第3話-21.質屋の店主、別れを告げる
トワルたちはオーエンの案内で長い階段を降りて行った。
相変わらず遺跡内は揺れているが、オーエンは相変わらず慌てる様子はない。
「ここだ」
しばらく進んだ先の部屋に入るとオーエンは言った。
その中央に置かれた装置にトワルたちも釘付けになる。
「本当にあった……」
「これが……」
フィオナはその装置を見上げながら息を飲んだ。
ユメスに見せられた通りの装置だった。
複雑に配管が張り巡らされた台座。そしてその台座の上に鎮座する巨大な両開きの扉。
これこそが、『異世界の門』。
……怖い。
フィオナが最初に抱いたのはそんな感情だった。
古代文明の人々を燃料として動き、残りの人間たちを死地へと送り出すことになった装置。
トワルやリンのような無関係な人間を一方的に巻き込み、人生を狂わせた装置。
その経緯や理由は理解したつもりでも、やはり得体の知れない不気味さや嫌悪感は拭えない。
実際にこの門を通ってこちらの世界に来たトワルやリンも緊張した面持ちだった。
特にリンは目に見えて狼狽えていた。
フィオナはそんな顔をするリンを初めて見た。
オーエンが台座に近づき、パネルのボタンをいくつか操作した。
すると装置が重低音を出しながら起動した。
「あの、師匠。いきなり帰してくれるって言われても、私まだ人間に戻れてないんですけど……」
パネルの操作を続けるオーエンにリンがためらいがちに声を掛けた。
リンの心配はもっともだった。
今のリンはまだ宝石が本体の霊体のままなのだ。このまま元の世界へ戻されても困るだろう。
だがオーエンはリンのほうを向きもせずに言った。
「いや、リン君がその状態だからこそ好都合なんだ」
「へ?」
「実は以前からやってみたかった実験があってね。今更遅いかもしれないが、ようやくこれで私のアイデアが正しいか確かめることができる。瀕死だった君をわざわざ『イリストヘルの霊石』で助けた甲斐があったというものだよ」
フィオナはそれを聞いて耳を疑った。
他にも助ける手段があったのにわざとあの石を使った、と言っているように聞こえたのだが。
「あの……それってどういう……」
「ん? 石のことかね? あの石はマレクを追っている最中にとある遺跡で見つけたんだ。未使用の状態のものは私も見るのは初めてだったよ」
「いや、そうじゃなくて……やろうと思えばあの石を使わなくてもリンを助けられたってことですか?」
「そういう質問か。ああ、その通りだよ。だが普通に治すだけじゃ面白味も無いだろう?」
フィオナは絶句した。
だがその言葉に嫌悪感を示したのはフィオナだけで、トワルは特段驚いてはいないようだった。
当のリンも何故か逆に緊張がほぐれた様子で平然と会話を続ける。
「そんな気はしてましたけど本当にそうだったんですね。でも私をこんな体にしてまでやりたかった実験ってなんなんです?」
「悪いが質問は待ってくれるかな。ここからの操作を失敗すると何もかも台無しになってしまうのでね。ちょっと集中させて欲しい」
オーエンは顔も上げずにパネルの操作を続ける。
フィオナは小声でトワルに話しかけた。
「ねえ、どうしてリンもトワルも怒らないの?」
「怒る?」
トワルはきょとんとしてフィオナを見る。
それから少し間を置いて納得したように言った。
「ああそうか。もう慣れてるから気にならなかったけど、確かにあんなこと言われたら普通は怒るのか。でもまあ、この程度のことで文句を言ったらキリがないからね。リンもこの四年間ずっと振り回されてたみたいだから俺と同じくらい耐性付いちゃったんだろう」
「いや、慣れたって言ったって……」
これまでトワルからこの師匠の話を聞いてそこそこ無茶をする人なんだろうなとは思っていたが、このトワルの反応からすると予想以上にとんでもない事をしてきた人らしい、とフィオナは思った。
しかし、元の世界へ帰りたいというリンの願いを知った上で自分の実験の都合で普通ではない体に変えてしまうというのはいくら何でも度が過ぎているのではないか。
先程のマレクに対する落ち着いた言動を見て、想像していたよりはまともな人かと思ったのに。
トワルもリンもきっともう諦めているということなのだろう。
このオーエンという人はトワルから聞いていた以上の人でなしなのだ。
そんなことを考えていたフィオナは余程酷い顔をしていたらしい。
トワルが苦笑いしながらなだめるように言った。
「心配するのはわかるけど、大丈夫だよ。きっと悪いようにはならないから。このまま見ているといい」
「でも……」
「あの人は本当に無茶苦茶だけど、大抵はちゃんと結果を残してくれるんだ。だからみんな、色々言いながらも信頼はしているんだよ」
トワルの言葉には全く迷いがない。
フィオナはまだ半信半疑だったが、トワルが言うなら信じない訳にはいかない。
「あなたがそこまで言うのなら……」
むう、とやや頬を膨らませながらもそのまま静観することにした。
それから間もなくパネル操作を終わらせたオーエンが顔を上げた。
「待たせたね。それでは始めようか」
「何をする気なんですか?」
「無かったことにするのさ」
「え?」
「リン君がこちらの世界に召喚された事実を無かったことにする。正確には、召喚されなかったことにするんだ」
話を聞いていた三人もこれには驚いた。
リンが目を見張る。
「それ、一体どういう……」
