第3話-17.宝石の少女、解析される
『出せ! ここから出しなさい! トワルにあんな酷いことして、絶対に許さない!』
台座に置かれた青い宝石から喚き声が聞こえる。
目の前の巨大なモニターに目を向けていたマレクは宝石を一瞥し、肩をすくめた。
「やれやれまったく騒々しいな。もう少しお淑やかな女の子だと思ったのに」
『うるさい! ここから出せ!』
宝石――フィオナは尚も大声を上げた。
シンラのダンジョンコアの力に妨害され、宝石の外へ出ることができないのだ。
霊体にさえなれれば何かできるかもしれないのに、これでは文字通り手も足も出ない。
できることと言えばこうして声を上げることだけだった。
マレクとフィオナはヤシュバル神殿の最奥の部屋にいた。
円形の広い部屋で、ドーナッツのように中央部分には巨大な穴が開いている。
人が落ちないよう穴の周りには落下防止用の手すりが張り巡らされていた。
壁には正面の巨大なモニターの他、沢山の小さなモニターと操作パネルが並んでいる。
この神殿内の設備は全てこの部屋から操作できるようになっているのだ。
そして中央に空いた大きな穴の真ん中には、巨大な金属製の黒い円柱がそびえ立っていた。
一見ただのデコボコな円柱に見えるが、目を凝らしてよく見ると無数の細かいパーツによって複雑に組み上げられた巨大な装置であることがわかる。
補助装置『ケテラルメリア』。この神殿の存在意義の大部分を占める機械である。
装置の側面には大小様々な大きさの金属球が六つ取り付けられていた。
マレクがこれまでに手に入れたダンジョンコアだ。
「しかし君は本当に興味深いな」
マレクはフィオナの宝石を手に取るとまじまじと見つめた。
『何がよ』
「そうやって喋れていることがさ」
『別にそんなことおかしくも何ともないでしょう。私はずっとこうだったもの』
「いやいや。シンラの妨害を受けているのに意思表示ができるなんて本来はありえないんだよ」
『え?』
「そもそもイリストヘルの霊石に取り込まれた時点で自我を失っているはずだというのに」
『……それ、どういうこと?』
気になる言葉にフィオナはいくらか冷静さを取り戻し、問いかけた。
「君はイリストヘルの霊石が作られた経緯については聞いたのかな?」
『それならユメスさんから教わったけれど……』
「なら話は早い。彼女の言った通り、この石は衰弱した人間を燃料に転用することを目的に作られた代物だ。使い方は簡単。疫病などで弱り切った人間に握らせればいい。まだ体力が残っているなら何も起こらないが、もう助かる見込みがないと宝石が判定した場合は本人の意思に関係なくエネルギー変換と宝石への吸収が実行される。そんな代物なんだ。……さて、ここでちょっと視点を変えてみよう。自分たちが助かるために弱者を燃料に変えた側の人々は、燃料になった人々との会話など望んだりするだろうか?」
『それは……』
「望むはずがないよね。まず間違いなく怨み言をぶつけられるに決まってるんだから。だから、本当なら君のような振る舞いはできないはずなんだよ」
『………』
どうしてフィオナがこうして意識を保てているのか。
それは、ユメスの話を聞いてからフィオナ自身が気になっていたことだった。
宝石を使って人間をエネルギーに変えるというのは、技術的には可能だったとしても心理的にかなりハードルが高かったはずだ。
自分たちが助かるための助かる見込みがないとはいえ同胞を燃料に変えようというのだ。
まともな神経なら会話などできないし、ましてや霊体として外に出られるような機能など付けないだろう。
仲間を生贄にして生き残るという後ろめたさもあるし、燃料に使われる当人のことを考えても宝石に取り込まれた時点で意識など消えてしまったほうがいいのだから。
それなのに自分はどういうわけか気が遠くなるほどの長い間こうして自我を保ち続けていた。
何故なのか。
一人で考えても不安になるだけで答えなど出ないし、今回の騒動とは直接関係ない事だから、とできるだけ気にしないようにしていたのだが……。
フィオナがそのまま黙り込んでしまったので、マレクは宝石を台座に戻し、再び正面の巨大なモニターに目を向けた。
それからしばらく黙ったままパネルを操作していたが、やがて唐突に言った。
