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出会い 1

 強風が窓を叩くように揺らす。近所の売地を占拠する雑草のさざめく声は、ベッド上で耳を澄ます明日にも届いていた。地元である奥兎(おくと)市内の高校に進学して一月、規則正しく早寝早起きで駆け抜けた明日は少し疲弊していた。

 そして週末、ついにその反動が物陰から姿を現し始めた。

 うつ伏せになったまま動けない。昨晩、盛大に夜更かしをしたせいではないと本人は一応確信している。ただひたすらにベッドが恋しいだけなんだと、寝返りを打ってワンルームの室内に示す。

 カーテンの隙間から外界の光が顔をピンポイントで狙い撃つ。これに触発でもされたのか、左手が一足先に活動を開始する。枕の下にスマートフォンがない事実を確認して、体を包むタオルケットを遠慮なく剥ぎ取った。ベッドの上には不在だと承知した明日は、舌打ちをしてのっそり体を起こす。そのまま床を見下ろすと、案の定スマートフォンは枕も与えられず無造作に転がっていた。

 充電ケーブルを掴んで引っ張り上げると、非通知の不在着信が一件。それ以上に明日の目に留まったのは今日の日付。薄目だった両目はゆっくりと見開きになる。


――そうだ、清蒸魚。


 電池を入れ替えたおもちゃのように明日は立ち上がって、瞬く間にパジャマを脱ぎ捨てた。適当にTシャツとジーンズを着てカーテンを開けると、西日に目が細くなる。少し寝過ぎだろうと自分にツッコミを入れつつ顔を洗い、出かける準備を着々と進めた。危うく睡眠で一日が終わるところだった。そう思うと小さな部屋を駆け回る足は速くなる。

 髪を整え、財布をジーンズのポケットにねじ込みスニーカーを履く。外へと出る前にスマートフォンで時間を確認すると、運良くバスが来る時間が迫っていた。


――ちゃんと覚えてるから。怒らないでね。


 画面を見つめる。そこには思い出の写真があった。乃蒼(のあ)と自分が写る数少ない一枚。絵文字のようにニッコリと笑う明日の横で、知性的な微笑みを浮かべる乃蒼。

 ツーショット写真くらいあってもいいじゃんと明日が提案して撮影した一枚は、放課後テスト勉強をしていた図書室の記憶。ほとんど一方的に勉強を見てもらっていた楽しい記憶。新しい環境で心折れることなく頑張れるのは、いつも乃蒼の笑顔が手元にあるから。大切な友人の誕生日は、是が非でもお祝いすると明日は決めていた。

 京沢明日(きょうさわあす)が今年度から生活の拠点としているメゾン・カンパネラから徒歩三分。奥兎市内を走る竹沖バスのバス停は、風で土台ごとカタカタと揺れていた。こんなコンディションもあって、明日以外に待ち人はいない。

 道路を挟んで見えるのは不動産会社の看板が立つ整地済みの空き地。その奥にも似たような四角い土地がぽつりと並んでいる。明日の暮らす奥兎市星隠(せいいん)地区では割りと見かける光景。

 そもそも星隠地区に限らず、生まれ故郷の奥兎市は人口の減少に歯止めが掛かっていないとテレビのアナウンサーがたまに喋っているのは、明日もよく知っている。

 二世代は前の時代、土地を発展させようと多くの住宅を建てて、人が一斉に住みだしたのが奥兎郡と呼ばれていた四つの地域、その後地域は一つに合併されて奥兎市になった。

 それから幾年、人は永遠には生きられない。

 住人を失った家屋が目立ち始め、不動産会社の看板と雑草が勢力を拡大している。典型的な人口の高齢化や、周辺環境の不便さも手伝って、現在の星隠地区は静かな週末を演出している。

 そんな郷土も風土もあったもんじゃない無味無臭の景色の中、風をかき分けてバスは明日の前で停車する。閑散とした車内で十分程度揺られれば、市内で最も人と商業施設が多い紅月(こうげつ)地区の住宅地のバス停へ到着する。ここから少し歩くだけで、奥兎市一の品揃えを誇るスーパーで買い物が満喫できる。

