第2話-31.詐欺師の女、忍び込む
街の外れの寂れた一角。無人のはずの廃墟に明かりが灯っている。
その周囲では数名の男が見回りをしていた。
服装や仕草から見てもこの街の自警団や兵士の類ではない。
「わかりやすくて助かるわ」
物陰から様子を窺いながらリンは呟いた。
受信機を確認すると、目当ての発信器の反応はちょうど廃墟の中心部を示している。
ラニウス遺跡から持ち出された古代文明の遺産、そしてギードもあの中にいるのだろう。
幸い、この辺の建物の構造は調査済みだ。
ギード以外に何名いるのかはっきりとはわからないが、交代のペースや話し声などから考えるに多くはなさそうだ。
この広さの建物でその人数ならどうにでもなる。
リンは指輪を取り出すと指に嵌めた。
指輪の石が仄かに輝いたのを確認すると、見張りがいるにも拘らずリンは堂々と廃墟に向かって歩いて行く。
しかし見張りの男はリンに反応するどころか微動だにすらしなかった。
男だけではない。リンの周囲のあらゆるものが動きを止めていた。
トワルたちにも酒場で見せた古代文明の遺産。自分以外の時間を停止させる指輪。正確には、自分の肉体や神経を超人的なレベルまで活性化させ、高速で行動できるようになる道具だ。
この状態であれば相手の目の前を通り過ぎても触れたりしない限りは気付かれることもない。
素人同然のリンがドワルド国で怪盗の真似事ができていたのはこの遺産のお陰だった。
もちろんこの遺産も万能ではない。リンの体力では三十秒以上使い続けると精神に限界がきて気を失ってしまうし、遺産のほうも同じくらいでガス欠(?)を起こしてしばらく使えなくなってしまう。
しかし数秒刻みで休み休みに使えばほぼ制約はない。
目の前の廃墟のような死角から死角へ短距離移動をこまめに行える構造の建物はリンにとって相性が良かった。
「さて、ここまでは順調ね」
裏口のドアから建物内に侵入したリンはホッと一呼吸置いた。
それから再び指輪が輝く。
時間は止まり、リンは奥へと進んでいった。
ユラーとマシロ――ユラーの娘で、リンの親友だった子の名前だ――の二人が殺された日の事は今もはっきり覚えている。
朝はあんなに元気だったのに、リンが帰った時二人は見るも無残な姿に変わり果てていた。
自分を驚かすためのドッキリとかじゃないのかしら。ほら、あの二人意外とイタズラ好きなところがあったし。
まるで実感のわかなかったリンは二人の遺体を見下ろしながらそんなことを考えていた。
「お前はこの世界の人間ではないのだから、自分が戻ることを第一に考えろ」
生前のユラーは日頃からリンにそう言っていた。
必要以上にこちらの世界には深入りするな。気にしても仕方がない、と。
ひょっとすると、ドワルド国が傾き始めた辺りからこうなる可能性を予見していたのかもしれない。
しかしリンはその言葉に背き、ギードを追ってドワルド国を出た。
恩人と親友を殺されて知らぬふりができるほどリンは我慢強くはなかった。
確かに元の世界へは戻りたい。だがこんな事を放っておいたまま帰ったら絶対に後悔する。そんなのは真っ平だった。
ドワルド国から消えたギードの行方は掴めなかったが、執念深い性格やこれまでの経緯からサミエルに現れるのは予想が付いた。
だからリンはサミエルに先回りし、発信器を仕込んだ壺をばら撒きながらギードがやって来るのを待っていた。
壺をばら撒いた理由は二つあった。
一つはサミエルの街の警戒レベルを引き上げるように仕向けることだ。
ギードに対してはリンが自分で手を下したかったからギードの事を話すわけにはいかなかったが、この街に被害を出したいわけでもない。だからリン自身が怪しい人間を演じることにしたのだ。
サミエルとゴタゴタのあったドワルド国から来たらしい余所者が怪しい壺を格安で売り歩いている、なんて噂が広まったらそれなりに注意を引くだろう。狙い通りリンに接触してきたシルマリ――厳密にはリンのほうからこれ幸いと接触したのだが――からベルカークなどこの街の運営に関わる人間たちにリンの事が伝わり、街全体の警備は普段より厳重にされることになった。
