第3話-8.質屋の店主、図書館へ行く
トワルとフィオナはユメスの案内で廊下を進んでいた。
あれから随分長く歩いているはずなのだが、いつまで経っても周りの様子はまるで変わらない。ずっと同じ廊下、同じ景色が続いている。
前方を歩くユメスにフィオナが声を掛けた。
「あの、あとどれくらい歩くんですか?」
「もう少しよ。あと三分くらいかな。ごめんね、本当はもっと目的の部屋の近くへ転送したかったんだけど、そこまで計算する余力がなくて」
ユメスは眉尻を下げ申し訳なさそうに笑みを返す。
子供のような見た目なのに落ち着き払っているから多少の違和感はあるが、その仕草や受け答えは自然そのものだった。機械っぽさは微塵もなく、人間とほとんど遜色ないように思える。
これがダンジョンコア、マザーユメス。
第一印象でトワルはミューニアに似ていると思ったが、実際はミューニアのほうがこの姿に似せて作られたのだろう。体の大きさだけでなく性能自体も予備のコアであるミューニアより遥かに凌ぐであろうことはこれまでのやり取りだけで十分に感じ取れた。
しかしそのダンジョンコアがトワルとフィオナを自分の遺跡へ転送してまで一体何をさせようというのか。
そんな二人の不安を察したのかユメスはやや困ったような顔をした。
「急に呼び出してしまったせいで二人とも緊張しているみたいね。でも安心していいわ。あなたたちに危険なことをさせるつもりはないから」
「具体的に何をすればいいんですか?」
「そう身構えなくても大丈夫。あななたちには簡単なサポートをお願いしたいだけだから。どちらかと言えば、あなたたちに来てもらったのはこの機会にお話がしたかったからなの」
「私たちと……?」
フィオナが意外そうな顔をする。
するとユメスは足を止めて振り返り、軽く片手を上げてトワルとフィオナを制止した。
「止まって。ちょっと揺れるけどじっとしていてね」
「揺れるって……きゃっ!」
三人が乗っていた床がガクンと揺れ、それからゆっくりと下降し始めた。
それまでと同じ廊下で目印なども全く見当たらなかったが、どうやらここから下へ向かうらしい。
床の下降に二人が慣れるのを待ってからユメスは再び口を開いた。
「マレクのことは気にしなくていいわ。あの人の居場所は特定できたし止めるのは私とオーエンがやる。ただその時ちょっと人手が必要になるから、あなたたち二人とリンにはその時に手を貸して欲しいの」
「オーエン? どうして師匠の名前が出てくるんです?」
「それにリンも……?」
トワルもフィオナは目を丸くした。
先程から話をすればするほど疑問が増えている気がする。
しかしユメスはそんな二人に対し事もなげに言った。
「どうしてもなにも、今回の作戦を提案してきたのはオーエンだもの。あなたたちの事だってオーエンから推薦されたのよ」
「なんですって?」
「四年前にラニウス地下工房――あなたたちがラニウス遺跡と呼ぶあの施設がマレクに手引きされた窃盗団によって破壊されたあと、オーエンは私にコンタクトを取ってきた。それ以来オーエンと私は協力関係にあるの。マレクを見つけ出し、暴走を止めるために」
「窃盗団がマレクの手引きだったって……?」
トワルにとってそれは初耳だった。
だがそうであればようやく合点がいく気がした。
リンから聞いた話では、オーエンはラニウスの爆発のあとサミエルに戻らす窃盗団を追いかけることを選んだらしい。
オーエンの人柄から考えて盗み出された古代文明の遺産を取り返すという使命感だけでそんな行動に出たというのがどうもしっくり来なかったのだが、私事が絡んでいたのならそうしたのも納得がいく。
リンがトワルにマレクのことを話さなかったのは師匠に口止めでもされていたからだろうか。
そんな考えに至ったのと同時に、トワルはふと別のことも思い出した。
リンは一時期トワルたちと共にオーエン質店で働いていたことがあったのだが、その時リンは『師匠が遺跡から盗まれた遺産の回収をしているのはどうも誰かの命令でやっていたようだった』というようなことを話していた。
ひょっとして……。
「師匠が盗まれた遺産の回収をしていたのはあなたからの指示なんですか?」
トワルの疑問に対しユメスは頷いた。
