第3話-19.質屋の店主、仮面を剥がす
リンの渾身の拳をもろに喰らったマレクはもんどり打って倒れた。
手に持っていたフィオナの石がその弾みで床に転がる。
リンは石を拾い上げるとトワルに投げ渡した。
「フィオナ、大丈夫か」
『トワル! 腕は平気なの!?』
「ああ、問題ない。怖い思いさせてすまなかった」
『そ、そんなこと――』
「あー……お二人さん、そういうのちょっとだけ我慢して貰っていい?」
リンが会話に割って入った。
トワルとフィオナは我に返ると慌てて口をつぐむ。
「悪い、フィオナが心配だったもんだから……」
「構わないわよ、無理もないもの。ただ、安心するのはまだ早いから気を付けて」
リンは笑ってはいたがその声は警戒を解いていなかった。
トワルのほうを見てはいるが、意識は背後に倒れたマレクに向けられている。
マレクは殴り倒されて転がった状態のまま微動だにしない。
気絶しているように見えるが……。
「何か気になるのか?」
「殴った時の手応えが変だったの」
『変?』
「妙に軽かったのよ。生身の人間を殴った感覚じゃなかった。上手く言えないけど、人間大のブリキの人形でも殴ったようなっていうか……」
言われてみれば、リンが高所からの落下を乗せて殴ったのを差し引いても、マレクの身体は異様に跳ね転がり過ぎていたようには見えた。
リンからしてみれば事情はどうあれこちらの世界へ引きずり込まれた元凶なのだ。だからてっきりそれくらいの勢いで殴り飛ばしたのかとでも思ったのだが……。
「ロープとか拘束に使えそうなものは持ってる?」
「いや」
「じゃああの人は私が押さえておくから、あなたたちはこの神殿のどこかにいるはずの師匠を探してきてもらえるかしら。どうも嫌な予感が――」
唐突にリンは言葉を切った。
まるで金縛りにでもあったように体も不自然に止まっている。
『どうしたの?』
フィオナが不安そうに尋ねる。
それに反応してリンの目だけが動き、何かを言おうとしたようだった。
だが次の瞬間、体中にひびが走りリンは光の粒になって霧散した。
『リン!』
「これは……」
トワルは目を見張った。
それはユメス古代図書館でフィオナがマレクにされたのと同じ現象だった。
シンラのコアによる、『イリストヘルの霊石』の無力化だ。
パチパチパチ……と手を叩く音がした。
音のほうへ目を向けると、マレクが倒れたまま手だけ動かして拍手をしている。
「すば、素晴らしい。サンプルが二体もいたとは。これならわ、私の研究も捗りそうだだ」
マレクが喋っていた。
ただ、喋り方がおかしい。
笑い声のような奇妙な声を発したあと、何事も無かったように立ち上がり、トワルのほうへ顔を向けた。
その目は完全に狂っているように見えた。
あれだけ派手に転がったのに怪我一つ負っていないらしい。
ただし仮面には縦に大きなヒビが入り、ローブも所々破れていた。
トワルは持っていたフィオナの宝石を懐に仕舞った。
さっきのような気を逸らすような手はもう通用しないだろう。
ここは指輪の高速移動で一度この場から逃げたほうがいい。
トワルはそう判断し、指輪をはめた手に力を入れようとした。
だがそうしようとした瞬間、目の前にマレクがいた。
「……は?」
トワルは何が起きたのかわからなかった。
そして、マレクがトワルより先に高速移動して近付いたのだと理解した時には既に遅かった。
トワルはマレクに首を掴まれ、そのまま近くの落下防止の手すりに身体をぶつけるように押し付けられた。
じわじわと首に食い込んでいく手をなんとか振り解こうともがくが、まるでびくともしない。
『トワル!』
『くそ、石から出れない! どうなってんのよこれ!』
フィオナとリンが声を上げる。
その声に反応したのか、マレクがほんの少しだけ力を緩めた。
「その石ししを渡せ。そそそそそうすればおま前は助けてやるるる」」
「ふ、ふざけるな」
トワルはさらにもがいた。
その弾みで振り回した腕が仮面にぶつかった。
すると仮面の亀裂が広がり、パリンと割れて床に落ちた。
その仮面の下の顔を見てトワルは目を疑った。
「あんた、その顔は……!?」
そこにあったのは人間の顔ではなかった。
眼の周りだけは人間を模して造られていたが、それ以外はむき出しの機械の塊だった。
見れば、トワルの首を絞めている手も肘辺りまでは人間の皮膚をしているが二の腕から先は胴体や足の先まで全て機械。
人間の皮膚の部分もよく見ると不自然に角ばっていて、皮膚の下も機械なのだと推測できた。
ロボット。
トワルの頭にそんな単語が浮かぶ。
「お前、本物のマレクさんじゃなかったのか……?」
「ななな何をおかしななことをををを。私はマレクだ。私、マレクだ。わたわたし私は生命を知らなければばばばば」
もはや会話が成立していない。
ロボットだとすると、言動がおかしくなったのはリンが思い切り殴ったせいだろうか。
まあ相手の正体が機械だなどとはトワルもリンも思わなかったし、殴って気絶させようと提案したのはトワルのほうなのだが。
何にせよ、目の前の相手が一体何者なのか、何故おかしくなったのかなどはこの際どうでもよかった。
そんな事を考えている余裕はない。
トワルの首への圧がさらに強まり、背中の手すりがミシミシと悲鳴を上げ始めた。
このままでは首の骨が折れるか、それとも落下死か。
一刻も早く逃げなければならないが、抵抗しようにも意識が薄くなっていく。
魔封じの札を使えばなんとかなるかもしれないが、もう腕が動かない。
これまでか?
いや、きっとまだ何か手が……。
今にも途切れそうな意識の中でトワルは必死に考えを巡らせようとした。
そんな時だった。
「……もうそれくらいでいいだろう。お前は十分頑張ったよ」
声がした。
聞き覚えのある声だった。
そして、トワルがずっと聞きたかった声だった。
「師匠……?」
いつの間にそこにいたのか。
マレクの背後にトワルたちの師匠、オーエンが立っていた。
オーエンの外見や雰囲気は、四年前にトワルの前から突然姿を消した時とほとんど変わっていなかった。
変わったところと言えば、その手に見慣れない杖を持っていることくらいだろうか。
先端に赤い金具の付いた白い杖だった。
「遅くなってすまなかった」
その言葉はトワルとマレク、どちらへ向けられたものだったのか。
マレクはぐるりと首を回してオーエンの姿を確認すると、トワルから手を放し奇声を上げながらオーエンに飛び掛かった。
オーエンは慌てる様子もなく、手にしていた杖でマレクの胸部を貫いた。
貫通した穴から火花が散り、マレクの全身にバチバチッと青い電流が走る。
それだけで終わりだった。
マレクは頭と腕をだらりと垂らし、そのまま動かなくなった。