第3話-9.質屋の店主、授業を受ける
何も見えない真っ暗闇だった。
隣にいるはずのフィオナはおろか、自分の身体さえ確認できない。
目を開けているかどうかも自信が持てなくなる。床の上に立ったままのはずだが、足元も見えないため平衡感覚もおかしい。なんだかふわふわする。
そんな暗闇でユメスの声が響いた。
『不安にならなくても大丈夫よ。慣れればとても便利なものだから』
「授業とか言ってましたが、こんな暗い中でどう教えるつもりなんですか?」
『現在、あなたたちの脳に直接情報を流し込んでいるの。この部屋はそうのための学習装置なのよ』
「それは大丈夫なものなの……?」
すぐ近くでフィオナの不安げな声がした。
どうやら暗闇になっただけで場所を移動したりはしていないらしい。
フィオナの疑問に対してユメスが答える。
『問題ないわ。大容量の情報を一気に流し込んだりしない限り人体に悪影響は出ないから』
それは大丈夫と言うのだろうかとトワルは思ったが、その疑問が口から出ることはなかった。
トワルが口を開く前に、突然トワルたちの目の前に一軒の家が現れた。
サミエルでも見かけそうなごく一般的な民家。ただしその家は霊体化したフィオナのように半透明で、いきなり出現したことから考えても本物の家ではないようだった。
「これは……?」
『立体映像よ。あなたたちの脳を錯覚させて見てもらっているの。視覚を用いたほうが理解しやすくなるから』
「すごい……」
フィオナが呟く。
『あなたたちも知りたいことは沢山あると思うけど、まずは私たちの文明――あなたたちの言うところの古代文明ね。その概要について簡単に知ってもらうわ。これを理解してからのほうがマレクの事や『イリストヘルの霊石』についても飲み込みやすくなるはずだから。それでいいかしら』
「ええ、構いません」
トワルは返事をした。
どちらにしろこの状況では恐らくもう拒否権はないだろうし、トワルたちだってそのためにここへ来たのだ。必要な説明なら受けない理由がない。
ユメスは続けた。
『それではまず取っ掛かりとして、『神の槍』について説明しましょう』
ユメスが言い終わるのとほぼ同時に民家が光に包まれた。
遥か上空から照らす、指向性のある光。
スケールはかなり小さいが、ラニウス遺跡やサミエルの街を襲ったあの光の柱だ。
光の柱はしばらく民家を照らし続けていたが、やがてフッと消える。
それから間髪入れずに黒い柱が落ちてきて轟音とともに民家を押し潰した。
横でフィオナが小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。
黒い柱は数秒ほどその場にとどまったあと、全体に亀裂が入って粉々に砕け散り、空気中へ跡形もなく消えていった。
サミエルに落ちたときと同じ光景だ。
そこに残ったのは、粉々に砕かれ地面にめり込むほど押し潰された民家の残骸だけだった。
『これが『神の槍』。最初に上空からスポットライトを照射して照準を合わせ、そこへエネルギーを圧縮して生成した超重量の塊を落としてその一帯を押し潰す。そういう技術よ。……ただしこれは本来こんな兵器のような運用を想定された技術ではなかったわ』
「そうなんですか?」
『そうよ。だってこれ元々は土木作業用に開発された技術だもの』
「へ? 土木作業?」
予想外の返答にフィオナが変な声を出す。
トワルも目を丸くした。
『『神の槍』は土地の整地の効率化を目的に開発されたものなのよ。新しく開拓する土地や再開発が必要になった地域など広範囲を最初にざっくり成型するため、という名目でね。重量物がエネルギー体だからどんな形に押しつぶすかも簡単に変更できるし』
土地を整地するための技術。
説明からすると土の地面に巨大な判子を押し付けるようなイメージなのだろうか。
今までに見てきた使われ方のせいで少々信じがたいが、そう言われてから考えると納得のいく点もあった。
例えばあの最初の光の柱。兵器として作られたならあんなに長時間照らすようなことはしないだろう。あれでは相手にこれからここを攻撃するぞと教えるようなものなのだ。
あの光の柱には逆に照らした範囲に部外者が侵入しないようにする警告の意味合いもあったのかもしれない。
しかしトワルは納得すると同時にある疑問を持った。
「土木作業に使われていたものなら、どうして『神の槍』なんて大袈裟な名前が付いているんです?」
『この技術を開発した技術者チームがそう名付けたからよ。ふざけ半分だったというか、自分たちの技術の高さに思い上がっていたのでしょうね。だから私たちダンジョンコアは戒めとして今もその名前を使い続けているの』
