第2話-2.質屋と宝石、苦悩する
商業都市サミエルの中心部から外れたエリアの、寂れた狭い路地を抜けた先。
そこには『オーエン質店』という名の古ぼけた小さな質屋がある。
その店は質屋にしては珍しく、少年と呼んで差し支えないような若い男が店主を務めていた。
つい先日若い女の従業員が増えてから、以前に比べると明るく賑やかになったと評判の店だった。
そのはずなのだが……。
「………」
「………」
客が途切れた店内には、何故か気まずい沈黙が漂っていた。
「……この時間はしばらくはお客も来ないだろうし、ちょっと休憩にするか」
そう声を掛けたのはカウンターに腰かけていた少年、トワル。
この店の店主で、年齢は十七か八くらい。正確な年は本人にもわからない。
短めの黒髪で、生まれつき目つきが悪い。ただ以前に比べるとまともに睡眠を取るようになったためか目元の隈が消え、人相はいくらかマシになった。
普段は軽装だが、現在はちょっとした機械の修理作業をしているため厚手の作業着に身を包んでいる。
「そ、そうね。じゃあ私、お茶を入れるくるから……」
トワルの声に応えたのは窓際の椅子で待機していた接客担当のフィオナ。
見た目の年齢はトワルとさほど変わらないが、こちらも何歳なのかは不明。
青みがかった銀髪に、それに合わせた白と瑠璃色のシンプルなドレス。
左手首には青いブレスレットを付けている。
一ヶ月ほど前からここで正式に働き始めたこの店の接客担当。持ち前の器量と愛想のよさで客からの評判も良く、用も無いのに彼女と話をするためだけにやってくる常連客までいたりする。
業務中はいつも笑顔を絶やさないこの店の看板娘――なのだが、今は露骨に動揺した様子で目を泳がせ、足早にその場から離れようとしていた。
しかしそんなフィオナをトワルが呼び止めた。
「い、いや、フィオナ昨日もお茶入れてくれただろ? 今日は俺がやるよ」
トワルもフィオナに負けず劣らず言動がぎこちない。
呼び止められたフィオナはさらに動揺した様子でまっすぐ直立した。
「いいわよ気にしなくて。あなたはまだ作業あるんでしょ? 私は手が空いてるから」
「そ、そうか?」
「え、ええ」
そこでようやく二人の目が合った。
「………」
「………」
再びの沈黙。
「あ、あはは……じゃあ頼もうかな」
「ええ任せてちょうだい。ははは……」
どちらともなく愛想笑いをし、同時に顔を逸らす。
そのままフィオナは店舗エリアから住居エリアへ移動した。
「はぁ……。なんでこうなるのかしら」
台所までやってくるとフィオナは片手を顔に当てて溜息をついた。
ここ一ヶ月の間、この二人はずっとこんな感じでギクシャクしてしまっていた。
といって別にケンカをしたわけではない。
むしろ逆なのだ。
意識し過ぎてまともに相手の顔を見れなくなってしまったのだ。
ひと月ほど前、トワルとフィオナは『女神像文書事件』という騒動に巻き込まれた。
それが二人が出会う切っ掛けでもあったりするのだが、まあとにかくその騒動で色々あった結果、最終的にトワルはフィオナに真正面から愛の告白をし、それに対してフィオナはトワルを抱きしめながらそれを受ける返事をした。
それでハッピーエンド。二人はこの店で幸せな共同生活を始めた――はずだったはずなのだが、その後冷静さを取り戻して行くうちにフィオナは自分がしたことが恥ずかしくなってきた。
その場の勢いとはいえ何故あんな大胆な事をしてしまったのか。
思い出しただけでも顔が赤くなってしまう。
そもそも生い立ちの都合でこれまでまともな恋愛どころか恋心を抱く程度の事すら経験してこなかったフィオナである。
一気に段階を進めてしまった反動で、ここからどうすればいいのかわからなくなってしまったのだ。
まだ客がいるときならば仕事中だからという意識が働くので事務的ではあるがそれなりに会話もできていた。
だが、二人きりになるとまるで駄目だった。
フィオナはトワルの顔を見ただけで頭が真っ白になって言葉が出なくなる。
顔が赤くなっているのに頭は白くなるというのは何かおかしい気がするが、とにかくダメなのだ。
トワルもトワルで、何故かフィオナに対して爆弾の解体作業かというくらい慎重な態度で接してくる。
きっとフィオナがおかしな態度を取っているせいで気を使わせてしまっているのだろう。
何をしていんだろう、私……。
そんな自分の行動を後悔し、さらにドツボに嵌まる。
かれこれそんな状態が一ヶ月続いていた。
これ以上長引くと本格的に愛想を付かされてしまうかもしれない。
いい加減どうにかしなければ、とは思っているのだ。
