第2話-34.質屋の店主、書き置きを残す
「くそっ、一体どうなってるんだ!」
空が明るくなり始めて間もなく朝になろうかという頃、ギードは街外れの丘の上で苛立たしげに喚いていた。
難しいことなど無かったはずなのに、この街へ入ってから何一つ思い通りになっていなかった。
計画では少人数で夜のうちに街へ侵入し、人気のないあの廃墟に忍び込んでしまえばそれで終わりのはずだった。
あの付近は住民も少なく、街の外へ抜け出すのも容易で、なにより肉眼で確認できないほどの長距離ながらベルカークの屋敷の前の通りの直線上にある。
後はただあの古代文明の武器を構えて待ち、何も知らずに屋敷から出てきたベルカークを撃ち殺すだけで済むはずだったのだ。
警備の人間たちは慌てふためくだけで何もできないだろう。あの武器の事を知らなければ、遥か遠くにいる人間がベルカークを殺したなど思い当たることすらできないのだから。ギードたちは追っ手の心配をすることなく悠々と街の外へ逃げられる。
ベルカークを始末できたら次は領主や貴族共だ。同じ手口を用いて、月に一人くらいの間隔で殺していく。そうなれば残りの貴族共は次は自分の番かと恐れおののきはじめるだろう。
あわよくばそいつらを脅してこの街を裏から乗っ取ってやる。あのベルカークが手塩にかけて育てたこの街をそっくり頂いてやるのだ。ギードは計画の実行前、頭の中でそんな算盤まで弾いていた。
ところがこうして実行に移してみると、事は思っていた通りにはまるで進まなかった。
それどころかギードは気付けば窮地に立たされてしまっていた。
まず、あの女の襲撃だ。
一体どうやってギードの居場所を嗅ぎつけたのかはわからないが、まんまと侵入されて危うく命を奪われかけた。なんとか撃退は出来たが、あろうことか武器のオリジナルであるあの遺産を持ち去られた。
そしてさらに想定外だったのが警備の厳重さだった。
部下に女を追いかけさせようとしたが事前に調べていたよりも見回りの数が多く、発砲音を聞いてすぐに警備の人間が駆け付けてきたため武器を取り返すのを断念し逃げることを優先せねばならなくなった。
女の追跡に放った部下たちと合流し、見回りの目を避けて移動を続けた結果――こうして丘の上から動けなくなってしまった。
見回りの連中はギードたちに気付いてはいないようだが、明るくなってしまってはあれに見咎められずにここから出るのは難しい。
しかも、一番に女を追いかけていった部下が一人帰ってこない。
街が騒がしくなった様子はないから捕まった訳ではなさそうだが、一人欠けただけでも戦力的にかなりの痛手だ。目立たないよう少人数にしたのが裏目に出た。
丘の上といっても草木が生い茂っているのでじっとしていれば見つかる心配はない。といってこのままでは何もできない。
今回はどうも分が悪い。計画は諦め、夜を待ちこの街を一度出るべきだろうか。
ギードの頭にそんな考えがよぎった。
しかし相手はあの蛇のように執拗なベルカークだ。
奴はドワルド国から姿を消したギードの行方を今も嗅ぎ回っていることだろう。
時間が経てば経つほどギードは不利になる。
ここで諦めたら奴に復讐する機会など二度と訪れないかもしれない。
せめてここからベルカークの屋敷が見えればチャンスもあったのだが、目当ての屋敷は遥か向こう。
この場所から様子をはっきり確認できるのは中央広場くらいだった。
ギードが昔サミエルにいた頃から存在していた広場だ。
まだあったんだな、と思ったがそれ以上の感想は特になかった。
と、その時、周囲を警戒していた部下の一人が戸惑った様子で言った。
「ギード様、なんだか変な奴がいるのですが……」
「変な奴とはなんだ。具体的に言え」
「広場の中央、ベンチの近くに壺を大量に持った少年がいます」
示された方を見てみると、部下の言うように壺を持った少年がいた。
年は十六か十七くらいだろうか。両手に壺を持っているのだが、その数がおかしかった。
その少年は左右それぞれの手に壺を十個近く積み上げ、バランスを取るように身体をふらふらさせていた。
一体どうやって持ち上げたのか。そもそもどうしてあんなことをしているのか。
確かに変な奴だ。曲芸師か何かか?
