第3話-4.質屋の店主、遺跡へ向かう
謎の柱が原因とみられる地震により、サミエルの街では死者こそ出なかったものの多数の怪我人と物損被害が発生した。自警団や兵士などは徹夜での対応に追われていたようだ。
そして翌日の早朝、オーエン質店にこの街の領主の使いを名乗る男が訪ねてきた。
用件は調査隊への同行依頼。地震の原因や現状の把握のために黒い柱が落ちたと思われるラニウス遺跡へ調査隊を向かわせることにしたのだが、万が一に備えて古代文明の知識を持つトワルにも加わって欲しいとのことだった。
トワルのほうも何が起きたのか知りたいと思っていたので二つ返事で引き受けたのだが……。
「私まで付いてきてしまって本当に良かったのかしら?」
フィオナが不安げに言った。
調査隊はサミエルの街を出発しラニウス遺跡を目指して進んでいた。
人員は十数名ほど。トワルも含め皆支給された冒険服に身を包み、食料品やテントなどの大きな荷物を背負っていた。
それに対してフィオナだけはいつも通りのドレス姿で、小さな手荷物一つない手ぶら状態。
後ろめたさというか場違い感を覚えるのも無理はなかった。
「私たちのほうからお誘いしたのです。気兼ねなどする必要はありませんよ」
トワルとフィオナの前を歩いていた背の高い肥満体の男が振り返りながら言った。
この男の名はベルカーク。サミエルでも指折りの豪商で、悪徳商人のような顔つきをしているがそこまで悪い人間ではない。
過去にオーエンの弟子を務めていたことがあり、トワルにとっては兄弟子にあたる。
サミエルの運営にも関わっており、その力は領主にも比肩しうると噂されている。今回の調査隊の指揮命令者もベルカークであり、トワルとフィオナの同行を決めたのもこの男のようだった。
ベルカークに対してフィオナはきまりが悪そうに言った。
「そうは言っても、せめて私も何か荷物を持った方が……」
「いやいや。あなたのような可憐な女性に重い物など持たせるわけにはいきませんよ。そもそもそんなことをさせたら同行して貰った意味が無くなりますからな」
「何か理由があるんですか?」
「フィオナさんにはいざという時の連絡係をして頂きたいのです。だから常に身軽な状態でいてもらったほうがこちらも都合がいいのですよ」
横で話を聞いていたトワルはなるほどと思った。
ベルカークはフィオナの正体や能力のことを知る数少ない人間の一人だった。だからこの調査隊に何かがあったとき街まで助けを呼びに行く要員としてフィオナを選んだのだろう。
サミエルの街からラニウス遺跡までは道もろくに整備されていないため徒歩で少なくとも三、四日掛かるが、フィオナなら霊体化して飛べばその半分も掛からない。
フィオナにだけ冒険服を支給しなかったのもそのためだろう。フィオナは人間のときなら自由に着替えも出来るのだが、その状態で霊体になると着ていた服が体をすり抜けてしまうのだ。半透明な霊体だからといって下着姿で街に向かわせるわけにはいかない。
長い付き合いでベルカークが無類の女好きであることを知っているトワルはフィオナを同行させると聞かされてから内心ずっと訝しく思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
……と、思っていたのだが。
ベルカークは鼻の下を伸ばしながらフィオナの肩に手を置いた。
「それに、やはり若い女性がいたほうが隊員たちの士気も上がりますからな。できれば貴方の冒険服姿も拝見したかったのだが」
「あ、あはは……」
フィオナが体を強張らせながら愛想笑いを返す。
トワルはフィオナの腕を掴むとグイっと自分の方へ引き寄せた。
「この辺は足元も悪いですからあまり余所見し過ぎると危ないですよ。……話を戻しますが、そうするとベルカークさんは今回の調査で何か予想外のことが起きると考えているんですか?」
「別に確証があるわけではないよ。だがあんなものを見せられた後なんだ。取れる手段を出し惜しみしている場合ではないだろう。掛けられる保険は掛けておいたほうがいい」
あんなもの、というのは言うまでもなく光の柱と黒い柱のことだろう。
「ベルカークさんはあの柱に心当たりがあるんですか?」
「いいや。古代文明絡みだとは思うがはっきりしたことはわからん。まずはあの黒い柱が落ちた現場がどうなっているかを調査してからだな」
調査団は時折休憩を挟みながら日の入り近くまで歩き続け、日が落ちてからはテントを張り野営をした。
就寝時フィオナは本体の宝石の中に戻り、トワルの上着のポケットの中で眠った。
それから二日間さらに歩き、ようやく調査団はラニウス遺跡の近くまでやってきた。
この遺跡の周辺一帯は水はけが悪く年中沼地や泥地だらけで非常に歩き辛い。しかも藪や木々が生い茂りそれらがさらに進行を妨げる。
位置的には人の往来の激しい商業都市からすぐの距離ではあったが、こんな交通の不便な所をわざわざ通ろうとする人間は誰もいなかった。