トワルにはそう話すユメスの声はどこか寂しげに聞こえた。
それから『神の槍』に押し潰された民家の残骸が闇の中に沈むように消えて行った。
代わりに何やら別の物が浮かび上がってきた。
「これは……」
「街?」
『そう、街。今から千年以上前、私たちの文明が全盛期を迎えた頃の生活風景よ』
それは家庭用のテーブルを二枚並べたくらいの大きさの街のジオラマだった。
見たことのないデザインの建物が立ち並び、車輪も付いていない動力不明な乗り物が道路や空を行き交っている。よく見ると爪の先より小さな人間が道を歩いたり建物の中で行動したりと実際の生活の様子を観察できるようになっていた。
ジオラマというよりも当時の様子を縮小して再現した立体映像のようなものなのだろう。
未来。――古代文明ではあるが、そんな言葉がトワルの脳裏に浮かんだ。
『技術の飛躍的な発展をきっかけに、当時この地を支配していた人々は空想の中でしか思い描けなかったようなことのほとんどを実現できるようになった。エネルギーや食糧の心配もしなくて良くなり、空間操作技術の確立によってどんなに遠い所へも数秒もかからず行き来できる。ほとんどの病気や怪我も治療できるようになっただけでなく、自身の肉体のあらゆる部位を複製・交換することで実質的な不老不死さえも現実になった。自分たちには最早不可能など何一つ存在しない。この時代の人たちの中にはそんな空気が漂っていたの』
「………」
別にユメスは誇張して話している訳ではないのだろう。
古代文明の遺産には信じられないような効果を持つものも多い。ああいったものが日常的に溢れていたら出来ないことのほうがむしろ少ないだろう。
何なら目の前にいるユメスの存在自体がそれだけの超技術を持っていたという証なのだ。
ユメスはさらに続ける。
『そんな雰囲気の中で新たに生み出された技術の一つが『神の槍』。といっても土木関連については既に定番の技術が確立されていたから実用化されることはなく、結局お蔵入りになったわ。でもそれは『神の槍』を開発した人間たちも最初から承知の上。あらゆる物事が便利になりすぎて暇を持て余した技術者たちが半ば悪乗りで作り上げた技術だったのよ。だからあの攻撃の正体を突き止めるのにも時間が掛かってしまった。ミューニアが直接受ける機会が無ければ今でも特定できていなかったかもしれない」
「悪乗りであんなものを作ったの……?」
『ある種の頂点に辿り着いてしまった反動ね。それだけの余力があり、また誰もが退屈や停滞を感じて刺激に飢えていたの。そのためその頃は実用性よりも斬新であることを重視した道具が多く作られたわ。良く言えば革新、悪く言えば迷走。……まあ、私たちダンジョンコアが開発されることになったのもそういった流れのお陰だからあまりどうこう言える立場でもないんだけどね』
ユメスがそう言って笑った。苦笑のつもりなのだろう。
言われてみれば古代文明の遺産には「凄いには凄いけどなんでこんなもん作ったんだ?」と首を傾げたくなるような物も数多くある。
例えばトワルたちが風呂を沸かすときに使っている『水をお湯と氷に分離するキューブ』とか。
確かに無駄な物を生み出せるのはそれだけ豊かな証拠ではあるが……。
それはそれとしてトワルはふと疑問が湧いた。
「そういえばダンジョンコアというのはどういったものなんですか? 師匠からは古代遺跡の仕掛けを管理する制御装置と聞いていましたが俺にはあなたがそれ以上の存在に思えます」
「お褒め頂き嬉しいわ。――それじゃあちょっと横道に逸れて私たちダンジョンコアについての説明をしましょうか」
ジオラマの上に丸い物体が複数現れた。
大きさは大小さまざまだが、どれも銀色の光沢を放つ金属の球体だった。
全部で十一個浮かんでいる。
「これがダンジョンコア……?」
『ええ。先述の通り、私たちダンジョンコアは『神の槍』と同じ頃に産まれたわ。全部で十一体が製造され、当時の重要な施設にそれぞれ一体ずつ配備された。主な役割はそれぞれの施設の運営と管理。ただし私たちにはそれ以上の役割と機能が備わっていたわ』
「というと?」
『私たちは当時の技術や文化の保存しそれを後世に伝えることを目的に作られたの。だから私たちのコアの中にはそれぞれ各分野ごとのあらゆる情報が収められていた。例えばあなたたちも知る施設で言えばラニウスのコアは空間と時間の制御技術、シンラは医療技術。私ユメスは特定の分野に特化されることはなかったけれど、代わりに歴史や当時の娯楽文化を含むあらゆる情報が収められ、全ての情報の管理と統括の権限を与えられた』
