第1話-23.呪いの宝石、別れを告げる
「……と、これが今回の事件の概要だ」
と、アンブレは言った。「とにかく、お前たち二人に何事も無くて安心したよ」
ベッドの上に座ったトワルはやや呆気に取られながら、
「思ってたよりかなり大きな話だったんですね……」
地下水道での騒動の翌日。
病院で入院中のトワルの元を訪ねたアンブレが事件の詳細についての話をしていた。
トワルは右足に包帯を巻かれ、他の箇所にもいくつか絆創膏などを貼られている。
幸いなことに医者の診断ではそこまで酷い怪我はないらしく、右足の刺し傷さ良くなればすぐに退院できるだろうとの話だった。
フィオナはベッド横の椅子に座り、アンブレが差し入れてくれたリンゴの皮をむいている。
「しかし今回は本当に肝が冷えた。二人は巻き込まれた側だからあまり責める訳にもいかないが、今後はあまり無茶な行動は取らないようにしてくれ」
アンブレがそう言うとトワルは申し訳なさそうに笑いながら、
「心配お掛けしました」
フィオナもトワルに、
「全くだわ。本当に心配したんだから」
すると、アンブレがフィオナにニコリと笑いかけた。
「……私としては君のほうに余程ハラハラさせられたんだがね?」
優しい笑顔のはずなのに怒っていることが伝わってくる。
フィオナはたじろぎながら、
「ご、ごめんなさい。反省してます……」
実際のところフィオナはアンブレに怒られても仕方ないほど心配をかけてしまっていた。
何しろ、地下水道でアンブレたち自警団がトワルとフィオナの二人を見付けた際、フィオナはホッとしたように微笑んだあと「トワルのこと、よろしくお願いします」と言うなり粉々に砕けて消滅してしまったのである。
無理やり魔封じの札を剥がしたせいで死んでしまったのだ、としか思えない光景だった。
ところが実際はそんなことはなく、フィオナはそれから数時間後、何事も無かったかのように宝石の中から姿を現した。
額の傷もすっかり消えていた。
フィオナ自身も知らなかったのだが、宝石の外に出た時のフィオナには活動限界があったらしい。
恐らくはミューニアがエネルギー切れで砕けたのと同じ理屈だろう。
本来なら一日二日程度では限界など迎えないはずだったのだが、魔封じの札を剥がした時に出来た穴から霊体のエネルギー(?)が漏れ出し続けたために早々にエネルギー切れを起こしたようだ。
今だから笑い話にもなるが、訳も分からず目の前でフィオナが砕け散るのを見せられた時のアンブレの取り乱しようはそれは酷いものだった。
それに……アンブレはトワルの前だから口には出さなかったが、ハラハラさせられたというのにはベルカークの屋敷でのやり取りのことも含まれているのだろう。
二人の体調に問題ないことを確認し、それからいくらか雑談をするとアンブレは足早に帰っていった。
今回の件の事後処理などでまだまだ仕事が山積みになっているらしい。
「アンブレさんも大変だな。助けてもらった礼もしないといけないし後で詰め所に何か差し入れするか」
トワルはアンブレを見送ったあと呟いた。
だが、
「………」
フィオナは何故か反応しなかった。
「フィオナ?」
トワルが不思議に思ってフィオナを見ると、フィオナは俯いたままじっと左手のブレスレットを見つめていた。
屋敷で別れる際にトワルが預かっていたブレスレット。今朝宝石から復活してきた時に約束通り返したのである。
フィオナは考え事でもしているのか全く動かない。
やっぱりどうもおかしい、とトワルは思った。
思えば今朝トワルが目を覚ましてからフィオナはずっとカラ元気というか、何か無理をしているような様子だった。
「フィオナ、どうかしたのか?」
トワルが再度呼びかけるとフィオナはハッとした様子で顔を上げた。
「ごめんなさい。何か言った?」
「いや、何か調子が悪そうだからさ。大丈夫か?」
「………」
どうやらトワルに気付かれているとは思っていなかったらしい。
フィオナは不安そうな顔で、
「わかるの?」
「まあ、何となくだが」
トワルがそう答えるとフィオナはトワルをじっと見つめた。
喜んでいるようにも哀しんでいるようにも見える不思議な表情だった。
トワルは怪訝な顔で、
「本当にどうしたんだ?」
するとフィオナはすっと立ち上がった。
「実はね、あなたが行方不明になってからずっと考えていたの。……悩んだけれど、やっぱりこうするべきなんだと思う」
「こうするって、一体何を……」
