第3話-14.質屋の店主、起こされる
「……理。代理。マスター代理」
誰かが頬をぺちぺちと叩いている。
トワルがうっすらと目を開けると、赤い目の白い小人が立っていた。
「ミューニア……?」
「ご無事でしたか、マスター代理」
「無事って、一体何を言って――」
そこまで言いかけてトワルはハッと目を見開き勢いよく起き上がった。
トワルが倒れていたのは気絶する前と同じ学習装置の部屋の中だった。
辺りを見回し、それから慌てて自分の身体に触れる。切り落とされた腕や首は元通りにされていた。
ただ、首に掛けていた小袋が――フィオナの本体である『イリストヘルの霊石』が無くなっている。
そしてトワルのすぐ傍には見覚えのある青いブレスレットが転がっていた。
トワルは無言でブレスレットを拾い上げた。それから時計に目をやる。
どうやらあれから一時間近く気を失っていたらしい。
「………」
完敗だった。
手も足も出ず気絶させられ、フィオナとユメスを奪われた。
わざわざ切断した腕と首を戻されているのは戻したところで問題ないと判断されたからだろうか。
ふざけている、とトワルは思った。だが何一つ反論できる要素が無かった。
「マスター代理、お話しても構いませんか?」
ミューニアに問いかけられてトワルは我に返った。
わざわざミューニアが確認をしてくるくらいだから余程酷い顔をしていたのだろう。
トワルは一度大きく息を吐いてから向き直った。
「すまない、大丈夫だ。……そういえばどうしてミューニアがここにいるんだ?」
「マザーユメスは行動不能に陥りました。そのためこの施設の管理は暫定的に私に委任されています」
「それじゃ、この施設の設備はお前が自由に使えるのか」
「いいえ。私の処理能力ではマザーユメスと同等の力を発揮することは出来ません。あくまでもこの施設を維持できる程度です」
ミューニアもユメスを奪われて困っているらしい。
トワルは少し考えてから尋ねた。
「この部屋の学習装置は使えるのか?」
「いいえ。余力がありません」
「そうか……」
「ただ、例え使用できたとしてもマスター代理はしばらくこの部屋は使用できません。あの学習法は脳へ過剰な負荷が掛かります。一度使用したら最低でも五日は間隔を空けなければ脳が焼き切れて最悪の場合死に至ります」
「それじゃ、どちらにしろ無理なのか……」
トワルは肩を落とした。
あの学習ができるならマレクに対抗できるだけの知識を付けられると思ったのだが。
そんなトワルにミューニアが問いかけた。
「マスター代理はマレクを追うつもりなのですか?」
「ああ」
……といっても、現状ではトワルにはマレクがどこにいるのかすら見当もついていないのだが。
学習装置でマレクやマレクが使用している遺産のことがわかれば居場所の推測もできるかもしれない、という期待もあったのだ。
トワルは内心途方に暮れていた。
するとミューニアがまた問いかけてきた。
「マスター代理はかなりの危害を加えられたようですが、まだ立ち向かう意志があるのですか?」
「当然だろう」
フィオナが攫われたのだ。
敵わないとわかり切っていてもトワルには諦めるという選択肢はなかった。
ミューニアはしばらく黙ったままトワルを見上げていたが、やがて言った。
「了解しました。マレクの元へお連れします」
「え?」
「現状のようにマザーユメスが行動不能になった場合に備え、作戦案はもう一つ用意されていたのです。ただこの作戦ではマスター代理が危険に晒されることになります。そのためマスター代理に意志が無いようなら伝えるなと止められていたのです」
トワルは思わずミューニアを両手で掴んだ。
「そんなのがあったのか! 教えてくれ。俺はどうすればいいんだ」
「マスター代理にはマレクの拠点にしている遺跡へ正面から突入して頂きます。主な目的はマレクの注意を引くことです。その間にマスターが別の経路から拠点に侵入します。マスターかマスター代理のどちらかが遺跡の中枢まで辿り着きマレクを拘束できれば我々の勝利となります」
マスター、というのはトワルの師匠でありミューニアの本来の所有者であるオーエンのことだ。
「つまり俺は囮役ってことか」
「はい。その通りです」
どちらかがマレクの元に辿り着けばいい、とは言ったが内容を聞く限り本命として期待されるのは正面から突入するトワルではなくこっそり忍び込むオーエンのほうだろう。
まあそれは無理もない。経験の差を考えればオーエンのほうが成功する確率が高いのだから。トワルが作戦を考える立場だったとしても同じ役割分担にする。
「俺はそれで構わないが、作戦の変更は師匠には伝えなくていいのか?」
「問題ありません。元々の作戦では正面から攻めるのはマザーユメスの役割でした。マスター側の行動パターンに変更はありません」