「今この『異世界の門』はリン君が元いた世界の四年前――君がこちらへ召喚される直前の時間に合わせてある。この扉を通り抜けられれば四年前に戻れるはずだ」
「この門、過去に戻ることまでできたんですか?」
トワルが尋ねる。さすがに半信半疑な様子だった。
「あくまでも古代文明が遺した理論が正しければ、だけどね。時間軸を合わせなければ物体は移動できないが、情報だけなら――霊体となった今のリン君ならこの門を通れるはずだよ」
「それじゃあ……リンに『イリストヘルの霊石』を使ったのはそのためだったんですか?」
「まあね。変に期待をさせるのもいけないから本当はもっと検証をしてからにしたかったんだが、まあ仕方ない。私の知る限りでは現在稼働できる『異世界の門』はこの一基だけだからな。このままこの遺跡が崩れてしまったら次の機会がいつになるかわからないんだ」
「マレクを追いかけながらそんなことまで調べていたんですか?」
「いや、元々これはマレクのためだったのさ」
「マレクの?」
「古代文明の技術力でも死者を蘇らせることはできなかった。であれば私たちが付け焼刃で挑んでもその方法を見つけ出すことは難しいだろう。それならば別の方法でマレクの家族を救うことはできないか。そう私は考えていたんだ。それで思いついたのが、過去へ行って事実を改変してしまえないか、という方法だった。……まあこの方法も調べるうちに干渉できるのは並行世界の過去だけで、自分たちの過去を変えることはできないとわかったんだがね」
「………」
「今のリン君が四年前の世界に戻れれば自動的に当時のリン君の記憶は今のリン君に上書きされる。そうしたら自力で異世界召喚を回避すればいい。この門は二つの世界の間を一時的に繋げるだけだから、四年前召喚された時にいた場所から離れていれば巻き込まれることもない」
「本当に……本当に四年前のあの日に戻れるの……?」
リンの声は震えていた。
「君には随分苦労を掛けてしまったからね。その報酬としてはこれでも足りないくらいさ。今までよく頑張ってくれた」
「そんな……だって私、散々師匠には迷惑かけてばかりだったのに……」
リンはそこまで言いかけたが、やがて両手で顔を当てて静かに泣き始めた。
オーエンがリンの肩に優しく触れる。
以前リンから聞いた話では、リンは元の世界ではただの学生だったらしい。
それが突然こちらに召喚され、文字通り死ぬほどの目に何度となく遭ってきたのだ。
本当は心細かったに違いないのを、この日のためずっと気を張っていたのだろう。
その様子を見て、フィオナはトワルが師匠の事を信頼していると言った意味が分かった気がした。
「ところで師匠、ちょっと気になるんですが」
リンの調子が落ち着いてからトワルが言った。
「なんだね」
「向こうの世界の過去を変えて四年前にリンが召喚されなかったことになるのはいいとして、その場合は俺たちのいるこっちの世界はどうなるんですか?」
リンは現に今こうしてここにいるのだ。
それだけでなく、過去にはドラウド国で怪盗を働いたり、サミエルの街で詐欺師の真似事をしたりと既にこの世界に小さくない影響を与えている。
そういった過去の事実は一体どうなってしまうのか。
「そのことなら心配ないよ」
「そうなんですか?」
「私たちがいるこの世界には何の影響もない。私たちの世界にそっくりな、リンが召喚されなかった場合の並行世界が新しく増えるだけさ。その世界のことはその世界での私や君たちがどうにかするだろう」
「はあ……」
トワルはいまいち理解できていないようだったが、とりあえずという感じで頷いた。
フィオナにもオーエンの言うことはよくわからなかったが、まあこの人が心配ないと言うのなら多分大丈夫なのだろう。
「それじゃ、あとは私があの扉に入ればいいんですね?」
すっかりいつもの調子に戻ったリンが異世界の門を見上げながら言った。
「ああ。いつでも行けるよ。好きなタイミングで始めるといい」
「そうですか」
リンは扉を見つめていたが、不意にトワルたちのほうへ振り向いた。
笑顔で歩み寄ってくると、二人の手を取ってぎゅっと握りしめる。
「短い間だったけどありがとうね。あなたたちのこと絶対に忘れないから」
フィオナはリンに抱きついた。
「せっかくまた会えたのに……。でも、おめでとう。元気でね」
「うん」
リンも抱き返しながらフィオナの背中をポンポン叩く。
そしてトワルに顔を向けた。
「あなたたちも頑張ってね。フィオナのこと、頼んだわよ」
「ああ、もちろん」
トワルは頷いた。
リンは名残惜しそうにフィオナの腕を解くとオーエンの元へ戻った。
赤いブレスレットを外し霊体に変化する。
「師匠にも本当にお世話になりました。この御恩は一生忘れません」
「なに、礼には及ばんさ。むしろ君のおかげで貴重な経験ができたし、こうして珍しい実験も行えるのだからね」
「師匠は最後まで師匠ですね」
リンは苦笑いしながらブレスレットをオーエンに託すとふわりと浮かび上がった。
台座まで飛び、門の前に立つと三人を振り返る。
「それじゃみんな、さようなら。ありがとう」
「元気でね!」
「気を付けろよ!」
「また何かあったら訪ねてくるといい。力になるよ」
三者三様の返事を背にリンは異世界の門へ飛び込み、奥へ奥へと進んでいった。
こちらの世界へ来た時と同じ奇妙な感覚に襲われ、進めば進むほど視界は明るさを増してゆく。
やがて、目を開いていられないほどの眩しさとともにリンの意識は薄らいでいった。