だがギードは顔をしかめた。
「変な奴は変な奴だが、あんなのはどうでもいいだろう。ちゃんと見張りをしろ」
「それが、あの少年どうも怪しいのです。どうも先程からこちらを窺っているようで……」
「なんだと?」
言われてしばらく少年の様子を見ていると、確かにそうだった。
詰み上がった壺がバランスを崩したときは安定させようと必死な顔で上を見上げているが、そうでないときはこちらのほうへ顔を向けてキョロキョロしている。
まさかギードたちを探しているのではないのだろうが、どうもおかしい。
他に気に掛かるものが無いこともあって、ギードの目はその少年に釘付けになった。
少年はしばらくは壺のバランスを取ったりこちらを見たりを繰り返すだけだったが、やがてくるりと向きを変えると壺を持ったまま歩き出した。
一体どこへ行くのか。その行方を目で追い、向かっているであろう方向へ視線を移動させて――視界に入ってきたものを見て、ギードは自分の目を疑った。
少年の進む先には肥満体の大柄な男が立っていた。
あの衣装。あの髪と髭。あの顔。
間違いない。見間違えなどするものか。
ベルカークだ。
一体いつの間に、一体どこから現れたのか分からなかったが、広場にベルカークが立っていた。
壺を運ぶ男に軽く手を上げ、親しげに声を掛けている。
ギードは予想外の事態に唖然としていたが、すぐにハッと我に返り部下たちに指示を出した。
「ベルカークだ、武器を構えろ!」
だが、ベルカークに狙いを定める前にさらに思いがけないことが起きた。
壺を持った少年が派手に転んだのだ。
手から離れた大量の壺が宙を舞い、ベルカークに降り注ぐ。
そして――信じられないことに、落ちてきた壺たちはドーム状に積み重なってベルカークをすっぽりと囲んでしまった。
ギードがあんぐりと口を開ける。
これでは直接ベルカークを狙えない。
隣にいた部下の一人が戸惑いの表情で尋ねてくる。
「ギード様、どうしますか」
「す、少し待て。壺の中から出てきたところを撃つんだ」
だが、それから数分経過しても壺のドームは微動だにせず、ベルカークが出てくる様子はなかった。
少年のほうも何を考えているのか、棒立ちしたまままるで動かない。
ギードは苛立たし気に言った。
「何をしているんだあいつらは」
「もう少し待つべきでしょうか」
ギードは迷った。
確実に仕留めることを考えるなら壺の山から出てくるのを待つべきだろう。
だが、このまま待ち続けているうちに誰かにこの場を見つかれば狙撃自体が出来なくなる。
複製した武器の性能実験は散々やったのだ。威力や精度は十分わかっている。
この距離ならただの壺など障害にもならない。
「もういい。壺ごとベルカークの奴を撃ち抜いてやる」
ギードは堪え切れなくなり引き金を引いた。
銃声とともに銃弾が発射され、壺が割れるとともにベルカークの体に風穴が開く――はずだった。
「……どういうことだ」
ギードはぽつりと呟いた。
銃弾はベルカークに届かなかった。壺に当たってカンッと音を立てただけで弾き返されてしまった。
部下たちも信じられないような顔をしている。
計画ではギードが最初の一撃を与えたあと、部下たちが一斉に銃弾の雨を浴びせてベルカークを確実に仕留めるという手筈になっていた。
だが壺のドームは健在のまま。さらに撃ったところでさらにカンカン音が鳴るだけだろう。
あの少年とあの壺は一体何なのか。
ギードたちが戸惑っていると、少年が首をぐるりと回してギードたちのほうを向いた。
そして、さらに信じられないことが起きた。
壺が浮いた。
ベルカークを包むように積み上げられていた壺が青白く光り始めたかと思うと、ふわりと浮き上がった。そしてギードたち目掛けて一直線に向かってきた。
「な、なんだあれは!?」
「く、来るな!」
言い知れない恐怖が部下たちを襲った。半ばパニックになりそれぞれ手にした銃で壺を撃ち落とそうとする。
だがやはり壺はカンッと弾を弾き返し、落ちるどころかさらに加速する。
銃は全て撃ち尽くしたが壺は変わらず迫ってくる。
銃弾を込め直す暇はないし、込め直したところであの壺には効かない。
