たけとり
きっと、竹取の翁だって、野山に入りて竹をとりつつ、よろづのことを考えていた、はずだけど。こちらは人を待って、うわのそらで、もう哀涼珈琲を空にしてしまう。好奇心から陸にあがり渇いた魚が、よわよわしくひとくち吸うたび、暑さのせいか角がとれてどこか気のぬけた氷山が、石油がたっぷりまざった海からすこしずつ顔をみせる。古い生きものが死に積もって、ふてぶてしく怨念になって、やがて火の玉の糧になり、煤になって風に旅する。そうそう、人の心のほとんどは、つねに暗く湿ったところへ、深く沈んだきりで、あらわにならない。心は、つめたい秘密を啜るたびににじみよどみ、かすんでみえなくなってくるような。あちらのほうには、きっと水平線がある。だけどこちらはふりむいても地平線しかみえない。あそこにみえる山だって、だんだん空までのびていくわけはない。あちらの氷山は、少しずつあらわになって、つよい日ざしを受けて、溶けて海にかえる。でもこちらはもっと雨がふり、もっと風がふかなくては消えないものばかり。いっそのこと、流れ星がおちてくればなにもかもなくなってしまうかと考える。もし、星がこちらの大地におちたら。もし、星があちらの海におちたら。大地も荒れはてて、海も干上がれば、この天体のほうが月になる。そういえば、あの昔の話では、流れ星がおちたから竹は姫をはらんだのではなかったっけ。そういうことにしてしまう。たけとりの昔からかわらない月の楽園に逃げて、むら雲に隠れたい。そこまでとどいて、心は目をさます。硝子盃と氷の重なりにうつる景色は、気づけばひるがえっている。こちらがあちら、あちらはこちら。光のちらつき、ゆきかうにおい、話し声。とりとめないざわめきが、人を待つ心に積もっていく。だれを。だれも待ってない。ただうつろいをむやみにすごして、光る竹を想う。




