第3話-5.質屋の店主、穴を覗く
「え?」
この返答はトワルにも予想外だった。
手記の内容からオーエン師匠がかなり頼りにしていることは窺えたが、まさか一番弟子だったとは。
だがそれだと一層、師匠から全くその名を聞いたことがなかったのが気になった。
フィオナが言った。
『そのマレクさんってどんな人だったんですか?』
するとベルカークは懐かしそうな顔をした。
「なんというか、凄い人でしたよ。私とそう歳は変わらなかったんだが、小さい頃からオーエン氏についていた人でね。オーエン氏が直感と経験で行動する実践型だったのに対してマレクさんは古い文献などを元に判断する研究者のようなタイプだった。純粋に古代文明の知識に関して言えばオーエン氏よりも上だったと思います。頭を使うだけでなく荒事も手慣れていてね。弟子というよりは片腕と呼ぶ方が相応しい人で、オーエン氏の行動を制御できる唯一の存在でもありましたね」
『ベルカークさんがそこまで言う人だったんですか……』
「ええ。人格的にも出来た人で、私も随分助けられましたよ」
「その人は今どうしているんですか?」
トワルが尋ねるとベルカークは微かに顔を曇らせた。
「マレクさんは十年前に街から出て行ってしまってね。以来行方知れずのままだ」
「え……?」
『十年前って……』
「ああ。トワルが召喚されたラニウス遺跡の初調査が切っ掛けでね。あの時のメンバーの中にはオーエン氏やマレクさん、それに私もいたんだが、その時にちょっとしたいざこざがあったんだ。それ以前から既に予兆はあったんだが、あの時の調査が決定打になってしまった」
「……それは俺が聞いても良い内容の話ですか?」
トワルは聞いた。
師匠のオーエンはトワルにマレクのことを一切話したことがなかった。
それはそのいざこざの内容をトワルに話したくなかったからだろう。
ただ、個人的な感情から話さなかったとはちょっと思えなかった。あの人は良くも悪くも他人にどう思われるかなど気にしない。仮にただの喧嘩別れなら事実をそのまま話してくれていたことだろう。
そのオーエンがトワルに話すのを避けていたということは――マレクが街を去る原因の一端がトワルにあったから、という可能性が高い。
あのオーエンがそこまで気を配ってくれたことをトワルが勝手に聞いていいものかどうか。
慎重に尋ねたトワルに対し、ベルカークは肩をすくめた。
「当時のあの言葉もろくに話せない子供だった頃ならともかく、今のお前なら問題ないだろう。察しの通り、マレクさんがオーエン氏の元を離れた原因はお前にある。だが勘違いしてもらっては困るが、別にお前自身には何も責任は無かったんだ」
『トワルに責任が無いのにトワルが原因ってどういうことなんですか?』
「それなりに長い話になるのだが、今後の事を考えれば知っておいてもらったほうがいいだろうな。この調査を終わらせて街へ戻ったらまとまった時間を作って話してやろう。今話せるならそのほうがいいんだが、もうすぐ目的の遺跡に着いてしまうからな」
ベルカークがそう言いながら前方へ顎をしゃくる。
トワルがそちらへ目を向けると、草木がなくなり不自然に開けている一帯が見えた。どうやらあそこにラニウス遺跡があるらしい。
目的地が視認出来たことで調査隊の面々は心なしかそれまでよりも軽い足取りで進んでいった。
だが、それも長くは続かなかった。
「これは……」
「………」
遺跡を見た全員が言葉を失っていた。
いや、正確には誰も遺跡を見ることはできなかった。
遺跡のあったと思しき場所には、遺跡の代わりに巨大な穴ができていた。
覗き込んでみると穴はかなり深い。
底の方には土砂に混じって白い破片のようなものが見える。遺跡の残骸のようだ。
周辺を見回すと、穴を中心に爆発でも起きたように無数の木々が折れて倒れてしまっている。
「なにこれ……」
袋から出たフィオナが呟く。
トワルはベルカークを見た。
「あの時、光の柱が消えたあとに黒い柱が落ちるのを見ましたが――あの黒い柱が落ちた結果がこれ、ということなんでしょうか」
「そうだな。あの黒い柱が文字通り遺跡とその周辺を押し潰したのだろう。それによってラニウス遺跡のあった場所には穴ができ、周囲の木々は衝撃でなぎ倒されて吹き飛んだ。さらに余波でサミエルを含む周辺地域の一帯が地震の被害を受けたというところか」
重いハンマーで地面を叩きつけたようなイメージだろうか。
この惨状を見ればそうとしか思えない。だが実際にこうして目の当たりにしても現実とは思えない光景だった。
ミューニアは古代文明の技術を利用した攻撃と言っていたが、あの文明はこんな大規模なことまで可能なのか。
そこへ、調査隊員の一人が困惑した表情を浮かべながらベルカークに近付いてきた。
「ベルカークさん、調査はどうしましょう」
「うーむ……」
ベルカークが顎に手をやって考え込む。
一応ロープなども用意してきたがどう見ても穴のほうが深い。底へ降りて調べるのは無理だろう。
するとフィオナが提案した。
「私が調べてきましょうか?」
「そうか、フィオナさんなら飛べるんですね」
調査隊員が感心したように言う。
だがベルカークは首を横に振った。
「いや、止めたほうがいい。あんなに潰れてしまったとはいえ古代文明の遺跡だ。迂闊に近付いたら何か起きるかもしれない。……それに、穴に入って調べている最中に万が一またあの柱が降ってきたら逃げようがない」
その言葉に全員が固った。
屈み込んで穴を覗いていたトワルが顔を上げて言った。
「そうですね。何が起きるかわかりませんし、いつでもこの場を離れられれるようにしておいたほうが――」
そこまで言ってトワルは言葉を切った。
覚えのある感覚に襲われたのだ。
周囲の気圧が上がっている。
「まさか」
目を見張り、空を見上げる。
しかし上空はそれまでと変わらぬ曇り空。変化が起きた様子はない。
だがフィオナが悲鳴に近い叫び声を上げた。
「ト、トワル!」
トワルは慌ててフィオナに振り向き――さらにフィオナの視線の先に目を向けて絶句した。
狙われたのはラニウス遺跡ではなかった。
自分たちからかなり離れた位置に見覚えのある光の柱が見えた。
あの方向は、サミエルの街だ。
ラニウス遺跡の時よりも光の柱は一回りも二回りも太い。
どうやら街全体を照らしているらしい。
「お、おい、あれ不味くないか」
「どうすりゃいいんだ……?」
調査隊員たちが不安の声を上げる。
実際、かなり不味い。だがどうすることもできない。まだ対抗する術どころかあれの正体すらわからないのだ。
トワルたちはただその場に立ち尽くして光の柱を見ているしかなかった。
やがて光の柱がすうっと消えていく。
ラニウス遺跡への攻撃の余波だけで街は相当な被害を受けた。
それが直撃などしたら――。
「やめろ……」
トワルは無意識に呟いた。
次の瞬間、巨大な黒い柱がサミエルの街に落ちて行った。