 相変わらず南からの風は耳元で雑音を立てた。

 バスのベージュ色の背中を見送って明日が歩き出そうすると、正面に見える坂道から赤いボールが転がってきた。幸い車道に車はなく、ボールは見事に明日の足に当たって跳ねた。

 ボールを拾った明日が坂を見上げる。民家に家庭菜園と緩やかな上り坂に人影はない。周囲に公園がないのは、バス停を何度も利用している明日も知っていた。そんな坂の上に注目すると、車道の真ん中に人が立っていた。明日より小柄な短パン姿は、ボールの持ち主にふさわしい少年だった。小走りに道路を横断して坂を上がる明日を、少年は微動だにせずジッと見るばかり。注意を促す明日の声が聞こえているのかさえ怪しく、そんなお年頃なのかと明日は受け取る。

 坂を上りきってボールを差し出すと、少年は無言のまま受け取ろうとはしない。危ないとわかっていてボール転がす遊びでもしていたのかと明日は考えたが、少年の大人しそうな顔付きを見て、あまり強く注意する気になれなかった。


「はい、君のボールじゃない? 道路は危ないよ」


 ようやく受け取った少年は、それっきり明日と見つめ合った。見た目は小学校低学年か幼稚園の年長組といったところか、どこにでも住んでいそうな単純な瞳、それ故に扱いのわからない明日は一人で勝手に根を上げて両手を膝につく。


「おねえちゃん、ひだりてだいじょうぶ?」

「え?」


 少年の顔がやっと動いた。珍しい生き物でも見つけたように明日の左手に視線を送る。甲には大きな傷跡があった。横一線に稲妻のように派手な痕跡。

 明日は咄嗟に左手を引いて愛想笑いを代わりに作る。特に心に響かなかったのか、少年は背を向けて目の前のアパートを指さす。築年数は周辺の建物と比べても大きいとわかる木造二階建て。少年は二階の角部屋を指しているように見えた。ベランダはもぬけの殻であり、窓は白いカーテンが閉まっている。


「あそこが君のうち?」

「そう。おねえちゃんもあそぼ」


 明日は周囲を見る。他に子供の声なんて聞こえない。


「一人でここにいるの? こんな場――」

「いつもひとり。ねえあそぼ」


 明日の声を遮って念を押す少年。困った明日は押し黙ってしまう。自分にも買い物がある。遊ぶ場合でも、相手を考えたら親御さんに一言言わなければいけないと思った。

 急かすように突風が明日の前髪を跳ね上げる。

 答えを待ちきれない少年が振り返ると、急転直下に目の色を変えた。瞳孔を収縮させて、はっきりと喉が息を吞む。

 明日からすれば、少年は自分の背後に脅威でも感じているように見えた。

 何も知らず振り返ると、声を上げて驚く。人がいた。慌てて少年の背後に回ってしゃがみ込んだ明日は、二人でその人物を見上げる。


「……誰ですか」

「一つ聞いていいかい?」

「聞いてるのはこっちですけど?」

「その子が見えているのか?」

「当たり前じゃないですか。坂の下でボール拾ってあげたんですよ」

「なるほど、素晴らしいな」


 二十代くらいの女性に見える相手は、ネイビー色のワイシャツと銀のネクタイを驚異的に着こなして、銀縁眼鏡のよく似合う優しい笑顔を作り明日に握手を求めた。応じなければ一生目の前にいそうに思えた明日は、ゆっくり右手を差し出して握手を交わす。場所に似つかわしくない女性の漆黒の革手袋は、明日の手をがっしりと強く握りしめる。


「名前は?」

「明日。明日のお天気の明日です」

「良い自己紹介ね。私は砕子(さいこ)。砕く子と書いて砕子」


 砕子の眼鏡に下がるチェーンが揺れた。その奥にある知性的で温かみを感じる瞳に、明日は自分の心の奥を撫でられた気分に陥って体を強張らせる。同時に湧き出てきた砕子に対する綺麗な女性という感想は物陰に隠した。そんな状況を察してか、砕子は明日の肩を軽く叩く。