「そうよ。オーエンは盗まれた遺産を取り戻して再封印をし、私はその代価として必要な情報を提供する。そういう契約だったの。本当は私が動くべきだと判断していたんだけど、オーエンに自分に任せてほしいと言われたから。……でもマレクはとうとう私たちの文明の力を使って現代の文明――あなたたちの街に攻撃を行った。そうなると私ももうこれ以上見過ごすわけにはいかないのよ」
ユメスの表情と口調は柔らかいままだったが、それが逆にどこか鬼気迫るものを感じさせた。
ただ、トワルとフィオナには今一つその意味が分からなかった。
ベルカークも危惧している様子だったが、ユメスが動く、とはどういうことなのだろう。
フィオナが恐る恐る尋ねた。
「何をするつもりなんですか?」
「詳しい説明はこれから話すわ。でもその前にあなたたちには伝えておかなければいけないことがある。……二人は『シンラの岩戸』は知っているかしら」
フィオナはキョトンとしたあと無言でトワルに顔を向ける。
トワルは頷いた。
「古代文明の遺産の一つですね。実際に行ったことは無いですが師匠から聞いたことがあります」
ユメスも頷いた。
「シンラの岩戸は四年前に窃盗団に荒らされた遺跡の一つでね。マレクの行方に関係するものがあるかもしれないということで、オーエンとリンは三週間前にシンラの岩戸の調査をしていたの。そしてその時、シンラの岩戸は『神の槍』による攻撃を受けたわ」
「なっ……!?」
押し潰されたラニウスの惨状が脳裏に蘇り、トワルは顔色を変えた。
フィオナの表情が凍り付く。
「それじゃああの二人は――」
「安心して。私もシンラに『神の槍』を落とされたことはあの二人から連絡を受けて知ったの。二人とも無事だし大きな怪我も無いそうよ。シンラの岩戸に落とされた神の槍はラニウスの時よりも威力がかなり弱くて、遺跡を半分も破壊できなかったそうだから」
「そうなんですか、良かった……」
フィオナが胸を撫で下ろす。
「二人はいまどこに?」
「あの二人には現在ヤシュバル神殿という遺跡へ向かってもらっているわ」
「ヤシュバル神殿……」
トワルも初めて聞く名前だった。
恐らくそれも古代遺跡の一つなのだろうが……。
その時床の下降が止まり、すぐ横の壁が音も無く左右に割れて開いた。
「着いたわ」
ユメスが扉の向こうへ歩いて行った。
トワルとフィオナもそれに続いた。
「うわぁ……」
部屋に入るとフィオナは思わず声を漏らした。
そこはまさに図書館だった。三人がいたのはロビーのような場所だったが、見上げるほどに天井が高く、十を遥かに超える階層が見える。どの階も本棚が一杯に並べられているようだ。
「これが私が図書館という名を冠する理由。私のダンジョンコアは知識の保存と管理、そして情報伝達に特化しているの。ここには私たちの文明に関する全てが納められているわ」
「こりゃすごいな……」
「ユメスさんが知識の保存と管理に特化っていうことは、他のダンジョンコアは違うんですか?」
フィオナが尋ねる。
「ええ。その辺のことについても今からあなたたちには学習してもらうわ。それに、『イリストヘルの霊石』――あなたと関わりのあるあの石のことも説明させていただきます」
そう言うとユメスは深々と頭を下げた。
イリストヘルの霊石。
フィオナの本体である、人間の魂を込めて作られたと言われる古代文明の遺産。フィオナの今の境遇の元凶となった宝石だ。
突然の申し出にフィオナはどう反応していいかわからないようだった。
トワルが本棚を見上げながら言う。
「聞きたいことは沢山ありますが……どの本から読めばいいんですか?」
「いいえ、わざわざ読む必要は無いわ。時間もないし、直接頭に詰め込ませてもらう。こっちよ」
ユメスはそう言うとさらに歩き出す。
トワルとフィオナは不穏な言い方が気になったが、とりあえず後へ付いて行った。
辿り着いた先は図書館の隅に用意された小さな部屋だった。
四方を白い壁に囲まれていて、目に付くものと言えば自分たちが入ってきた扉とその上の時計くらい。それ以外には何も置かれていない。
「ここは何なんですか?」
「私たちの文明の人々が使っていた学習装置よ。必要な知識を短時間で脳に直接記憶できる。まあ実際にやってみたほうが早いわね」
するとユメスの身体が淡く輝き始め、今度は出現した時とは逆に床に溶けるように消えてしまった。
それからだんだん室内が暗くなっていき、最後には何も見えなくなった。
トワルとフィオナが困惑しているとユメスの声が響いた。
『それでは授業を始めましょうか』