さらにラニウス遺跡は高低差がやや激しくなっている場所の窪地の一つに納まるように鎮座していて、かなり近くまで行かなければその姿を確認できない。
千年以上前に作られたはずの古代遺跡がほんの十年前まで存在すら気付かれていなかったのはそんな事情からだった。
「ひぃ、ふぅ……」
「大丈夫ですか、ベルカークさん」
トワルが心配して声を掛けた。
ベルカークは肩を大きく上下させながら一歩ずつ前に進んでいた。
目的地はもうすぐとはいえ、ただでさえ野営生活が続いていた上でのこの泥歩きである。まともに腰を下ろせるような場所はないし、一歩進むたびに足を取られて体力をごっそり持っていかれる。肥満体のベルカークなら尚更だろう。
ベルカークだけでなくトワルや他の調査団員たちの顔にも疲労の色が浮かんでいた。
フィオナの姿はない。
ドレス姿でこんな場所を歩かせるわけにはいかないので宝石の中で待機してもらっている。
ベルカークがとうとう立ち止まり、膝に手をついて呼吸を整えた。
「ひぃ……やはり体が鈍っているどころではないな。前に来た時はここまで疲れもしなかったのだが。ふぅ、ひぃ……こりゃ、帰ったら少しは体を鍛え直すべきか」
『前にも遺跡へ行ったことがあるんですか?』
トワルの胸元からフィオナの声がした。
本体の宝石を小袋に詰めて首に掛けてあるのだ。
「ああ。四年前と十年前の二回ほどね。もう引退の身のつもりだったからまさかこうして三度目があるとは思いませんでしたが」
四年前というのは遺跡が爆発事故を起こした際の確認のとき、十年前というのはトワルが召喚されることになった最初の調査のことだろう。
ベルカークはハンカチで額の汗を拭いながら続けた。
「若い頃はオーエン氏に付いて世界中を探検していましたからね。今のこの姿からは想像できないかもしれないが、昔は私も随分スマートで体力もあったんですよ」
『そうなんですか?』
フィオナが思わず意外そうな声を出す。
トワルのほうは驚く様子も無く頷いた。
「そういえば聞きました。俺がこっちの世界に来た時はベルカークさんはもう引退していたから師匠からの話でしか活躍を知りませんが」
十年前、トワルがこちらに召喚されて間もなくのベルカークは筋骨隆々といった感じで、本人の言う通りまるで別人のような容姿をしていた。遺跡から街まで幼いトワルを抱えて運んでくれたのもベルカークだった。
それば今のように太り始めたのは本格的に政局に関わり始めたここ数年のことだ。曰く、警備の負担を減らすために外出時の移動が全て馬車になったため体を動かす機会がほとんど無いらしい。
『世界各地の探検ってどんなところへ行ったんですか?』
フィオナが興味津々に尋ねる。
ベルカークも若い女に質問されるのは悪い気はしないらしい。前進を再開しながらも話を続けた。
「言葉の通り世界中です。様々な国を回りましたよ。それとやはり古代文明絡みの遺跡がある秘境か。ミューニアをユメス古代図書館から抱えて持ち運んだのもほとんど私だったんですよ。ミューニアの本体であるダンジョンコアはともかく付属の部品が重いわ大きいわで偉く苦労させられましたがね」
そんな感じでベルカークは冒険者だった頃のエピソードをユーモアを交えて話し始めた。
ミューニアを外へ運び出す際、オーエンが勝手に遺跡の壁に穴を開けようとしたせいで警備システムが作動して危うく殺されかけた話。
ペテン師に偽物の地図を掴まされて何日も存在しない遺跡を求めて山中を歩き回った話。
食事の準備の際に塩と砂糖を間違えてしまったが貴重な食料を無駄にできないのでみんなで不味い不味い言いながら食べた話。
先日読んだオーエンの手記に書かれていない話も沢山あった。
トワルがこちらの世界の言葉を覚えた頃にはオーエンはもう探検に出掛けることは無くなっていたし、ベルカークもオーエンの元を離れて街の運営や自分の店の経営に力を入れていた。
考えてみればベルカークからこういう話を聞くのは初めてかもしれない。
トワルは興味深くベルカークの話に耳を傾けていたが、ふとある事を思い出した。
「そういえばベルカークさんにお尋ねしたいことがあったんですが」
「なんだね」
「『マレク』という方をご存じですか?」
「マレクだと……?」
その名を聞くとベルカークから笑みがスッと消えた。
と言っても不機嫌になったという感じではない。
「その名前は誰から聞いたんだね」
「このあいだ倉庫で師匠が探検家時代につけていた日誌を見つけたんです。それに何度か出てくる名前で、どうも一緒に探検していた人のようなんですが師匠の口からは聞いたことがない名なので少し気になっていて。師匠の旅に同行していたベルカークさんならご存じなのではないかと思って」
「まあ、そうだな。知っているよ」
「どういう方なんですか?」
「私たちの兄弟子さ。――マレクさんはオーエン氏の一番弟子だった人だよ」