「別にアヤシイ者じゃないよ。見ての通り、バーテンダーみたいなもんさ。買い物に行く途中で偶然君を見つけたんだ。最高だね。こんな道端で何を?」

「何をって。この子……、あれ?」


 少年の姿はなかった。啞然とする明日を砕子は笑った。まるでこうなると知っていたかのようなワザとらしい笑い声にムッと口を尖らせる。


「帰っちゃったんでしょうか」

「まあ強いて言うならそうだ。アレは人間じゃないから、消えたとでも言うべきかな」

「……今何て?」

「あの子は人間じゃない。と言ったんだが?」

「アヤシイ者じゃないですか。こんな道端で会うなんて世界一不幸です」


 そそくさと歩道に避難する明日とついて行く砕子。こんな不審者の相手をしている暇なんてない明日は、そのまま砕子を引き連れてスーパーマーケットまで歩いた。

 道中一切会話に応じなかった明日。入り口のレトルトカレーフェアの前で砕子が立ちはだかる。観客みたいに並ぶカレーの箱を一つ手にして、他人のふりを決め込む。


「聞いてくれ。私は少し特殊な人間でね」

「知ってますけど? あいにくオカルトに興味はありません」

「じゃあ私がなぜ君の名前を知っているのか気にならないか? 十六歳の京沢明日ちゃん」


 明日はグリーンカレーを棚に戻す。確かに名前は先ほど道で名乗っていた。しかし苗字までは言わなかったはず。ましてや年齢なんて初対面で早々言うはずなんてない。

 疑念を抱く明日なんて他所に澄まし顔の砕子は、好奇心を覗かせている。やんわりと距離を取ろうとする明日を見ているのが楽しい様子で、腕を組んで頷いていた。


「良い顔じゃないか。そんな目をしてくれるって信じてた」

「一体何者ですか」

「砕子と言ったろ。変わり者の蒐集家さ。カレー買う? 甘口にしよう」


 提案の採否について明日は口にはせずに、買い物かごを持って鮮魚コーナーへ向かう。子供の乗る買い物カートを押す母親がマグロの刺身を手に取る中、明日は白身魚を探した。尾頭付きを買うべきか、切り身にしようか迷う。


「去年はイサキを使ったんじゃないのか?」

「何で今日出会ったあなたがそんなこと知ってるんですか」

「聞いたからさ」

「誰に?」

「乃蒼さ。彼女の好きな料理なんでしょ? 清蒸魚。中華料理だっけ。今日誕生日だもんね」


 さっきから何だこの女は。とても何か言いたげに砕子を見ると、真鯛の切り身のパックを差し出される。


「だんだんと私に興味が出てきた? 私がどうして君の親友である乃蒼の名前を知っていると思う?」

「聞いたら答えてくれるんですか? じゃあ教えてください」


 明日が鯛を受け取ると、オッケーのジェスチャーをして砕子は軽い足取りで別の売り場へ向かった。後を追いがてら調味料コーナーからゴマ油と料理用紹興酒をかごに入れて、次に砕子の姿があったのは、子供向けの玩具が並ぶ棚の前。

 シャボン玉や塗り絵といった商品を真剣に見る砕子の姿は、客というより店員にも見えた。そうとでも思わないと玩具を手にする砕子と店内放送のBGMがアンバランスを極めてしまう。


「明日は“アノマリー”を知っているかい?」

「大昔の海にいた?」

「それはアノマロカリス。カンブリア紀の節足動物だよ」


 じゃあ知らないです。さっぱり答えて明日は砕子の隣に並ぶ。風のある外ではわからなかった甘くて華やかな香り。少し自分より背の高いその整い切った端正な横顔には、自然と芸術品のように見惚れる。


