第2話-19.質屋の店主、新人を雇う
「ありがとうございましたー!」
リンが笑顔で頭を下げる。
客が上機嫌に店を出て行き、カランカラン、とチャイムが鳴った。
「……さて、後はしばらく次の客も来ないわね。トワル店長、何かすることある?」
「いや、特にないから休憩でもしててくれ」
トワルがそう答えると、リンはか不満げに腕組みをした。
「それじゃ時間が勿体ないじゃない。真っ当な額の給料払ってるんだからちゃんと私の事こき使いなさいよ」
「そんなこと言っても元々一人で回せるような店だしなあ。というか、なんでお前さんそんなに働きたがってるんだよ……」
トワルは呆れたように頬杖をついた。
リンがオーエン質店で働き始めてから一週間ほど経過していた。
トワルは内心身構えていたのだが、拍子抜けなほど何も問題は起こらなかった。
リンの勤務態度は至って真面目で、怪しい行動は一切取らなかった。
それどころか客の扱いも上手いし、師匠に教わったとかで日用品の修理などの作業も一通りできる。帳簿の記入といった事務仕事も正確で早い。
正直、能力的にはもうリン一人に店を任せても問題ないと思えるくらいである。
トワルよりも余程こういう商売に向いているんじゃないだろうか。
しかし、どういうつもりなのだろう、とトワルは思っていた。
最初はこちらを油断させるためなのかと疑っていたが、どうもそういう感じでもない。
聞いてみると、こういう小さな雑貨店のようなところで働くのが子供のころからの夢だったらしい。
実際に見ての通りやる気はあるし、とても楽しそうである。
完全に気を許したわけではないが、トワルやフィオナともある程度は打ち解けてこの店にもすっかり溶け込んでいた。
酒場で語っていた身の上話には所々引っかかる部分があったし、この店に目当ての宝石があるのを知らないことを差し引いても、何かの目的があって強引にここで働き始めたはずだ。
それなのにまるでそんな素振りは見せない。
まさか本当に師匠の店で働いてみたかっただけ、なんてことはないと思うのだが……。
そんな事を考えながら窓の外へ目をやる。
トワルの視線の先、店からやや離れた物陰から私服姿の男がこちらの様子を窺っていた。
恐らく自警団員だろう。トワルは今回の男の顔には見覚えがあった。
リンがここで働いている間、常に誰かしらが店の外からこちらを監視していた。
その代わり、これまで定期的に店へ見回りに立ち寄ってくれていたアンブレが全く姿を見せなくなった。
シルマリが約束通り上と話を付けたのかそれとも余計な刺激をしないようにという判断なのかはわからないが、この街の上層部としてはリンとの直接的な接触は避けて遠巻きに見張るという方針になったらしい。
トワルが気付くくらいなのだからリンも監視の存在には気付いているはずだが、まるで気にする様子はなかった。
「なあ、あんな露骨な監視付けられてるのに気にならないのか?」
なんとなくトワルは聞いた。
答えを期待した訳ではなくただの雑談である。
退屈そうに商品棚の整理をしていたリンはトワルに振り返った。
「別に直接何かされる訳でもないし、気にしても仕方ないでしょ? まああれくらいは私も仕方ないかなって思うし」
「そこまでしてここで働く理由があるってことか?」
「あら、同じ世界出身の人と仲良くなりたいと思うのはそんなにおかしいかしら」
「……あっちの世界の話をしたいと言うなら悪いが無理だぞ。俺、あっちの事はほとんど覚えてないし」
これは嘘でも何でもなかった。
トワルは自分がラニウス遺跡で召喚された時のことは今でも多少は覚えていたが、それより前――元の世界での事はほとんど思い出せていなかった。
何度か思い出そうとしたことはあるのだが、まるで霧が掛かったように何も浮かんでこないのだ。
小さかったとはいえ七歳なら意識もはっきりしていたはずなのだが。
ひょっとすると召喚されたことによる心理的なショックか何かでもあるのかもしれない。
トワルの返事に対してリンはどこか寂しげに微笑んだ。
「わかってるわ。師匠からもそう聞いてたし。でもいいのよ、これは私の自己満足みたいなものだから。それにどれくらいの期間この街に滞在するかわからないからね。じっとしているのも退屈だし、生活費も稼がないといけないし」
「……宝石が見つかるまでここで働くつもりなのか?」
「いえ。あくまでも宝石はついでよ。そう簡単に見つかるとも思ってないし、別の用事が済んだらすぐに出て行くから安心して」
