第3話-18.質屋の店主、リベンジに挑む
マレクはトワルの姿を見ても驚いた様子は無かった。
「ネズミが二匹ほど入り込んでいるとは思ったが君だったか。てっきり師匠とベルカークの二人だと思っていたよ」
「どうも、先程はお世話になりまして」
トワルは呼吸を整えながら素早く室内に視線を走らせた。
どうやらここにはマレクとトワルの二人しかいないらしい。
マレクの言葉から考えてもまだ師匠のオーエンは辿り着いていないようだった。
一時間以上も前に神殿に入ったというからてっきりマレクと交戦でもしているかとこうして大急ぎできたのだが。どこで何をしているのだろう。
あの人のことだ、途中で進めなくなっているなんてことはないはずだが……。
とりあえず幸か不幸か、マレクの相手はトワルがしなければいけないらしい。
『トワル!』
マレクの手の中のフィオナが叫ぶ。
「フィオナ、無事だったか。マレクさん、フィオナとダンジョンコアを返してもらえませんか?」
「それは無理な相談だな。私は今からこれで実験をしなければならないんだ」
「そんなことさせませんよ。悪いけど腕尽くでも取り返します」
トワルの口調はどこか挑発的だった。
しかしマレクは怒るでもなく、ただ首を傾げる。
「力尽くでも? 君一人で何ができる。ついさっき何があったか、もう忘れたの?」
マレクの反応は当然といえば当然あった。
トワルはほんの数時間まえに文字通り手も足も出ずに気絶させられたのだから。
しかもマレクはラニウスのダンジョンコアの力をほんの少し使っただけ。手の内は全くと言っていいほど見せていない。どう考えてもトワルに勝ち目はなかった。
だが、トワルは自信ありげに答えた。
「ご心配なく。今回は簡単にはやられませんよ」
そう言い終わると同時にトワルの姿が消えた。
「ほう」
マレクが呟く。
トワルは一瞬のうちに十数メートル離れた別の場所へ移動していた。
マレクはトワルをじっ眺めていたが、やがて納得したように頷いた。
「そういえばそんな遺産もあったね」
「あ、知ってましたか」
『ひょっとしてそれ、リンが持ってた……』
フィオナが言うと、トワルは頷く。
「ああ。そこでばったり会ってね。貸してもらったんだ」
リンがよく使っていた指輪型の遺産。
使用者の神経を瞬間的に向上させて高速な行動を可能にする道具。
その分だけ体への負担も大きいが、限界が来る前に勝負を決められれば問題ない。
「ひょっとしてさっきから自信ありげだったのはそれが理由なのか?」」
「相手の位置がわからなければラニウスのコアでピンポイントに切断することもできないでしょう? できるものならやってみて下さい」
トワルはにやりと笑みを浮かべると再び姿を消した。
攪乱するために滅茶苦茶な軌道で動き回りながらマレクとの距離をじわじわと詰めていく。
だがマレクは驚くどころか慌てる様子もなく、ただ落胆したように溜め息をついた。
「なんだ、この程度か。随分と自信があるようだから多少は期待していたんだがね。がっかりだよ」
『え?』
マレクの覚めた反応に思わずフィオナが声を出す。
「これなら今回もラニウスだけで十分だ」
身動き一つせず、マレクはただそう呟いただけだった。
すると右手のほうでガタッと何かが倒れる音がした。
「ぐうっ……!」
フィオナがそちらへ意識を向けると、トワルが左肩を押さえてうずくまっていた。
その近くの床には左腕が転がっている。
マレクは冷ややかな目を向けながら言った。
「ついさっきと同じ状況だね。……素早く動いた程度でラニウスが捉えられなくなると本気で思っていたのかい? ダンジョンコアの処理能力を甘く見過ぎじゃないか?」
その声にはどこか失望の色が浮かんでいた。
だが、トワルは激痛に顔を歪めながらも不敵に笑った。。
「甘く見るなんてとんでももない。むしろ、こうしてくれるのを待っていたんだ」
「なんだと?」
高速で動けたくらいでマレクをどうにか出来るとはトワルも最初から思っていない。
本から知識を得た程度で古代文明の遺産を――ましてやダンジョンコアをどうにかできるはずがない。
何をされるかわかったところで防ぐ術がないからだ。
トワルの狙いは、マレクにトワルのことを幻滅させ、ラニウスだけで十分だと判断させることだった。
ラニウスのコアによる切断攻撃は既に一度受けている。
防ぐことができなくても切断される覚悟が最初からできていればすぐに動くことができるのだ。
「くらえ!」
トワルは足元に落ちた左腕を掴むと思い切り投げつけた。
ただしマレクにではない。
投げた方向は補助装置『ケテラルメリア』に対してだった。
「一体何の真似だ?」
マレクの声に初めて困惑が混じった。
それでもまだ、投げられた左腕を冷静に目で追う余裕はあったのだが――やがてトワルの意図に気付き目を見開いた。
ラニウスによって切り離されたトワルの腕は本当に切断されている訳ではない。
空間的に離されているだけで実際は繋がっている。感覚はあり、思い通りに動くのだ。
そして、飛んでいくトワルの左腕は紙切れのようなものをしっかりと掴んでいた。
魔封じの札である。
貼った対象の内部のエネルギーの流れを停止させ、機能を無力化する札。
といっても別に万能なものではない。
あれ一枚貼れたところで巨大な『ケテラルメリア』には大した影響は起こらないだろう。
だが、マレクは焦った。
「くそっ!」
大した影響は起こらない。だが、全く影響が無い訳ではない。
演算能力を最大限に発揮させたいマレクとしてはあんなものを貼られる訳には行かなかった。
トワルの腕を空間的な見せかけでなく本当に切り落としてしまおうかと思った。
だがそうするにはもう遅かった。
切り離せば逆にどうにもならなくなる。投げられた左腕は慣性に従ってそのまま魔封じの札ごとケテラルメリアに接触してしまうだろう。
それだけは避けなければならない。
マレクは急いでトワルの左腕の切断を解除した。
激突寸前だった左腕がその場から瞬時に消え失せ、トワルの左肩に戻る。
「ははは……驚いたよ。まさかこんな行動に出るとはね」
マレクは安堵と苛立ちが混じった笑い声をトワルに投げかける。
だがトワルは戻ってきた左腕の調子を確認しながら言った。
「いけませんね、俺にばかり気を取られていては」
「なんだと?」
マレクが聞き返す。
その時になって初めて、マレクは何かが自分のほうへ飛んできていることに気が付いた。
マレクが左腕の対応をしている隙にトワルが投げたのだ。
わざと腕を切断するように仕向けたのも、切られた腕を補助装置へ投げつけたのも、すべてはマレクの隙を突いてこれを投げるため。
しかし、一体何を投げたのか。
マレクがその正体を探ろうと目を凝らす。
それは、小さな赤い輪っかだった。
『ブレスレット……?』
フィオナが呟く。
トワルのポケットから青白い光の粒が溢れ出し、赤いブレスレットに向かって行った。
光の粒が集まり、空中で人の姿を形作る。そして左手をブレスレットに通すと、完全な人間に変化した。
マレクは再び目を見開いた。
「お前は……!」
「初めまして、大先輩」
落下する勢いのままに、リンはマレクの顔面を思い切り殴りつけた。