トワルが尋ねると、フィオナは深々と頭を下げて言った。
「お願いします。私を手放して下さい」
「………」
トワルは返事をしなかった。
フィオナは頭を下げた姿勢のまま微動だにしない。
しばらく室内に静寂が続いた後、トワルが言った。
「俺のとこにいるのが嫌になったのか?」
「違うわ」
フィオナは頭を下げたまま首を振った。「あなたが私を手放したくない事情は理解しているし、私の事をまるで人のように扱ってくれたんだもの。感謝はしても嫌になったりはしないわ。でも、だからこそこれ以上一緒にはいられないの。今回のことでもわかったでしょう? 私はどうしようもない呪いなのよ。このまま一緒にいたらいつかあなたをもっと酷い目に遭わせてしまう」
トワルは言った。
「今回の件だったらお前さんは何も関係なかっただろう。この怪我だって俺が判断をミスったのが原因だ。俺が間抜けだったってだけの話でお前さんが気にすることじゃない。むしろお前さんが助けてくれなかったらもっと酷いことになっていた」
「あなたは私の呪いの怖さを知らないからそんな事が言えるのよ」
フィオナは絞り出すような声で言った。「私の呪いは持ち主に何度だって襲い掛かる。私が一緒にいたらあなただっていつか絶対に後悔することになる。今までずっとそうだったもの。だから……もう嫌なの。ランスターさんだけでなくあなたまで殺してしまったら、今度こそ私は私自身を許せなくなる。そうよ。あなたの為じゃないの。私は私が嫌な思いをしたくないからこれ以上あなたとは一緒にいたくない。私は自分のことしか考えていない卑怯者なのよ。そんな奴、あなたの近くにいてはいけない。だから……お願いします。私を捨てて下さい」
フィオナは相変わらず頭を上げない。だが、ぎゅっと握りしめた両手が震えていた。
「……俺にはお前さんがこれまでどんな思いをしてきたかなんて想像もつかない。だから身勝手な事しか言えないが、お前さんがそんな風に思うのは卑怯でも何でもなく当然の感覚だと思う」
と、トワルは言った。そして続けて、
「それに、卑怯者って言うなら俺のほうが余程卑怯者だよ」
フィオナは恐る恐るといった感じで顔を上げた。
「……どういう意味?」
トワルは少しの間黙っていたが、
「実を言うとさ、お前さんの宝石の呪いのことで気が付いたことがあったんだ」
と、言った。「話した方がいいかとは思っていたんだが、確たる証拠も無いのにこんなことを話したらお前さんを逆に苦しめることになるんじゃないかとかまあ色々考えてしまってさ。中々踏ん切りがつかなかった。でも今のお前さんの言葉を聞いて気付いたよ。俺はお前さん……いや、俺はフィオナに嫌われたり恨まれたりするのが怖かったんだ。だから都合の良い言い訳を並べて、伝えるのを先延ばしにしていたんだと思う」
フィオナはトワルが何を言おうとしているのかわからなかった。
そういえば、とフィオナは思い出した。
ベルカークがフィオナの正体をしったとき何か気になることを口にしていたが、ひょっとしてこれがそのことなのだろうか。
トワルは続けた。
「これはあくまでも俺の推測だ。状況証拠ばかりで何も確証はないし、てんで的外れな可能性がある。ひょっとしたらフィオナにとってはは今以上に残酷な内容で、今よりも苦しむことになるかもしれない。もしそうなったらいくらでも俺を恨んだり傷つけたりしてくれて構わない。もう見るのも嫌だから手放して欲しいと言うなら言われた通りにすると誓う。……だから、どうだろう。聞いてもらえるか?」
トワルはフィオナをじっと見つめながら言った。
一体何を話すつもりなのだろう、とフィオナは思った。
怖い、と感じた。気にはなるが、できれば聞きたくない気もする。
しかし、トワルが何かを知っているということをフィオナはもう知ってしまった。
どの道もう今まで通りの関係には戻れない。
トワルもそれをわかった上での提案なのだろう。
フィオナは緊張した表情で頷いた。
「わかったわ。聞かせて」
するとトワルはフィオナの宝石を手に取った。
そして、言った。
「この宝石は恐らく『災いを呼ぶ死神の石』じゃないと思うんだ」
「……え?」
フィオナは目を見張った。
トワルは淡々と続けた。
「古代文明によって作られた特殊な宝石なのは間違いない。だが、これに仕掛けられている呪いは少なくとも『持ち主を破滅させる呪い』ではない。恐らくは全く別の呪いなんだ」