第3話-16.質屋の店主、再会する
「マスター代理、間もなくヤシュバル神殿へ到着します」
トワルはその声で本から顔を上げた。
だが前方を見ても山ばかりで建物らしいものは確認できない。
「何も見えないがあそこにあるんだな」
「はい。左手に見える急斜面の中腹です。」
「本に書いてあった通りではあるが、本当にあんなとこに建ってるんだな……」
トワルは思わず呟いた。
ミューニアが差している場所はほとんど崖のような角度の斜面だった。
そして、やはり建物の姿などは無い。
ヤシュバル神殿についての書物によると、あの施設は至近距離までいかないと目視できないようになっているらしい。
何故そんな仕組みになっているかというと、現代の文明の人間に発見されないようにするため。
崖の中腹などという場所に鎮座しているのも同じ理由。元々この辺りはずっと昔は平地だったらしい。それをヤシュバル神殿のダンジョンコアが長い年月を掛けて人を寄せ付けないような地形に作り替えていったのだそうだ。
思えばラニウス遺跡があんな湿地帯に囲まれたあんなわかり辛い場所に建っていたのも同じように地形を変化させていたからなのかもしれない。
「私はこのまま神殿の周囲を飛んでマレクの注意を引き付けます。その間に潜入してください」
ミューニアはトワルを神殿から離れた森の中へ降ろすと再び空へ飛び立った。
トワルはそれを見送ると森の中を突き進んでいった。
上から見下ろした時の印象ほど森の中はそこまで深く生い茂ってはおらず、トワルはあっという間に森を駆け抜けて神殿のはずの崖の上までやって来た。
身を乗り出し、崖の下を覗き込む。
この距離でも神殿の姿は未だに見えなかったが、崖の途中に視界が不自然にぼやける場所がある。
恐らくあれがそうなのだろう。
トワルは気を引き締めると慎重に崖を降りて行こうとした。
しかし一歩足を踏み出したところで、不意に背後から声を掛けられた。
「はい、ストップ。動かないでね」
女の声だった。
同時に振り返れないように肩を掴まれ、首筋に刃物を突きつけられる。
周囲には気を配っていたつもりだったのに全く気付けなかった。
トワルは体を強張らせた。
マレクの仲間だろうか。
でもなんかこの声、聞き覚えがあるような……。
「そんな軽装でこんな未踏の地までやって来れるなんてあんた普通の人間じゃないわよね。一体何者? この崖の下に何の用があるのか答えてもらえるかしら」
女が尋ねてくる。
その声を聞いてトワルは確信した。
「ひょっとして、リンか?」
「へ? どうして私の名前を……って、あなたトワル? どうしてこんなとこにいるわけ?」
驚いた声とともに刃物が引っ込められる。
振り返ると、やはりそこに立っていたのはオーエンと一緒に行動しているはずのリンだった。
トワルはラニウスやサミエルに神の槍が落とされたこと、ユメス古代図書館でユメスとフィオナを連れ去られたことなどこれまでの経緯を掻い摘んで話した。
それを聞いたリンが愕然とする。
「まさかそんなことが……」
「そっちはここで何してたんだ? 師匠は?」
「私は一緒に行っても役に立たない外を見張ってたの。師匠は一時間ほど前に遺跡へ入ったわ」
「へ? 師匠、もう遺跡の中にいるのか?」
トワルは目を丸くした。
ユメスは作戦を聞いているはずなのに、陽動役が到着する前に本命のオーエンが先に行ってどうするのか。
まああの師匠のことだ、何か考えがあるのかもしれないが……。
それはそれとして、トワルはリンを見た。
「しかし良かったよ」
「え?」
「本当に無事だったんだな。その元気そうな姿を見たらフィオナもきっと喜ぶと思う」
リンは数カ月前に起きた『ベルカーク暗殺未遂事件』のとき、一人で犯人グループの元へ乗り込み瀕死の重傷を負った。
トワルたちには治療する手段がなく死なせてしまったと思っていたのだが、事件解決後にその遺体は姿を消した。そして遺体の代わりに『リンは私が治療したから安心しろ』というオーエンの書き置きだけが残されていた。
それからずっとリンの安否は不明なままだった。
オーエンの言うことだから本当に治療したのだろうとは思った。だがトワルもリンが事切れたのをその目で見ていたため、正直な所こうして実際に再開するまで半信半疑だったのだ。
トワルがそう言うとリンはややきまりが悪そうに目を逸らした。
「いやあ……その節は色々とご迷惑をお掛けしまして。あと、厳密に言うと治してもらった訳ではないのよね……」
「どういうことだ?」
「あなたには話しておいたほうがいいわね」
そう言ってリンはポケットから何かを取り出すとトワルに渡した。
トワルの手の中にあったのは、青白く輝く宝石。
「これは……」
「そ。イリストヘルの霊石。といってもフィオナのじゃなく私のだけどね」
そう言ってリンは自分の左腕を軽く持ち上げてみせる。その手首にはブレスレットが付けられていた。
フィオナが付けていたものとそっくりの色が赤いブレスレット。
「まさか……」
「ええ、そのまさか」
リンがニコリと笑ってそれを外すと、リンの体が青白く透き通った。
フィオナと同じ霊体である。
「………」
トワルは絶句していた。
リンはトワルと違い、元の世界へ帰ることを目標にしていた。
それなのにこんな体になってしまっては、もしも戻ることができるようになっても困るのでは……。
しかしリンのほうには悲観したようすはまるで見られなかった。
むしろ自分の状態を面白がっているようにさえ見える。
「それでね、あなたたちに耳寄りな情報なんだけど」
「なんだ?」
「師匠によるとこの状態、元の人間の体に戻せるらしいわよ」
「本当か!?」
トワルは思わず聞き返した。
フィオナの宝石の正体を知ってから、ずっとフィオナを人間に戻す方法を探していたのだ。
「あくまで師匠の推測ってだけで確定ではないけどね。『イリストヘルの霊石』を生み出したシンラの岩戸の設備とダンジョンコアがあれば戻す方法も見つけられるはずだと言っていたわ」
シンラの岩戸のダンジョンコア。
確かユメスは医療技術に特化したコアだと言っていた。
その遺跡があの石を生み出したのか……。
「だからさ」
リンはブレスレットを付けて人間に戻るとトワルの両肩を掴んだ。
それまでと打って変わって真剣な表情をしている。
「フィオナのこと、絶対に助け出してきて」
「わかった」
トワルも目を逸らさず頷いた。
しかし――ふと思った。
「よかったらリンもこんな所で待ってないで一緒に行かないか?」
「私も? それができるならそうしたいけど、急がないといけないでしょ? 私遺跡の中がどうなってるか全然知らないからきっと足引っ張っちゃうわ」
「大丈夫だ。中の構造は俺がわかってる。案内は任せてくれ。――それにリンだって、我らが兄弟子殿に言いたいことの一つくらいあるだろう?」
「……何か策があるの?」
「ああ。上手くいくかは賭けになるが、リンが協力してくれるなら一矢報いるくらいは出来るかもしれない」
「面白そうね。聞かせてもらえる?」
リンは口元に笑みを浮かべた。
以前、ドワルドという国で怪盗や詐欺師として暗躍していた頃の不敵な笑みだった。