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異世界質屋と呪宝の少女  作者: 鈴木空論
第2話 幸せを呼ぶ祝福の壺
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第2話-1.壺、買いませんか?

「あなたは今幸せですか?」


 そう声を掛けられた時、ヴァンデは最初それが自分に向けられた言葉だとは気付かなかった。

 平日ではあったが、昼時の中央広場にはヴァンデ以外にもちらほらと人の姿があった。

 だからてっきり他の人間に声を掛けたのだと思ったのだ。


「あのー……。聞いてますか?」


 先ほどの声の主がヴァンデの真正面に立ち、困惑気味な声を漏らす。

 それでようやくヴァンデは自分が話しかけられているだと気が付いた。


 声の時点でわかっていたが、目を向けてみるとそこにいたのは若い女だった。

 年は二十歳くらい。赤みがかった黒髪で、背丈は低いが出るところはちゃんと出ている。肘が隠れるくらいの袖のシャツにロングスカート。通りを歩けば擦れ違った男の八割くらいは振り返るんじゃないか、というほどの美人だった。


 ただ、女の両手はそんな容姿とは不釣り合いな壺を抱えていた。


 ヴァンデが反応したのを見て女はホッとしたように微笑んだ。


「あなたは今幸せですか? もしもそうでないなら私にお手伝いさせて頂きたいのですが」

「お手伝いって、何をしてくれるんだ?」

「この壺を格安な価格でお譲りしたいのです。これは『幸せを呼ぶ祝福の壺』と呼ばれる大変価値のある壺で、手にした者に幸運を引き寄せると言われているんですよ」


 女はにこやかに手にした壺を持ち上げてみせる。

 特にこれといった特徴もない壺で、貧乏くさいというか、むしろ幸薄そうな壺だった。


「………」


 露骨に胡散臭い。

 これ、詐欺かなにかだろう。

 ヴァンデは顔をしかめるとしっしっと追い払うように手を振った。


「悪いが俺は十分幸せなんだ。他を当たってくれ」


 顔は好みだから買ってやる振りをしてどこかへ連れ込んでやろうかという考えが頭をよぎったが、今のヴァンデはそんなことをする訳にはいかなかった。


 なにしろ、女の子とのデートの待ち合わせ中なのだ。


 なかなか身持ちが硬い子で、ヴァンデが何度も拝み倒してようやくデートに漕ぎつけたのである。

 このデートで下手を打てばもう次はないだろう。だから待ち合わせ場所であるベンチに腰かけてからずっと、相手が到着してからどうするか様々なパターンをシミュレーションし続けていたのだ。


 待ち合わせの時刻はもうすぐ。いつやって来てもおかしくはない。

 彼女の性格から考えて、ヴァンデが他の女と話しているのを見たらこちらに声もかけず帰ってしまうだろう。

 だから余計な誤解を招く前にこの女をさっさと追い払ってしまいたかった。


 ところがどういうつもりなのか女は食い下がった。

 微笑みの表情はそのままに、眉尻を提げて首を傾げる。


「そんなはずはありません。あなたはとてつもない不幸の中にいます。周りを見回せば気付けるのではありませんか? だから私は話しかけているのです」

「なんだそりゃ。何を根拠にそんなこと言ってるんだ?」

「この御方があなたを選んだのです。ほら、声が聞こえませんか? あなたに救いの手を差し伸べる声が」


 女は抱えた壺をヴァンデの鼻先に付き出した。

 ヴァンデは苛立ちながらそれを押し返した。


「悪いんだが俺これからデートなんだよ。そういうのは他でやってくれ」

「まあ、デートだなんて。そんなことをしている場合ではありません。早くここを離れなければ。不幸はすぐそこまで近付いているのですよ?」


 ヴァンデは舌打ちした。


「いい加減にしろ。俺は――」



「それはこっちのセリフよ」



 ヴァンデの言葉を遮り、女が小声で言った。

 女の表情はそれまでの笑顔のままだったが、その声はそれまでの胡散臭さは一切なく別人のような切迫した声だった。



「あんた、まだ気付いてないの? ずっと見張られてるみたいだけど、一体何をしたの?」



「へ?」


 ヴァンデは目を丸くして女を見たが――途端に顔面を壺でべちっと軽く叩かれた。


「怪しまれるから露骨に顔変えないで。今まで通り苛立った顔してなさい」

「あ、ああ……」


 勢いに押され、状況が呑み込めないままヴァンデは頷いた。

 すると女は先程の胡散臭い口調に戻る。


「ほらほら、もっとよく見て下さい。実際に手に持って頂ければその秘められた力の大きさを体感できるはずです。大きな運気の流れが感じられるでしょう?」


 そう言って半ば押し付けるように壺をヴァンデに持たせながらまた小声で言う。


「私の背後のベンチの女二人組と西側の入り口にいる男三人組。それに左手の木陰にいる男と女。少なくともそいつらはずっとあなたを監視しているわ。嘘だと思うならこの壺を見る振りをしながら確認してみなさい。きっと今もコソコソと視線を向けているはずよ」

