第1話-19.呪いの宝石、真相を知る
「君をくれるだって? それはどういう意味だね。それにその姿は……?」
ベルカークは戸惑いの色を浮かべていた。
フィオナは淡々と言った。
「どういう意味も何も、トワルのところへ私を買い取りに来たじゃありませんか。トワルが襲われたのも私が原因なんでしょう?」
「い、一体何を言っている? フィオナさん、君は一体何者なんだね」
「フィオナというのは仮の名です」
と、フィオナは言った。「私の本当の名は『災いを呼ぶ死神の石』。トワルがあのヒッグという浮浪者から買い取った伝説の呪いの宝石です」
「トワルがヒッグから買い取った……? あの伝説の宝石を……?」
ベルカークは呆気に取られた様子で呟いた。それからアンブレに、「本当ですか?」
アンブレは頷いた。
「ええ、私もトワルからそう聞いています」
「………」
ベルカークは茫然としてフィオナを見上げた。
フィオナは戸惑った。
予想外の反応だった。霊体の姿を見せたら多少は驚くだろうとは思ったが、まるで全くの想定外とでも言いたげな驚き方だ。
『災いを呼ぶ死神の石』を探していたのなら、調べる過程で当然フィオナの事情も知っていたのではないのか?
フィオナはそう思ったのだが、それからベルカークはさらに予想外の行動をした。
片手で顔を覆い、天井を見上げて、
「あ゛ー、そういうことかあぁ……」
呻いた。
体の力が一気に抜けた感じの呻き声だった。
「災いを呼ぶ死神の石……そうか、そういうことか。納得した。それにこれは……どうりでトワルが手放そうとしなかったわけだ。冷静に考えてみれば当然のことじゃないか……」
ベルカークは一人納得した様子で頷いている。
フィオナとアンブレは訳が分からなかった。
アンブレが、
「そういうこととはどういうことです」
「……その質問に答える前に確認したいのですが」
と、言いながらベルカークは姿勢を戻してフィオナを見た。
その顔からは戸惑いの色はすっかり消え失せ、いつもの余裕のある愛想笑いが浮かんでいる。
「話せば貴女が私の物になってくれるというのは本当かな?」
フィオナは一瞬顔を強張らせたが、目を逸らさずに頷いて、
「……はい」
アンブレが、
「フィオナ!」
「それでトワルが助かるなら構いません」
フィオナは真剣な表情で言った。「ただし私は呪いの宝石です。私を手にすれば貴方は間違いなく破滅します。それでも良ければですが」
「ああ、構わんさ。どうせそんなことにはならんだろうからね。きっとトワルも同じようなことを言っていたんじゃないかな」
「え?」
何のことだろう。トワルから何を言われたと思ったのか?
フィオナはベルカークの言葉の意味が分からなかった。
しかし、今は自分のことよりトワルのことだ。
「約束です、答えて下さい。トワルを襲ったのはどこの誰で、どうしてトワルは襲われたんですか?」
フィオナが尋ねると、ベルカークはフィオナとアンブレをじっと見つめたあと、残りの紅茶を一気に飲み干した。
カップを置いたとき、その顔から愛想笑いは完全に消えていた。
「いいでしょう。それほどの覚悟を示されたのでは答えないわけにはいかない。ただし、これから話すことは一切他言無用で願いたい。下手に噂が広まればトワルを助けるどころの次元ではなくなります。この街で暮らす人間全員が命の危機にさらされることになるのです。それをまず念頭に入れてもらいたい」
想像以上に深刻な内容のようだ。
アンブレもフィオナも緊張した面持ちで頷いた。
するとベルカークは話始めた。
「まず明確にしておきたいのですが……トワルを襲った連中や私が手に入れようとしていたのは『災いを呼ぶ死神の石』ではありません。私もたった今までそうでしたが、恐らくあの連中もそんな宝石の存在など知る由もないでしょう」
その言葉にフィオナは目を丸くした。
「でもベルカークさんもあの人たちも、トワルに私を渡せって……」
するとベルカークは溜め息をついた。
「全員が勘違いをしていたのさ。『よそ者から買い取ったものを渡せ』と言われて君たちはそれを『災いを呼ぶ死神の石』だと思った。だが私や奴らの狙いはそれじゃない。私たちが欲しがっていたのは、ヒッグが持っていたはずの銀で出来た女神像のことだったんですよ。手に持って運べるくらいの大きさのね」
「………」
フィオナはベルカークが店に訪ねてきた時のことを思い返していた。
言われてみれば確かに、ベルカークは一言も宝石とは言っていなかったような……。
アンブレが、
「その女神像というのはどういったものなのですか」
「ちょっと見ただけではただの骨董品です。ただし底の部分に仕掛けが施されていてね。決められた通りに回せば外して小物程度なら中に隠せるようになっている。……そして現在、問題の女神像に入っているのはドラウド国の機密文書でしてね。それをこちらが手に入れられればあの国との戦争を回避する有力な切り札になるのです」
「戦争……?」
と、フィオナが言った。
ベルカークは続けた。
「トワルを襲った連中はドラウド国の人間なのです。ついでに言うと殺されたヒッグもね」
アンブレはそれを聞いて息を飲んだ。
フィオナもドラウド国という名に聞き覚えがあった。
以前トワルとアンブレが話していた国だ。
確か最近不穏な動きを見せていて、戦争が起きるんじゃないかとか何とか……。
ベルカークは言った。
「ドラウド国が戦争を起こそうとしている、という噂は残念ながら本当でね。それどころか現実は噂よりも深刻な状況なんですよ。放っておけばあの国は遅かれ早かれこの街に攻めてくるでしょうね」
フィオナが、
「なんでそんな事になっているんですか?」