訳も分からず緊張し続けさせられた自警団や兵士の人たちには申し訳ないが、恐らく今の状態ならギードも好き勝手には動けないはずだ。
二つ目の理由は発信器の動作確認のためだった。
ギードの居場所を確認するのは受信機が頼りだが、オーエン師匠からはサミエルには発信器が効かない場所がいくつかあると聞かされていた。だからそれを事前に把握しておきたかった。
まさかそれでオーエン質店のあの二人と縁が出来るとは思わなかったが。
あの二人には悪いことをした。まあ宝石には手を付けなかったし、二度と二人の前に現れて邪魔をするつもりもない。それで勘弁してもらおう。
ついでに言うと、ばら撒いたものが壺だった理由は特にない。
オーエン師匠から預かっていた遺産の中で数が多く持ち運びが簡単で受信機を仕掛けたことが見破られやすい物として最適だったのがたまたま壺だった。それだけだ。
「この部屋か」
リンは受信機の反応を辿り、廃墟の一番奥の部屋までやって来ていた。
好都合なことに部屋のドアの板が割れて中が覗き込めるようになっている。
廃墟は慎重に進まないと床や壁が音を立てたり壊れたりするのが面倒だが、こういう利点もある。
リンは息をひそめて中の様子を窺った。
高速移動を使えば大抵のものは完封できる自信はあったが、ギードの遺産だけが例外だった。
ギードが所持している古代文明の遺産は、リンが元いた世界で言うところのライフル銃のようなものだった。
元の世界にいた頃は銃に興味などなかったので構造が同じかどうかは知らないが、外観は似ているし恐らく原理も同じだろう。引き金を引くと銃弾が発射され、遥か遠くにいる標的ですら打ち抜くことができる武器だ。
窃盗団がラニウス遺跡から持ち出した兵器の中では一番単純で構造もわかりやすいものだったが、こちらの世界には弓矢やボウガンのようなものはあるが銃はまだ存在しないから十分な脅威ではある。
それに、構造が単純だというのがリンにとっては逆に厄介だった。
ある程度の技術があれば分解できるし、分解できるなら原理や構造を理解できる。
つまり、壊れたとしても修理ができてしまう。
そして機械的な動作のみで構成されているため魔封じの札を貼っても無力化できない。
ギードがどこまで理解してこの武器を選んだのかは知らないが、自分の身を守る武器としては一番の選択だろう。現状の武器よりも遥かに優れていて、尚且ついざという時に使えなくなるといった心配もほぼ無いのだから。
リンがギードから盗むのに手間取っていた理由もそれだった。
魔封じの札で無力化できない以上、途中で気付かれたら遺産を使われる可能性がある。
指輪の力でリンは高速移動できるといってもさすがに引き金を引かれてから弾が当たるまでに反応して避けるのは不可能だった。だから準備に万全を期すため時間が掛かってしまった。
部屋の中にいるのは一人だけのようだった。男が一人、窓の傍に立って外を眺めている。
その顔は忘れもしない。間違いなくギードだ。
周囲に見張りがいないことをもう一度確認すると、リンは高速移動で室内へ入った。
部屋のドアは閉め、ギードの背後に立つ。
「ごきげんよう、ギードさん」
突然現れたリンに驚き、ギードはギョッとした顔で振り返った。
「な、なんだお前は!」
「あなたの命を頂きに上がりました」
「なんだと!?」
ギードは反射的に近くの衣装棚に目を向け、そこへ駆け寄ろうとする。
「なるほど、その中ね」
リンは再び高速移動をした。
棚を開けて中に入っていたライフル銃を手に取り、元の位置に戻る。
それから銃口をギードに向け、高速移動を解除した。
既に空になった棚をギードが開ける。そして愕然とした表情を浮かべ、おろおろした様子で棚の中を探し始める。
「な、何故だ。どうして無い。どこへ行った」
「お探しの物はこれかしら」
リンが声を掛けるとギードは動きを止めた。
自分が探していたライフルを向けられているのだと理解すると、絶句したまま立ち尽くした。
「騒いだら引き金を引くわ。……そしたらどうなるかはあんたが一番よくわかってるわよね」
リンは冷ややかに言った。