「他の十のコアは一つ一つの分野に特化して作られて、ユメスさんはそれらをまとめる役として作られたということですか?」
『その認識で問題ないわ。私たちには人工知能が組み込まれ、半永久的に活動が可能なように自己修復機能、エネルギー生成機能、そして障壁生成などの防衛機能まで付けられた。――もしも文明が滅びても私たち十一のダンジョンコアさえ残っていれば何度でも同じ文明を再現できる。そんな風に設計されたものだったのよ』
「文明が滅びてもって……何かそういう前触れでもあったんですか?」
『そんなものは無かったわ。ちょっと豪華なタイムカプセルとしても使えるように作られたの。ちなみにダンジョンコアという名前の由来は当時流行していたフィクション作品からの引用ね』
「なんか色々と凄かったんですね……」
フィオナが驚きとも呆れとも取れそうな声を出した。
『ええ。自画自賛になってしまうけれど、私たちダンジョンコアは当時の技術の集大成と呼べる代物だったわ。……そして皮肉なことに、私たちがタイムカプセルとしての役割を果たす機会はすぐに訪れる事になった』
「どういうことです?」
『私たちの文明はそれから間もなく、全盛期を迎えてからだと十年も持たずに滅亡してしまったの』
唐突な展開にトワルとフィオナは息を飲んだ。
何となくジオラマに目を向けるがジオラマには特に変化はない。
「……何があったんですか?」
『歴史の中で何度も繰り返されてきた話よ。技術の発展によって全体の生活は豊かになったけど、それ以上に貧富の差が広がることになった。多くの人々が次第に不満を抱えるようになり、小さな諍いを繰り返すうちに国が割れるほどの内戦に発展した。そしてそんな混乱の中で誰かが禁断の兵器を使用してしまった』
「禁断の兵器?」
『簡単に言うと爆弾よ。この世界全体を死の大地に変えてしまう爆弾』
ユメスのナレーションに合わせてジオラマの様子が変化していく。
強い光と爆風で建物や人々が一瞬で吹き飛ばされ、あとにはわずかな残骸と腐り果てた大地だけが残った。
数名の生き残りの姿も見えるが、もはやどれも満足な人間の形を残してはいなかった。呻き声を上げ、その場で必至にもがいている。目を覆いたくなるような光景だった。
『兵器を使われた結果、大陸全土が汚染され、ほぼ全ての人類が一瞬で消滅したわ。生き残ったのは障壁を張って建物の破壊を回避できた私たちダンジョンコアとその施設内にいた人々だけ。でもその人たちも無事では済まなかった。腐った大地は疫病を生み、施設に避難していた人々の身体をも蝕み始めた。治療は出来たけれど治療した傍から再び病に侵される。備蓄も残り少なくなっていき、その内まともに食事をとることすら出来なくなるのは誰の目にも明らか。自分たちが愚かな行いをしたと気付いたときにはもう遅かった』
語り口に悲壮感や重々しさはなくそれまでと変わらぬ軽い調子だったが、それが却って当時の生々しさを感じさせた。
トワルとフィオナは黙ってユメスの続きを待った。
『このままでは人類が滅びるのはもはや時間の問題だったわ。だから残った人たちは最後の望みを賭けて、他の世界へ移住することを考えた』
「他の世界?」
『並行世界とかパラレルワールドと言ってね、この世界は一つではなく、今私たちが存在するこの現実とは別の世界が並行して複数存在しているの。起点は同じだけれど違う歩き方をして全く異なる姿になった世界。それらの並行世界の内、まだ誰にも文明を築かれていない手付かずの世界があるはず。そんな世界を探してそちらに移住しよう。そちらへ行って安全を確保し、土壌汚染などの問題を解決する方法を確立したらまたこちらの世界へ戻って来よう。人々はそう考えた』
トワルの脳裏にある事柄が浮かんだ。
平行世界って、まさか……。
『パラレルワールドに関しては理論自体は随分前に完成していたの。わざわざ移住する理由がないし、万が一理論が間違っていたときのリスクが大きすぎるという理由からずっと保留にされていただけでね。だから計画立案から実際に装置が完成するまでは早かったわ。作れなければ全滅するという状況だったことも大きかったのでしょう。そして、出来上がったのが……』
ジオラマが消え、代わりに現れたのは巨大な装置だった。
複雑な配管や操作盤に囲まれた台形の装置。その中央にある両開きの巨大な扉。
ずっと昔に一度だけ見たことがある。しかしトワルにとっては絶対に忘れられない扉だった。
トワルが何も言わないので、フィオナもそれが一体何なのかを察した。
「まさかこれって……」
『そう。トワルやリンがこちらの世界へ召喚される原因となった装置。『異世界の門』よ』