「ありきたりな話ですよ。数年前にドラウド国は支配層が世代交代したんですが、これがどうも出来が良くなくてね。度重なる政策運営の失敗で国民の不満が無視できないほど溜まってしまった。放っておいたら暴動どころか革命でも起きるんじゃないかというほどにね。その不満を解消するため、支配層の者たちは悪いのは自分達ではなく他の国なのだと世論を誘導した。そしてその生贄として選ばれたのが我々の住むこの街サミエルでした。この街は元々戦争をするようには作られていませんからな。戦力差も考えるとドラウド国が負けることは万に一つもありません。ストレス解消に攻め滅ぼすだけならここほど都合の良い場所はないでしょう」
「そんな……」
フィオナが信じられないというように呟いた。
アンブレが、
「しかし、よりにもよってサミエルを狙うというのは正気とは思えませんが」
「仰る通りです。うちは大陸の流通の要ですからな。ここが機能を停止すればドラウド国内もただでは済みません。食料も何もかもが干上がって国民は今以上の地獄を見ることになるでしょう。しかし上の連中は矛先を自分達から逸らせればどうなろうと構わないようでしてね」
ベルカークは肩をすくめた。「無論、我々もそれを黙って見ていた訳ではありません。戦争を回避するために考えうる限りの手段は講じてきました。そんなときに起こったのが今回の女神像の騒動だったのです。……といってもこの件についてはこちらが何か策略を講じたという訳ではなく、向こうが勝手にボロを出しただけなのですが」
アンブレが、
「詳しい経緯をお聞きしても?」
「ええ」
ベルカークは頷いた。
事の起こりはひと月ほど前に遡る。
ドラウド国の政治の中枢に関わっている貴族の使用人の一人が逃亡した。
逃げることになった経緯などについてはここでは些事なので割愛するが、その使用人は逃げ出す際にその貴族の金庫に入っていた金銭とともに女神像を持ち出した。
「その使用人というのが今朝殺害されたヒッグですか」
「そうです」
その出来事の情報はドラウド国に潜り込ませていた密偵からベルカークの元へも届いていたが、聞く限りではただ金品が盗まれただけである。だから最初ベルカークは気にしていなかった。
しかしその後の連絡から、女神像を盗まれたと知った貴族が酷く取り乱し、すぐさま逃げた使用人に対して子飼いのスパイを刺客として差し向けた事を知った。
疑問に思ったベルカークがその女神像について調べさせてみると、どうやらその女神像は表沙汰にできない機密のやり取りをする際に使われていたものらしいとわかった。
そして、ヒッグが持ち出した女神像は他の貴族に送る前の物で、機密文書が入ったままだったらしい。
アンブレが、
「ヒッグはそれを知った上で持ち出したのですか?」
「いや、恐らく知らなかったはずだ。単に資金の足しにしようとしたのか、あるいはいざという時に身元の証明にでもなると考えたのか。正確な意図はわかりませんがね」
「なるほど」
つまりヒッグにとっては質屋に売ってもさしておかしくない代物だったわけだ。
ベルカークたちがトワルが買ったと勘違いするのは無理もない。
フィオナが、
「その文書の内容もご存じなんですか?」
「いいや、さすがにそこまではわかりません。ですがあの貴族の狼狽振りから考えるとドラウド国民にとって余程胸糞の悪いことが書かれているのでしょう。なにしろ、あの貴族は他の貴族たちから責任を追及されることを恐れてかこの件を誰にも伝えていないようなのでね。だからこそ絶好の機会だったのです。その文書をこちらが手に入れられればドラウド国に対する有力な交渉材料となるのは間違いありませんから」
そんな経緯により、ベルカークとその貴族による女神像争奪戦が水面下で行われていたらしい。
ベルカークは喉が渇いたのか紅茶のカップを手に取ったが、先程飲み干したのでカップの中は空である。
不機嫌そうに眉を寄せたが、やがて諦めたように話を再開した。
「ヒッグはなかなか勘が鋭かったようで、何度も貴族の刺客をかわして国外へ脱出しました。その後この街のほうへ向かったという情報までは掴めたんですが、その後の行方がぱったりと途絶えてしまってね。だからよく似た男がトワルの店に現れたと報告を受けたときは心底驚きましたよ。何としても確保したかったので私が自分で店に出向いたほどです」
本人がやって来るのは珍しい、とトワルは言っていたがそういう事情だったらしい。
アンブレが、
「その時におかしいと思わなかったのですか? トワルが手に入れたのがその女神像だったとしたら、ベルカーク殿に渡さないはずがないでしょう」
「それを言われると何も言い返せません。完全に私の判断ミスです。まさか女神像と同じくらい厄介な物を売られたなんて思いもしなかったものでね。トワルが厄介な物だと認識しているようだったからてっきり女神像のことを言っているのだと思い込んでしまった。あいつなら間違いなく女神像の中の文書の存在にも気付いただろうという信頼もありましたし」
と、ベルカークは言った。「それにトワルに自分で何とかすると断られた時、あの店でのトラウマが思い起こされてしまってね。そのせいで冷静さを欠いてしまった」
フィオナが首を傾げて、
「トラウマ? トワルとお店で何かあったんですか?」
「トワルではなく、その先代のオーエン氏の話さ。あの人には今回のような状況のとき何度も苦汁を飲まされたのでね……」
ベルカークはそう言って頭を抱える。
するとアンブレも顔に手を当てて俯いた。
「ああ、そうでしたね。あの人、厄介な事件の時に限って首を突っ込んできてはこちらの段取りを全て引っ掻き回してくれましたからね……」
ベルカークもアンブレも、物凄く嫌なものを思い出したというような顔をしている。
トワルの師匠、本当にどんな人だったんだろう……とフィオナは思った。