第3話-2.質屋の店主、手記を読む
商業都市サミエル。
その中心部からやや外れたところにある小さな質屋、『オーエン質店』の店主トワルはいつものように店のカウンター席に腰掛けて店番をしていた。
まだ十六、七歳くらいの少年だが、これでもこの道十年の大ベテランである。
現在ちょうど客の波が引いたところで店内にはトワル一人しかいない。
こんな風に暇ができたときは修理依頼を受けた預かり品に手を出したりするのだが、この日はちょっといつもとは変わっていた。
カウンターの上にはどう見ても売り物ではない古ぼけた数冊の手帳が無造作に重ねて置かれていた。
トワルはその中の一冊を手に取り、真剣な表情で一ページずつ内容を確認している。
そのお陰でただでさえ若干目つきの悪い顔がさらに険しくなっていた。
そんなとき、店の玄関が開いてカランカランと音を立てた。
「ただいま」
玄関のチャイムとその声に反応してトワルは顔を上げた。
入ってきたのは青みがかった銀髪に年代物のシンプルなドレスを着た、トワルと同じくらいの年齢の少女。
左手首に青いブレスレットを付け、右手には野菜の葉や何かの包装が飛び出した買い物かごを提げている。
少女の名はフィオナ。この店のもう一人の店員であり、トワルの恋人。……といっても恋人らしいことといえばせいぜい手を繋ぐくらいで、それ以上のことはほとんどできていなかったのだが。
「お店一人で任せちゃってごめんなさい。大変じゃなかった?」
「常連さんしか来なかったし特に問題なかったよ」
「そう、なら良かった。……何を読んでいるの?」
トワルが手にしている見慣れないものに気付いてフィオナは首を傾げて尋ねた。
するとトワルは手帳を軽く掲げてみせる。
「師匠が大昔に各地を探検していた時に書いた冒険日誌らしい。さっき倉庫の隅で見つけたんだ」
師匠というのはこの店の先代の店主であるオーエンという男のことだ。
自分の興味関心を最優先に行動する少々困った老人で、トワルにとっては商売や古代文明知識の師匠であると同時に育ての親に当たる。
オーエンは四年前、サミエルの街の郊外にあるラニウスという名の遺跡で爆発事故を起こして死亡したと思われていた。だが、今から数カ月前に起きた『ベルカーク暗殺未遂事件』と名付けられた事件の際にトワルたちが知り合ったリンという女からオーエンが今も存命していること、古代文明絡みで起きている何かの問題を解決するために各地を奔走しているらしいことを聞かされた。
リンはオーエンが具体的に何をしているのかは話してくれなかったが、古代文明に関わることなのであればこの冒険日誌にその手掛かりになることが書かれているかもしれない。オーエンがかつて探検に向かっていたのは大抵の場合古代文明の遺跡やそれに関わる地域だったからだ。
冒険日誌を数ページパラパラめくった感じでは『〇月×日に△△をした』といった事実だけを書き残したメモ書きのような内容だった。プライベートに関わることが書いてあるなら読むのはやめようと思ったがこれなら別に見ても構わないだろう。引き継ぎも無く店を丸投げされ、それから四年以上もトワルに連絡一つ寄越さなかったのだ。これくらいのことをしてもバチは当たらないと思う。
それに、トワルとしてはオーエンへの手掛かりとは別にしてもこの冒険記録に書かれた古代文明に関する記述には興味があった。
純粋な知的好奇心というのもあったが、それ以上にトワルの出地に関係していた。
トワルは十年前にラニウス遺跡内の装置の暴走でこちらの世界に召喚されてしまった異世界人だった。召喚されたのが幼い頃だったためなのか元の世界の記憶は残っておらず、そのため望郷の念などは無い。だが自分がこちらの世界へ飛ばされてきた理由や使われた技術のことは知りたいと思っていた。
そしてフィオナと知り合ってからはトワルの古代文明への関心は一層増すことになった。
フィオナは別に異世界人ではないが、この少女もトワルやリンに負けないくらい古代文明と浅からぬ因縁があったのだ。
「お師匠様の冒険日誌ねえ。何かわかったの?」
フィオナはトワルの背中にまわり込むと肩越しに手帳を覗き込んだ。
トワルは手帳に目を向けたままフィオナが見やすいように手帳の角度を変えてやりながら言った。
「今のところは特にないな。師匠の探検家時代の冒険譚はガキの頃に良くせがんで話してもらってたんだが、これに書かれているのはその時聞いたのとほぼ同じ内容だ。ただ……」
「ただ?」
「日誌に時々『マレク』という名前が出てくるんだ」
そう言ってトワルは首を傾げた。
「この名前がそれがちょっと引っかかってね。師匠と一緒に探検していた人の名のようなんだが、師匠からこんな名前聞いた覚えが無いんだ。ベルカークさんとか他に出てくる名前は全部わかるんだが」
「ふーん、それは確かにちょっとおかしいわね」
フィオナは真剣なトワルの横顔をしばらく見つめていたが、やがて微笑んだ。
「手帳はもう全部目を通し終わったの?」
「いや、まだ半分くらいだ」
「そ。なら全部読んだらわかるかもしれないわね。今日は私がこのままお夕飯の支度も済ませるわ。トワルはそのままそれ読みながら店番しててちょうだい」
フィオナはそう言いながら提げていた買い物かごを軽く持ち上げた。
「すまないな。ちなみに今日の夕飯は何だい?」
「えへへ。実はね、今日はたまたま安売りをしてて――」
フィオナは得意顔で買い物かごから何か戦利品を取り出そうとしたようだった。
だがその時。
「……ん?」
「あら? 何これ」
トワルとフィオナは不意に奇妙な感覚に襲われた。
まるで辺りが突然水中になったような、体全体を押されるような圧迫感。
かすかなものではあったが違和感を覚えるには十分な変化だった。
フィオナが不安げな顔で尋ねる。
「トワル、これ何かしら」
「何だろう。どうも急に気圧が上がったみたいだが……」
店内の様子に変化は見られない。
だとすると外で何かあったのか?
トワルは窓辺に歩いて行き外の様子を窺った。
すると――見慣れないものが目に留まった。
サミエルの街の外、遥か遠くに光の柱が立っていた。