第2話-35.街を立ち去る二人組
「私、確かに死んだと思ったんですけどね」
「そうだな。探し歩いてようやく見つけたと思ったら死体だったから私も腰を抜かしてしまったよ」
「……私が目覚めたときの師匠、実験動物でも見るような目をしてましたけどね」
「おや、そうだったかな」
商業都市サミエルから伸びた殺風景な交易路を旅行者の格好をした二人組が歩いていた。
一方は小柄で赤みがかった黒髪が印象的な若い女。
ギードたちに撃たれ命を落としたはずのリンである。
あれほどの重傷がまるで何事も無かったようにすっかり治っており、足取りもしっかりしていた。
心なしか当の本人も自分の身体に戸惑っているように見える。
そしてもう片方は背の高い初老の男だった。
髪と髭は白く、堀の深めな顔をしている。
グレーの外套に身を包み、取っ手部分に見慣れない金具の付いた赤い杖を手にしていた。
この男がオーエン。トワルやリンの師匠であり、オーエン質店の本来の主だった。
「身体の調子に違和感は無いかな」
「ええ、お陰様で。これを付けた状態なら普通の人間だった頃と全く変わらないです」
そう答えるリンの右手首には赤いブレスレットが新しく付けられていた。
フィオナが付けていたものにそっくりな、色違いのブレスレットだった。
「しかしミイラ取りがミイラになるって諺は聞いた事があったけど、まさか自分がそうなるとは思いませんでした」
「すまないな。あの状態から君を救うにはその方法しかなかったのでね」
「いえ、別に怨み言を言っている訳じゃありませんよ。むしろ勝手に動いてああなったのに助けてもらたんだから感謝してます。ただ、ずっと探していたのにこうなっちゃったってのが何かもう笑うしかないなって思って」
リンは口元に苦笑を浮かべながらブレスレットを外す。
するとリンの身体は半透明になり、青白く発光し始めた。
フィオナの霊体化と全く同じ状態である。
死の淵から生還して意識を取り戻したとき、リンは一つの宝石に姿を変えていた。
オーエンがリンの遺体を宝石に――『イリスヘルの霊石』に作り替えたのだ。
オーエンはリンと別行動をしている間にどこかの古代遺跡で人間を宝石に変化させる方法とそのための遺産を手に入れていたらしい。
この方法であれば死亡してしまったた後でも魂が抜ける前の遺体なら意識を蘇らせることができるのだそうだ。
ただし、この手法を使用すると元の身体は消滅してしまう。また実際なってみてわかったが、本来はあくまでただの宝石なので自力での移動さえままならない。
これを生還したと表現していいかは人によって意見が別れそうだが、リン本人は納得していた。
死んでさえいなければ帰れる可能性は残っているのだ。自分の意志が働くなら文句はない。
何にせよ、喉から手が出るほど欲しいと思っていた宝石に自分自身がなってしまったのだから皮肉な話である。
ちなみにリンの本体の宝石はオーエンが所持している。
「ただこの幽霊みたいな状態、便利だけどかなり感覚が変わるんですよね。思い通りに動けるようになるには相当練習しないといけないかも」
リンは宙に浮いたブレスレットを必死に目で追いながら言った。
ブレスレットはまるでからかうようにぴょんぴょんと跳ね回っている。念動力の加減が上手くいかないのだ。
「その辺の感覚については私も興味があるな。コツが掴めたらレポートか何かの形式で言語化して貰ってもいいだろうか」
「いいですよ。どうせ私をこの身体で蘇らせたのはデータ取りの意味もあったんでしょ?」
さすがのオーエンでもその辺の一般人で宝石化の実験をするわけにはいかない。
リンが死体になっていたのはある意味好都合だっただろう。
「まあ否定はしない。しかし君は思っていたよりも随分落ち着いているな。自分の体の変化を話したときもさほど取り乱した様子は無かったし」
するとリンはブレスレットを付けて人間に戻り、肩をすくめた。
「全く驚いていないと言ったらウソですけど、こっちの世界に召喚されてからこの程度のことは何度も経験したんでもう慣れましたよ。それに、この身体で普通に生活していた子を見ていましたから何とかなるだろうとも思ってますし」
「トワルと一緒に暮らしていたフィオナという子のことか」
「ええ」
リンはオーエンと別れてからのドワルド国での出来事やあの国からサミエルへ向かった理由、そして命を落とすことになった顛末まで今までの事を全て話していた。
当然ながらオーエン質店での勤務やフィオナの正体なども話している。
元の世界へ戻るために回収しろと言われていたあの宝石を置いてきたことも。
そういえばフィオナが宝石に変えられたのはどういう経緯だったんだろう、とリンはふと思った。
『イリストヘルの霊石』は古代遺跡の装置の燃料として使われると聞いていた。
だが、リンのように命を繋ぎ止めるためという目的でも利用できるとわかったのだ。
ひょっとするとフィオナもそうだったのかもしれない。
まあ可能性があるというだけで確かめる術はないのだが、そうであって欲しいとリンは思った。
そもそも古代文明の人間たちは一体どんな者たちだったのだろう。
こちらの世界に無理やり召喚されることになった元凶ということでリンはあまり良い感情を持っていなかったが、『イリストヘルの霊石』がどういう代物かを知ってからは尚更嫌悪感を抱くようになっていた。
はっきりと意識を持った元人間の宝石を燃料に使うというのはどういう神経なのだろう。
当時の考えや倫理ではそれが普通だったのだ、と言われればそれまでなのだが……。
「しかしトワルも見ないうちに随分と腕を上げたようだな」
「ブレスレットのことですか?」
「ああ。そのフィオナという少女のためだったようだが、魔封じの札をそんな風に加工して本人が着脱できるようにするとは。応用力で言えばもはや私を超えたかもしれない」
「そんなこと言う割にはあっさり再現したじゃありませんですか」
リンが付けているこの赤いブレスレットはオーエンが作製したものである。
フィオナがこんなブレスレットを付けていた、とリンがざっくりした形状などを話しただけであっさりと瓜二つの物を再現してしまったのだ。
一緒に働いていてトワルの技量には内心驚かされていたが、リン自身ある程度の知識が付いてから改めてオーエンを見るとこの人がどれほど凄いのか思い知らされる。
だがオーエンは微笑みながら首を振った。
「模倣するのは技術と経験があれば誰にでもできるさ。だが閃きはそうはいかないだろう。少なくとも私には逆立ちしても出てこないアイデアだったよ」
参った参った、と言いながらもオーエンはどこか嬉しそうだった。
リンは少し呆れたように笑った。
「そんなに褒めるのなら、書き置きじゃなく本人に会って直接伝えてあげたらよかったのに」
「それができればよかったんだが、そうはいかないからな。君もわかっているだろう?」
「ええ。そのせいでドワルド国での回収作業を一人でやらされる羽目になったんですからね」
四年前のラニウス遺跡での爆発事故。
トワルたちには話さなかったが、実はあの時、窃盗団以外にももう一つトラブルが発生していた。
リンとオーエンが二手に別れなければならなくなったのもそれが理由。
オーエンはこの四年間その事案の解決のためにずっと動いていた。
サミエルに戻らず連絡も寄越さなかったのは時間がなかったのもあったが、トワルたちを巻き込まないようにするためでもあった。
「すまないが君にはもう少し手伝ってもらうよ。お互い、自分の居場所に戻るためにね」
「もちろんですよ。帰るためなら何だってしてみせます」
二人は長く伸びた道を歩いて行き、やがて見えなくなった。