーだけを無視できる革手袋だ。買うと高いぞ」

「え、待って。金取るの?」

「仲間になったし、プレゼントだ。これからはアノマリーを扱う特別な世界の人間になる。そのうち何故アノマリーが見えるのか、傷はどんなアノマリーなのか、そして乃蒼に何があったのか。わかるかもな」


 タオルでカウンターを拭く砕子の眼鏡がきらりと光った。もうこれでさえ明日にはアノマリーなのではと思えて仕方ない。

 突然身の回りを取り囲む不可思議な存在。奇怪千万で受け入れがたい気は絶滅まで至らないが、隣にいる友人を否定するなんて明日には無理な話。


「ようこそ、ミッドナイトへ。歓迎するよ。助手二号」

「ところで砕子さん。何で乃蒼が私の学校の制服を?」

「私も気になります。盗んだはナシですからね?」

「しりたい」


 チェーンを大きく揺らすと、砕子は顔を決めて宣言した。


「私の御古だ。最高だろ?」

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