第2話-26.詐欺師の女、動き出す
トワルとフィオナの初デートから数日が経過していた。
「オーエン質店でーす。ご不要な物がありましたら買取しまーす」
リンが荷車を引いて街を歩いていく。
もはや定番になった外回り営業である。
もう何度も回っている地域なので最初の頃に比べると反応はかなり鈍いが、リンは特に気にしていなかった。
家財を処分など普通の家庭では高頻度にやるものではない。だからこうなるのは当たり前。
リンが今やっているのは買取が目的ではなく、店の宣伝のためだった。
オーエン質店は今までほとんど宣伝をしていなかったのでこの程度でもそれなりに効果はあるだろう。
荷車に立て掛けられたオーエン質店ののぼり旗を見た誰かが実際に店に行き、そのまま常連になってくれたら儲けもの。
そんな風にトワルを説得し、リンはほぼ毎日こうして街中を歩き回っていた。
ただし、それは建前。
実際は他に理由があった。
一つは、トワルとフィオナが二人きりになれる時間を作ってあげるため。
どうやらデートは大成功だったらしい。
ちゃんと話し合うことができたらしく、あの日帰ってきた二人からはギクシャクした空気はすっかり消ええていた。それどころか、これまでより少しは距離も縮まったようだった。
といっても直接手を握ったりすることもなく、時折目があった時に恥ずかしそうにはにかみ合えるようになった程度。
傍目には歯がゆく感じなくもないが、恐らく二人にとっては今が一番楽しい時期だろう。お邪魔虫は退散するに限る。
という訳で、宣伝という名目で外に出ていたのだ。
そして、それ以外にももう一つ理由があった。
リン自身の目的のためだ。
「あ、そこのお兄さん、この小物入れいかがです? お安くしておきますよ」
「………」
リンは通りすがった男に声を掛けた。
つばの深い帽子を被った中年の男だった。
男はリンをじっと見つめたあと、差し出された小物入れに目を落とす。
「中々良さそうだな。持ち合わせが今これくらいしかないんだが、これで足りるかね」
「はい、それで結構です。毎度ありがとうござます」
リンは小物入れを男に渡した。
小物入れはずしりと重かった。これでもかというほど金貨が詰めこんであるのだ。
だが受け取った男は気にすることもなくそれをそのまま懐に仕舞う。
それからリンへ小物入れの代金として銀貨数枚を渡す。
積み重なった銀貨の中に四つ折りの小さな紙切れが混じっていたが、リンも顔色一つ変えずそれを受け取り、銀貨ごと集金袋に仕舞った。
そのやり取りはほんの数秒のことで、傍目には普通に商品の売買をしただけにしか見えなかった。
遠目に監視している見張りも運悪くリンが背を向けていたため手元が見えず気付くことはできなかった。――正確には、リンが背を向けていたのは運が悪かったわけではなく意図的だったのだが。
男が立ち去るとリンはそれまでと変わらぬ様子で荷車を引いて行った。
今の男はこの街の情報屋の一人だった。
サミエルは大きな街なので様々な人間が集まっている。
情報を扱う商売をする人間だってシルマリ以外に何人もいるのだ。
リンはこの街へやってきてすぐ、今の男に『イリストヘルの霊石』の行方の調査を依頼していた。
その調査結果が出たようだったのだが、その頃のリンは既に監視が付けられて自由に動けなかった。
だからこうして接触する機会を得るために外回りを提案したのだ。
リンはしばらく街を歩いた後、いつものように喫茶店に立ち寄った。
現時点での売り上げ額の確認をするふりをしながら、さもたった今気付いたという顔で先程の紙を摘まみ上げ、怪訝な顔をしながら堂々と広げる。
こそこそするよりこうしたほうが却って疑われない。
顔をしかめながら紙をくしゃくしゃにしてみせれば監視役はエロ親父から誘いの手紙でも貰ったのだろうとか勝手に解釈してくれるだろう。
リンはそんな事を考えながら紙を開いて内容を確認したのだが――。
「………」
書かれた内容を確認したリンはしばらく無表情で固まったあと、予定通り顔をしかめながら紙をくしゃくしゃにしてポケットに突っ込んだ。
やれやれ、と溜め息をつくとコーヒーを口に運ぶ。
しかし内心ではかなり動揺していた。
『件の宝石は一月前にオーエン質店の店主の手に渡った』
紙にはそういった内容が書かれていた。
正直信じたくはなかったが、あの二人の言動を思い返してみれば、確かに思い当たる節はある。
というか、フィオナがあんなに悩んでいたのは宝石が実際手元にあったからか。それなら確かに納得もいく。
怒りとか落胆とか、そういった感情は不思議と沸かなかった。
向こうにしてみればリンは詐欺を働いていた上に何を企んでいるかもわからないヤバい女なのだ。隠し事をするのは当然だし、それでこちらが怒るのは筋違いだろう。
ただその代わりに、というと少しおかしいが……リンの頭には疑問が浮かんでいた。
トワルは元の世界へ帰るつもりはない。『イリストヘルの霊石』に執着する理由はないはずだ。
リンの事情はトワルもフィオナも知っているし、もし見つけてくれたら高額で買い取るわよ、なんてことを雑談で話したこともある。それなのにリンに対して宝石の事をずっと話そうとしなかった。
どういうことだろう。あの宝石、何か他に使う当てでもあるんだろうか。
まあ、トワルにはリンに宝石の事を話す必要も義理もない。
単に話す気が無かっただけなのかもしれないか……。
いずれにしても宝石の在り処がわかった以上は見逃すわけにはいかない。
隠し場所も含めてその辺の事情もそれとなく探ってみるか。
親しくなった相手から盗み出すというのは流石に罪悪感はあるが、仕方がない。
向こうだってそのリスクを承知の上でリンを店に上げたのだろう。
そんなことを考えながらリンは受信機を取り出し、画面を確認した。
何か予感があったとかではない。習慣として定期的に確認していただけだった。
しかし、リンは受信機を一目見て、思わず声を上げそうになった。
受信機のモニター画面の端に赤い点が出現していた。
壺に仕掛けた発信器でも、オーエン質店の在庫の反応でもない。
この街の外から受信機を付けた何者かがやって来たのだ。
「……悪い知らせは重なるって本当なのね」
確証がある訳ではない。
だが、十中八九、この発信器の持ち主はリンが予想している相手だろう。
元の世界へ帰るための宝石探し。
それとは別の、もう一つの目的。
リンはこの赤い点の主に会うためにこのサミエルへやって来たのだ。
となると『イリストヘルの霊石』のほうは急がなければならない。
さて、どうしたものか。
他の場所ならともかく、オーエン質店ではこの発信器の件を片付けた後で再び訪れるのは難しいだろう。
トワルたちには悪いが今夜の内に盗み出すしかない。
リンは残りのコーヒーを一気に飲み干し、苦いわね、と一人呟いた。