「アノマリーとは、常識から大きくかけ離れた現象や、それらを引き起こす存在。この世界には結構沢山あるんだよ」

「やっぱりオカルトってことですか。あなたの変わった雰囲気も納得です」

「それもアノマリーかもな。アレらは総じて説明しにくいからね。例えばこの玩具、これも立派なアノマリーだ」


 砕子が明日に渡したのは、ビニールの袋に入った半透明の黄色い水鉄砲。ピストルを模した対象年齢五歳以上の銃器には、500円の値札シールが雑に張られている。

 明日は狐につままれたような気分になった。空でも水が出てくるとでも言いたのか。それなら夏に重宝すると思いながら、水鉄砲の銃口を砕子の顔に向けた。


「ばーん」


 クシャっと袋を握る音がする。砕子は凄く俊敏に体を引いて何かを避けた。そのコミカルな動きを明日が笑っていると、砕子は慌てて銃を取り上げる。


「正気か? 頭が隣の光倭(こうわ)まで吹き飛んだらどうする」

「面白いお姉さんなんですね」

「こいつはありとあらゆる『撃つ』所作に対応した兵器だ。これを回収したくて私はここに来たんだよ」

「何も起きませんでしたけど?」

「ここではな。弾の威力やどこに命中するのかは、使用者が具体的にイメージする必要がある。じゃなきゃ暴発だ。今撃った弾はどこかの何かに当たったはずだ、下手したら町一つ消し飛んだぞ。まだアノマリーについて信じられないかい?」

「はい。水鉄砲と乃蒼に何の関係があるんですか?」

「彼女もまた、アノマリーだ。いつでも君を見てる」


 尻尾を追いかける犬みたいに明日はその場で一周する。当然姿はなく、一周回ると砕子が手を振っていた。

 笑えない冗談だと一言文句を言おうと前に出ると、砕子は明日の左手を掴んで持ち上げた。


「この傷。乃蒼と関係しているだろ?」

「……ノーコメント。乃蒼に聞いてみたらどうですか。パンツの色も教えてくれるかもしれないですよ?」

「そう来るか。君は私好みだね」


 振りほどくように手を離すと、砕子は明日を両腕で抱きしめた。

 初めての瞬間、初めての経験。背中に伝わる手の温度、顔で感じる砕子の胸と呼吸。

 それは尻尾でも掴まれたようで、一瞬思考が停止した。


「愛おしい奴め。私には君が必要かもしれない。今度ミッドナイトへおいで」

「……目的は何ですか? あと人に見られる前に離してください」

「私の助手はどうかな? 是非獲得したいね。君にはアノマリーを扱う素質が十分あると思う。夜覧(よみ)団地は知っているだろ。四丁目に店はある。営業は日の入りから日の出まで」


 やっと明日は開放される。しかし今度は顔を抱かれて、砕子の顔が面前に迫った。頬に当たる眼鏡のチェーンは、氷のように冷たい。


「乃蒼に会えるかもしれないぞ? 最高だろ? 君は必ず来てくれる」

「行かないと思いますよ?」

「いいや来るさ。乃蒼はそう信じてる。君と再会する日が来ると。左手の傷も心配してる。三年前、彼女に伸ばした手だろ? それじゃあお先に失礼するよ」


 水鉄砲を持って砕子は去っていく。


「そうだ。さっきの坂の上にいた子供、二度と関わるなよ。まだ死にたくないだろ?」


 取り残された明日は実に冷静だった。普段と変わらぬ様子でお会計まで済ませて、帰りのバスの時間に合わせた。入り口に散乱する大量のレトルトカレーを踏まないよう店を出れば、すんなりと星隠方面のバスに腰を下ろせた。

 乃蒼に会えるかもしれない。

 貸切状態の車内で、いつもの普遍的な景色を眺めつつ考えた。

 アノマリーという言葉は意味不明に等しかった。それでも親友の名は理解できる。砕子は本当に乃蒼を知っている特殊な人間で、乃蒼の霊にでも会わせてくれるのか。

 正直なところ、一秒でも会えるなら会いたいが明日の考えだった。もし近くで見てくれているなら、今日誕生日を祝うためにした買い物も喜んでくれているだろうか。

 夜覧ならいつでも赴ける。幸い騙し取られる物なんて都合よく持ち合わせていない。すでに一つ失っている。

 夜更かしは得意技だ。今夜は乃蒼の誕生日を料理でお祝いして、夢の中で乃蒼に相談してみよう。四丁目のミッドナイトについて。

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