「そうか」
トワルが納得すると、ミューニアはトワルの手からぴょんと飛び降りた。
それから部屋の扉まで掛けていくと振り返り両手を振る。
「続きはマレクの拠点へ向かいながらお話しします。マスター側はもうすぐ辿り着くはずです。急がなくてはいけません」
「急ぐって、ここへ来た時みたいに転移しないのか?」
「向こうには空間技術に特化したラニウスのコアがあります。空間転移を使用すれば確実に気付かれるためその方法は使用できません」
「あ、そうか。しかしそれならどうするんだ?」
「車を使います」
「車?」
車と言ってもトワルの想像する車とは違うのだろう。
トワルはとりあえずミューニアの後に付いて行った。
部屋を出たミューニアとトワルは図書館のロビーへやって来た。
するとミューニアは一番大きな机の上に飛び乗り、片手を大きくぶんぶん振り回し始めた。
何事かと見ていると上のほうからガサガサと物音がする。
そちらへ目を向けると、本棚から数冊の分厚い本が飛び出してトワルへ一直線に向かって来ていた。
「な、なんだ!?」
思わず防御の姿勢を取るが、その本の群れはトワルの近くまで来ると空中でピタリと止まる。
ミューニアが振っていた手を降ろして机から飛び降りた。
「それらの本をお持ち下さい。移動中に目を通して頂きます。奪われた各種ダンジョンコアの詳細、ヤシュバル神殿の構造や警備システム、その他マレクの元へ向かう際に有用だと思われる書籍たちです」
「ヤシュバル神殿というのは?」
「マレクが拠点にしていると予想される古代遺跡です。『神の槍』の発射装置の他、ダンジョンコアの演算能力を向上させる装置なども格納されています」
「そういや師匠たちもそこへ向かってるってユメスさんが話してたっけ」
マレクはもう神の槍は使わないと言っていたが、他に必要な装置があるのならきっと今もそこを使用しているだろう。
「その神殿はここからどれくらいかかるんだ?」
「一時間程度です」
「一時間か……」
トワルは両手に抱えた本に目をやった。
一時間でこれらを全部覚えるとなると中々大変そうだ。
こんな状況でなければじっくり時間を掛けて読んでみたかったが。
そんなことを考えながらその内の一冊をパラパラとめくったが……あれ?とトワルは首を傾げた。
「なあミューニア、この本、古代文明の言語で書かれてるよな?」
「はい」
「俺この文字まだそんなに読めなかったはずなんだけど、何故かスラスラ読めるんだが……」
するとミューニアは何だそんな事かと言うように答えた。
「マザーユメスの学習装置の影響でしょう。あれは古代文明の言語を使用しますので一度受ければ言葉も習得できるのです」
「そうなのか……」
こちらの世界に召喚されて言葉を覚えるまでどれくらい掛かったんだったかな、とトワルは考えた。
よく覚えていないが話すだけでなく読み書きまでとなると相当時間が掛かった記憶がある。
それがたったの三分。しかも母国語同然にすらすら頭に入ってくる。
脳に過剰な負荷を掛けるから間隔を空けないと使えないというのは脅しでも何でもない事実なのだろう。
便利だなと思う反面、トワルは少し背筋が寒くなった。
それからトワルはミューニアの案内でユメス古代図書館の最上階へ辿り着いた。
最上階は広々としていた。それまでのフロアと違いほとんど物が置かれておらず寂しい感じがする。
「あれに乗って向かいます」
ミューニアが歩いていく方を見ると、壁際に乗り物らしきものが複数台止まっているのが見えた。
あれがミューニアの言っていた車という奴だろうか。
その乗り物は卵を角ばらせたような形をしていた。四人乗りの馬車と同じくらいの大きさで、カラフルに塗装されているので正確な判別は出来ないが恐らく金属でできているようだ。
車というが車輪は付いていない。あと窓もない。
しかしなんだか見覚えがあるような……とトワルは少し考えて、ジオラマの中を飛び回っていたあの乗り物だと気が付いた。
「こちらです」
ミューニアが乗り物に触れるとそこからニュッと穴が広がり入口が現れた。
トワルが恐る恐る中へ乗り込むと、車内は外観からの印象より随分広く感じられた。また外からは中の様子は見えなかったが、逆に中からは外の様子が透けて見えるようになっていた。
「座席に座って下さい。発進します」
取り付けられた椅子の一つにトワルが腰掛けるとミューニアは前方の操縦に使うらしいパネルの上に飛び乗った。そして赤い瞳をチカチカ点滅させる。すると車は音もなく垂直に上昇し始めた。
「うわ、浮いた……」
そのままユメス古代図書館の天井をすり抜けて外へ出ると、車は目的地であるヤシュバル神殿へ向けて大空を一直線に走り出した。