「さて、解析結果が出たようだが……どうやら君が宝石に取り込まれたのは七百年ほど前のことのようだ」
『え?』
「それに履歴の座標からすると取り込みが行われた場所は今のゼムオル国の辺りか。おかしいな。あの地域には古代文明の遺跡も存在しないはずなんだが。とすると、古代文明とは直接関係のない偶発的な事故か何かによるものだったのか?」
マレクは巨大なモニタを見つめていた。
モニタには『イリストヘルの霊石』の拡大画像が表示され、その横には文章が羅列されている。
フィオナには読むことができないが、いくつか見覚えのある文字もあるから恐らく古代文明の文字だろう。
『その画面に映っているのは私のことなの……?』
フィオナが恐る恐る尋ねると、マレクはモニタに目を向けたまま頷いた。
「君が乗っているその台には解析機能があってね。簡単な情報なら調べることができるんだ」
とすると、今言っていたことはやはりフィオナのことなのか。
七百年前とかゼムオル国とか言っていたが……。
フィオナはそんな国の名前など初めて聞いたし、もちろん行った記憶もない。
マレクはしばらく黙ってモニタの文章に目を走らせていたが、やがて満足したように頷いた。
「やはり君は千年前の『異世界の門』の一件とは無関係にその状態になったみたいだな。年代が合わないし、そもそも使い方がおかしい」
『使い方?』
「僕は以前に他の遺跡で別のイリストヘルの霊石を見付けたことがあるんだけどね、その石の中には数十人ぶんの人間が取り込まれていたんだ。人間一人をエネルギー変換したところでたかが知れているから、一つの石だけで大量の人間を取り込めるように最初から作られたんだろうね。そのほうがスペースの節約にもなるし、あと自分たちが犠牲にした人間の数を自覚しないようにしたいという思いも恐らくあったんだろう。ところが君のこの石には君しか取り込まれていないようなんだ」
『ええと……どういうこと?』
「それはこちらが聞きたい。君はどういう経緯でその身の上になったんだ? その石に取り込まれた時のことを教えて欲しいんだが」
『悪いけど、こうなった時のことは何も覚えていないの。そもそも私のこの石がイリストヘルの霊石だということ自体つい最近知ったことだし』
フィオナは正直に言った。
意識がはっきりしたときには既にこの状態で、持ち主の手から手へ渡り歩きながら悪霊だの呪いだのとひたすら怖気や罵倒、敵意を向けられ続けてきたのだ。
こうなった原因はフィオナ自身が一番知りたい。
フィオナが記憶を持っていないと知ったマレクは少し残念そうに言った。
「なんだ、そうなのか。まあいい。そんなことより面白いのは、この石に想定外の機能が備わっていたということだ」
『なによそれ』
「この石の中には君の人間としての情報が完璧な形で残されている。想定されていない使い方のせいで見逃された不具合のようだが、どうやら一人しか取り込まなかった場合はこうなるらしい。君が自我を維持したり宝石の束縛を抜け出して疑似的に外へ姿を現せるのもそのためだろう」
『それじゃあ、もしもこの石に私以外の誰かが取り込まれていたら……』
「君は自我を維持することができなくなり、ただのエネルギーになり果てていただろうね。偶然の産物だとしても今の君の状態は奇跡と言っていい。君の今の状態から情報が一つ増えても減っても君は消滅してしまっていただろうから」
『………』
マレクは褒めているようだったが、フィオナとしては喜んでいいのかわからなかった。
今の状態を維持していたからこそトワルにも出会う事ができたが、だからといってこの状態だったことを手放しで喜べるかと言われれば素直には頷けない。
いい記憶ももちろんあるが、辛い記憶のほうが多すぎる。
そして我ながら勝手だと思ったが、この数百年間ずっと綱渡りのような状態だったらしいと知って同時に背筋が冷たくなるのも感じていた。
フィオナは複雑な心境だったが、今の外見はただの宝石。表情などわからない。
マレクはフィオナの内面など気にする様子もなく続けてこう言った。
「これだけ情報が揃っているなら、人間に戻すことも不可能ではないかもしれない」
『……え?』
フィオナは耳を疑った。
今、なんて言った?