「その別件ってのを素直に話してくれたらもっと仲良くできると思うんだけどな……」
トワルはぼやいたが、リンはただ笑うだけだった。
「そういえば、この街の裏ボスのベルカークって人もオーエン師匠の弟子なのよね? トワルのコネとかで会ったりできない?」
「裏ボス言うな。というかベルカークさんが師匠に師事してたのは大昔の話だよ。その縁で気に掛けてもらってはいるが、こちらから願い事ができるような立場じゃない。大体会ってどうするんだ?」
「特に用事はないわ。凄いお金持ちらしいからちょっと興味があるだけ」
「………」
リンの計画とやらに関係するのかという考えが頭をよぎったが、リンを見る限りでは特にそういう事でもなさそうだった。
トワルは呆れたように言った。
「理由も無しに会えるわけないだろ。あの人滅茶苦茶忙しいし」
「でも聞いたところじゃ相当な女好きなんでしょ? 私とフィオナが呼んだら飛んできたりしない?」
「勝手にフィオナを巻き込むな」
トワルは顔をしかめた。
するとそこへ丁度フィオナがやってきた。
「あら、私のこと呼んだ?」
「いいや。どうかしたのか?」
「そろそろお客さん途切れる頃かなって思って。お茶菓子用意したんだけど休憩にしない?」
「する!」
リンが歓声を上げてフィオナに抱きつき、フィオナは目を丸くしてから一緒になって笑う。
フィオナは最初の頃こそトワル以上にリンの事を警戒していたが、年齢が近いこともあってかいつの間にかこの二人はすっかり仲良くなっていた。
リンからの呼び方もさん付けから呼び捨てに変わっている。
フィオナは今日店の仕事を休んでいた。
といっても、別に体調が悪いとかではない。
店に三人いてもすることがないし狭苦しいだけなので、店には二人ずつ交代で出ることにして一人は待機という名の休みを取ることにしたのだ。
もちろん、リンの場合は一人で住居エリアをうろつかせるわけにもいかないので完全に休んで貰っていたが。
「トワルも早く来てね」
「この辺片付けたら行くよ。……ところでさ、フィオナ」
「なあに?」
フィオナが笑顔でトワルを見る。
トワルは口を開きかけたが、やがて首を振った。
「いや、何でもない。悪いな呼び止めて」
「? 変なトワル」
フィオナはおかしそうに首を傾げる。
それからフィオナはリンに両肩を押されながらリビングへ行ってしまった。
トワルは腕組みをして椅子に寄りかかった。
やっぱりフィオナ、何かおかしいよな……。
ここ数日、フィオナは明るく振る舞っていた。
それだけなら別に問題はないのだが、どうも不自然さを感じる明るさだった。
まるで笑顔が描かれた仮面でも被っているかのようで、受け答えはしっかりしているもののまるで人形を相手にしているようだというか、カラ元気をさらに酷くしたような感じとでも言うべきか。
トワルと二人だけの時もあの態度から変わらないのだ。
何かの悩みを抱えているのに、それを悟らせないために無理をしている。
そんな風に見える。
ただ、トワルもトワルでどうしたものかと悩んでいた。
フィオナの様子がおかしくなったタイミングから考えて、悩みの原因は恐らくリンが酒場で話した『イリストヘルの霊石』のことだろう。
記憶が無いとはいえ、燃料にされるために自分が宝石に作り替えられたと聞かされて平静を保てる人間はそういないだろう。フィオナが思い悩むのも無理はない。
だがその推測が当たっているとすると、情けない話だがトワルはどう声を掛ければいいのかわからなかった。
フィオナから望まれたならともかく、こちらから勝手に踏み込んでいい領域ではないように思える。
それどころか、こちらが下手なことを言えばフィオナの性格的にさらに無理をさせてしまうことにもなりかねない。
どうにかして不安を取り除くなり、抱えたものを少しでも肩代わりしてやれたらいいのだが……。
イリストヘルの霊石。
あの宝石は一体何なのだろう。
あの宝石は異世界召喚をするためのエネルギー源として使われていたという。
人間の魂を宝石に封じ込め、あまつさえそれを燃料にする。
生贄。……そんなおぞましい単語がどうしても浮かんでしまう。
何故そこまでして異世界への扉を開ける必要があったのか。
古代文明の人間たちは異世界から一体何を召喚しようとしていたのか。
ひょっとして、古代文明の人間たちが突然この世界から姿を消したことと何か関係があるのだろうか。
トワルはぐるぐると考え事をしていたが、やがて休憩の事を思い出すと立ち上がりリビングへ歩いて行った。