ギードたちは完全に怖気づいた。
「こ、ここは一時撤退だ! 逃げるぞ!」
ギードが叫び、部下たちも蜘蛛の子を散らすように走り出そうとした。
だがその時周辺から声が上がったかと思うと、茂みの中からサミエルの自警団や兵士たちが大勢飛び出してきた。
状況もまともに理解できないままギードたちは地面に押さえつけられ、縄で拘束された。
宙に浮かんでいた壺の一つから、青白く発光した少女――フィオナがひょこっと頭を出した。
フィオナは黙ったまま、無表情でギードたちが捕まる様子を見降ろしていた。
「終わったようですね」
壺を抱えていた少年――トワルが丘の様子を遠目に見ながら言った。
ベルカークも同じ方向を向いたまま頷いた。
「あのリンという娘のお陰でこの街の警備関係者はいつでも動ける状態だったからな。それにトワルがあの武器の弱点も調べてくれた。それだけ情報が揃えばもう勝負は決まったようなものだ」
見回りの警備を使って連中があの丘へ逃げ込むように誘導し、あとは弾を全部吐き出させてしまえば逃げ場も牙も失った連中にはもはや抵抗する術はない。
あそこへ追いやられた時点でギードはベルカークの手中に落ちていたのだ。
「しかし無茶な事をしますね。ベルカークさん自身が囮になるなんて」
トワルは安堵の溜め息をつきながら言った。
これ以上の被害を出さないために銃を撃たせるまでは刺激しないほうがいいと提案したのはトワルだった。
だが、銃弾を消耗させるための囮としてベルカークを使うというアイデアはベルカーク本人によるものだった。
「他の誰かを狙われるよりはずっといい。奴とは個人的な因縁もあったからな。私が標的だというなら望み通りにしてやった方が策にも嵌めやすい。……それにしても驚いたよ。あの壺は本当に頑丈だな」
あの壺はリンが売り歩いていたものと同じ古代文明の遺産の壺。オーエン質店の倉庫にあった在庫だ。
金槌で叩いても火薬を詰めて爆破してもびくともしない代物だ。リンが遺してくれたライフル銃でも実際に試し撃ちしたが傷一つ付かなかった。また軽いので十個を超える数でもフィオナの念動力で苦も無く操ることができた。
「あの連中はどうなるんですか」
「ドワルド国に送って向こうの法で裁かせる。あちらでも散々悪どい真似をしていたようだからな。今回は追放では済まされないだろう」
「そうですか」
消化し切れない感情は残ったままだが、ひとまず今回の騒動もこれで終わりのようだ。
トワルはそう考えていた。
だがその時、自警団員の男がこちらへ走ってきた。
「ベルカーク様、大変です!」
「どうしたんだね」
「あのリンという女の遺体が消えました」
「何だって!?」
トワルが目を見張る。
リンの遺体は一時的に教会の霊安室に置かれているはずだった。
この騒ぎが落ちついたら埋葬する予定になっていたのだが……。
ベルカークは厳しい顔つきで尋ねた。
「詳しい状況を聞かせたまえ」
「そ、それが、見張りの者が少し目を話した隙に煙のように消えてしまっていたとのことで……遺体の代わりにこの書き置きが残されていたそうなのです」
自警団員は緊張しながらベルカークに紙を差し出す。
ベルカークはそれを受け取って目を通したが――やがて驚愕の表情を浮かべた。
少しの間固まったあと、複雑な顔をして堪え切れなくなったように笑いだした。
「なんだこれは。まったく、本当にあの人は……」
「何が書かれていたんです?」
戸惑いながら尋ねるトワルにベルカークは紙を差し出した。
「読んでみたまえ」
「………?」
トワルは怪訝な顔をしながらそれを受け取ったが――書かれた内容に目を通した途端、ベルカークと同じようにみるみる顔色を変えた。
その紙には以下のように走り書きがされていた。
『リン君の治療は私のほうで済ませておいたから安心したまえ。申し訳ないが彼女には手伝ってもらいたい事があるのでこのまま連れて行かせてもらう。ベルカーク君、トワル、細かい後始末は頼む』
そして、最後にこう署名されていた。
『オーエン』
その筆跡は紛れもなくトワルの師匠、オーエンのものだった。