『私を人間に戻せるの?』
「ああ。シンラのダンジョンコアの力を利用すれば可能なはずだ。実際に出来るかどうか僕も興味がある。君さえよければ実験してみたいがどうだい?」
人間に戻れる。
フィオナは戸惑っていた。
ずっと望んできた願いを突然目の前に差し出され、心の整理が付かなかった。
ただ、それ以外にも戸惑う理由があった。
『どうして私のことを調べてくれた上に、そんなことまでしてくれるの?』
この人はどうしてこんなことを提案して来るのだろう。
そんなことをしてこの人に何のメリットがあるのか。
フィオナとしては不可解でしかない。
だがマレクは事もなげに言った。
「別に君のためではないよ。僕は生命のことが知りたいんだ」
『生命を?』
「そう。古代文明の人間たちですら見ることのできなかった境地へ辿り着きたい。そのために僕はダンジョンコアを集めているんだ」
『そこまでして命のことを知って、何か叶えたいことでもあるの?』
フィオナがそう尋ねたのは別に深い意味はなかった。
単純に気になっただけだったのだ。
だが、その質問を聞くとマレクは様子がおかしくなった。
それまでのどこか陽気な雰囲気は消え、片手を頭にやり、何もない虚空を見つめている。
仮面で表情ははっきりとは伺い知れないが、何か衝撃を受けたように目を見開いている。
フィオナは戸惑った。
『どうしたの?』
「そういえば僕は、どうして生命の研究をしたかったんだろう」
『……え?』
「何か大切なことがあった気がするんだが……何だったかな。思い出せない」
話したくて誤魔化しているのでも、もちろん冗談を言っているのでもなさそうだった。
マレクはフィオナのことを忘れてしまったように、聞き取れないような小声で何かをブツブツを呟き始めた。
その目は狂気を帯びているように見える。
ユメス古代図書館でフィオナの正体に気付いたときのあの目だった。
そういえばこの男はあの時も突然こうして態度を変えたのだ。
聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。
『あ、あの……』
フィオナはおずおずと声を掛けた。
するとマレクは突然フィオナの宝石を掴んだ。
『きゃっ! な、なに!?』
「僕は生命について知らなければいけない」
マレクの目はフィオナを見ていなかった。
「生命のことをわかれば、目的も思い出せるはずだ。きっとそのはずだ」
宝石を握り締めたまま歩き始める。
『ど、どこへ連れて行くの? 何をするつもり?』
「宝石内のエネルギーの一部……記憶に関係する部分だけを抜き取ってシンラに直接解析させる」
『は?』
「宝石に取り込まれた時の詳しい経緯がわかればきっと僕の研究の役に立つはずだ」
『抜き出すって……そんなことをされたら、私はどうなるの?』
マレクは答えなかった。
というより、もはやフィオナの声が聞こえていないようだった。
フィオナは恐怖を覚えた。
どう見てもマレクはおかしくなっている。
こんな人に身を預けて無事でいられるとは思えない。
『や、やだ……は、離して!』
声を上げるが抵抗する術はない。
マレクは止まることもなくそのままどこかへ歩いていく。
『私、まだ消えたくない。助けて……』
なまじ人間に戻ることができるかもしれないと希望を抱かされた直後なのだ。
その反動による絶望の大きさに、フィオナは気丈に振る舞う余裕などなかった。
その時、室内に声が響いた。
「フィオナ!」
マレクが足を止め、振り返る。
部屋の入口にトワルが立っていた。