「そ、そんなわけが……」


 ヴァンデは半信半疑になりながら言われた人間の様子を探ってみた。

 すると確かに、正面のベンチの女性二人も入り口にいるガラの悪そうな三人も木陰にいる男女も、全員こちらの様子を窺っていた。

 それぞれ雑談したり遊戯をしたりしているように見えて、時々ちらちらとこちらに視線を向けている。


 一体どういうことだ?

 ヴァンデは不安に襲われた。


「その顔だとようやく納得したみたいね」

「なあ、俺はどうしたらいいんだ?」


 女はニコリと笑い、嬉しそうに言った。


「まあ、やはり気に入って頂けたのですね。おめでとうございます。貴方は幸福を呼ぶ御方に選ばれし者。きっと降りかかる災いを払いのけることができるでしょう」

「へ?」

「つきましてはこちらの金額をお布施としてお納めください。それでこの御方との契約の成立となります」


 女はポケットから紙を取り出しヴァンデに見せた。

 そこには数字が走り書きされている。

 壺の値段として高いのか低いのか判断が付かなかったが、ヴァンデにとってはそれなりに高い金額だった。


「えっと……これを払えと?」

「はい」


 女は満面の笑みで頷く。


「しかしここまでの額はさすがに持ち合わせがないんだが……」


 デートのためにそれなりに財布に入れてはいたが、さすがにこれほどの額の用意はない。

 すると女は再び小声で言った。


「別に本当にこの額払えって言うわけじゃないわよ。あくまでも周りに疑われないようにするためだから。押し負けて買わされたって感じの不満顔で私に一度手持ちを全部渡しなさい」

「渡す振りじゃなく本当に渡すのか?」

「あんたアホなの? 見張られてるのに払う振りなんかじゃ逆に疑われるでしょう。とにかく今は無事に公園を出ることが最優先よ。ほら、奴らに気付かれる前に急いで」


 確かに女の言う通りだ。今は些細なことに拘っている場合ではない。

 ヴァンデは持ち合わせの金銭を全て女に渡した。

 女は受け取った金を懐にしまうと小声で続けた。


「そうしたらこれから私がさらに別の物を売り込もうとするから、それでついに堪忍袋の緒が切れたって感じで怒って広場から出て行きなさい。そうすれば目立った状態で堂々とここから逃げられるわ。監視してる奴も追えなくなるし、私もつきまとう振りをしながら守ってあげる」

「わ、わかった」


 ヴァンデが小さくうなずくと、女は壺をヴァンデに持たせた。

 そして別のポケットから小さな箱を取り出した。


「はい! お買い上げおめでとうございます。これであなたもこれからは災いから逃れることができるでしょう。ところで、運気をさらに引き上げるためにこんな品もあるのですが……」


 女が目で今だ怒れと合図をする。

 ヴァンデはそれに従って立ち上がると怒鳴り声を上げた。


「いい加減にしやがれ! もう十分だろう、これ以上俺につきまとうな!!」

「ひっ!?」


 監視していた連中だけでなく遊具で遊んでいた子供やそれ以外の人々も何事かとヴァンデに目を向ける。

 広場がしんと静まり返った。

 泣きそうな顔でその場にへたり込む女を残し、大股で東側の出口へ向かった。

 女は慌てて立ち上がりヴァンデを追ってくる。


「ま、待ってください。私はあなたのためを思ってですね……」


 必死に注意を引こうと話しかけるががヴァンデは取り合わない。

 そしてそんな二人の後をさらに追いかけようとすればかなり目立つことになる。つまり監視している連中はその場から下手に動けない。

 ヴァンデは見事に謎の監視を振り切り、広場から脱出することができた。


 さらに歩き続け、かなり離れてからようやく立ち止まって振り返ってみる。

 尾行などをされている様子はない。

 そこでようやくヴァンデはホッと安堵の溜め息をついた。


「どうやら逃げ切れたみたいだ。ありがとう、君のお陰だ……って、あれ?」


 ついさっきまで傍にいたはずなのに、女の姿はどこにも見当たらなかった。

 払う振りだけだから、と言われるままに渡した金も返してもらっていない。


 ヴァンデは女から受け取った壺を抱えたまま、しばしの間その場に立ち尽くしていた。

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