以前は普通にやり取りができていたのだからそのように振る舞えばいいとは思うのだが、どんなふうに話していたのか何故か全く思い出せない。
不思議と居心地の悪さや不快感は無いが、どう考えてもこのままでは駄目だろう。
「誰かに相談とかできればいいんだけれど……」
フィオナはぽつりと独り言を呟いた。
だが、生憎そういった話ができそうな知り合いはいない。
せっかくお互いに好きだとわかったのだ。
今は頭が真っ白になるので具体的には思いつかないが、話したいことがたくさんある。それに手を繋いだりもしてみたいし、デートへ出掛けてみたり、さらに大胆なことだって……。
フィオナは無意識にそんな事を考えていたが、ハッと我に変えると頬を赤くしてブンブンと首を振った。
「さあ、お茶の準備しなきゃ」
そう言いながら茶葉の容器を手に取るが、軽い。中身は空だった。
予備はどこだっけ、ときょろきょろ見回すと新しい袋は少々高い棚の上に置いてあった。
トワルなら届くだろうがフィオナではちょっと背丈が足りない。
踏み台持って来ないといけないけれど……重いのよね、あれ。
フィオナは少し迷ったが、やがて左手に付けていたブレスレッドを外した。
途端にフィオナの身体が淡く発光し、半透明になってふわりと宙に浮かぶ。
それからフィオナは茶葉の袋に目を向け、指揮棒でも振るように手をくるりと回した。
棚に置かれた茶葉がぴょんと跳ね上がり台所の台の上に着地する。
見ての通り、フィオナは普通の人間ではない。
元々は人間だったようなのだが、今は青い宝石を本体とした幽霊のような存在だった。
千年近くも昔に滅んでしまった古代文明によって宝石に魂を封印されて、ずっとこの状態で生き続けてきたらしい。フィオナにはそんな自覚は無いし、人間だった頃の記憶も全く残っていないのだが。
フィオナはトワルが作ってくれた特製のブレスレッドを付けている間だけ人間として生活することができる。
この霊体の姿になればほとんどの物をすり抜けて行動できるし、空も飛べる。自分が手で抱えられる重さまでという制限はあるが今のように念動力で自由にものを動かすこともできる。
どちらが便利かといえば間違いなく霊体の姿のほうだが、フィオナは普段は人間の姿で暮らすようにしていた。
トワルがくれたブレスレットを常に身に着けておきたいというのもあったが、自分が元は人間だったと知ってからは出来る限り人間として生活したかったのだ。
宝石に掛けられた呪いを解いて魂を解放し、フィオナを完全に普通の人間へ戻すこと。
それがフィオナとトワルの共通の目標の一つだった。
フィオナの本来の肉体はもうこの世には残っていないだろう。
だから宝石の呪いを解けばフィオナは恐らくこの世から消えてなくなってしまうだろうが、それは二人とも納得の上。
いつか来る別れの時までずっと一緒にいられたらそれでいい。
告白してくれた時、二人でそう決めたのだから。
だから、今のギクシャク状態は早くなんとかしたいのだけれど……。
ブレスレットを付け直して人間に戻ったフィオナはお湯を沸かしながらもう一度溜息をついた。
「はあ……何かいい方法はないのかしらね……」
一方その頃、カウンターで作業中のトワルは頭を抱えていた。
「あー……。なんでこうなるんだろう」
トワルが悩んでいたのはフィオナのことだった。
仕事中はなんとか普通に話せていると思うのだが、二人だけになると妙に緊張して必要以上に気を使ってしまう。
きっとそのせいなのだろう。この一ヶ月フィオナにはずっと素っ気ない態度を取られてしまっていた。
これ以上長引くと本格的に愛想を付かされてしまうかもしれない。
普通に対応すればいいのは頭ではわかっている。
だが、フィオナの顔を見るとどうしても告白した時のことを思い出してしまい、思ったように喋ることができなくなってしまうのだ。
告白したことは後悔していないが、この状況は本当に駄目というか、情けないと思う。
どうにかしなければとは思うのだが……。
………。
トワルの内面描写は実際はまだまだ続くが、ほとんどフィオナの時の繰り返しになるのでこれ以上は割愛する。
まあ要するに、トワルもフィオナも似たようなことで悩んでいた。
端から見ればただの惚気みたいなものだったが、本人たちにとっては深刻な悩みだった。
そんな時、店の玄関が開いてカランカランとチャイムが鳴った。
来客である。
トワルは慌てて顔を上げた。
「いらっしゃい」
「お前がここの質屋の店長でいいのか?」
「ええ、そうですが」
そう答えながら、トワルはおや、と思った。
やって来たのは若い男の客だったが、男はその外見とは不釣り合いな壺を抱えていた。
これが今回トワルとフィオナが巻き込まれることになる事件の始まりだった。