第1話-17.質屋と宝石、窮地に陥る
「見つかったか?」
「いや。だがその辺に隠れてるはずだ。必ず探し出せ」
廊下を駆けていく音が聞こえる。
じっと息を潜めていたトワルとフィオナはホッと溜め息をついて、
「行ったみたいね」
「ああ」
二人は客室のクローゼットの中に隠れていた。
撒くことには成功したがあくまで一時的なものだ。このままじっとしていてもやがて見つかってしまう。
あの三人組が一体どういう連中なのかはわからないが、いずれにせよ捕まれば碌な目には遭わないだろう。
どうにかして見付からずにこの屋敷から抜け出すか、或いはあの三人を撃退しなければいけないが……。
「フィオナ、お前さん一人なら壁をすり抜けてこの屋敷から抜け出せるよな。自警団の詰め所へ行ってアンブレさんたちを呼んできて欲しいんだが、行けるか?」
「できなくはないけれど……」
フィオナは言い淀んだ。
その場合トワルをここに置き去りにすることになる。
しかし、かといって他に方法は思いつかなかった。
相手は三人で、昨日のことを考えると全員何かしら凶器を持っていると考えたほうがいいだろう。
強引に突破するのはリスクが高すぎる。
トワルの言う通り、この状況では誰かに助けを求めるのが適切な気がする。
そうであれば適任なのは霊体になって飛んでいける自分のほうだろう。
こうして時間を無駄にすればするほど危険は大きくなるのだ。これ以上迷っている場合ではない。
フィオナはブレスレットを外した。
途端にフィオナの身体が淡く発光し始め、透き通っていく。
フィオナは外したブレスレットをトワルの前に浮かせて、
「……それ、預かっておいて。必ず返して貰うからね。絶対無事でいるのよ」
「ああ」
トワルはブレスレットを受け取って頷いた。
フィオナは不安そうにトワルを見ていたが、意を決したように上を向くとクローゼットの天井をすり抜けて飛んで行った。
「頼むぞ」
と、トワルは呟いた。
それからトワルはクローゼットの壁に寄りかかると、腕を組んでこれからどうするべきか考え始めた。
このままずっとここにいるだけでは遅かれ早かれ見付かってしまうだろう。
どうにか隙を突いて、ここよりも安全な場所――例えば、あの連中が一度探し終えた場所とか――に移動できればいいのだが……。
そんな事を考えていた矢先。
突如、トワルが隠れている部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
――は?
思わす声を上げそうになり、トワルは慌てて口を両手で塞いだ。
「ったく、どこ行きやがったんだ」
猫背の声。足音から察するに一人だろうか。
トワルたちが見つからないので手分けして探すことにしたようだ。
何かを蹴飛ばしたり、戸を開けたりといった物音が聞こえる。
どうやらこの部屋を探しているのはたまたまで、ここに隠れたのがバレたという訳ではなさそうだった。
と言ってもこのままではトワルが隠れているクローゼットを開けられるのも時間の問題だ。
フィオナが自警団を連れてくるまでずっとここにいるのは難しいだろうとは思っていたが、さすがにここまで猶予の無いニアミスは想定していなかった。
トワルは脂汗が滲むのを感じながら必死にどうするべきか考えた。
気付かれずにクローゼットから抜け出すのは恐らく不可能。かといってこのまま何もせずクローゼットを開けられてもその時点でアウトだろう。
とすると……一か八か、覚悟を決めるしかないか。
トワルはゴクリと唾をのみ、外の気配に集中した。
猫背は壁伝いに室内を捜索しているようだった。だんだんクローゼットに近付いてくる。
チャンスは一度きり。トワルはクローゼットの中で身構え、じっとタイミングを待った。
足音がクローゼットの前で止まり、戸が開いた。
同時にトワルは飛び出した。
猫背が目を見張り何か言おうとしたが、トワルはそれより早く懐に入り込むと腕を掴んで猫背を投げ飛ばした。
「ぐえっ」
絨毯に頭から落ちた猫背が呻く。
大昔にアンブレから半ば強引に仕込まれた護身術である。
付け焼刃もいいところの腕前だったが、不意打ちだったお陰で辛うじて通用してくれたらしい。
アンブレさんには後でお礼を言わないといけないな、とトワルは思った。
「ガキだ! ガキがいたぞ!」
倒れたままの猫背が打った頭を押さえながら大声で叫んだ。
できれば気絶して欲しかったな……。
トワルは室内を見回し、手頃な大きさの木の椅子に目を留めた。
なかなかいい品だが今はそんなことは言っていられない。
トワルはその椅子を掴むと部屋から駆け出した。
廊下を見回すと右から一人走って来るのが見えた。眼鏡だ。
トワルは再び小麦粉の袋を投げた。トワルと眼鏡との間に粉塵の壁ができる。
「くそっ、またか」
眼鏡がたじろぎ後退する。が、トワルのほうは逆に粉塵の中を突進した。
まさか粉塵の中を突っ込んでくるとは思っていなかったのだろう。眼鏡は一瞬硬直した。
トワルはその隙を見逃さず、眼鏡の頭へ思い切り椅子を振り下ろした。
椅子が砕け散り、眼鏡は頭を押さえてよろめく。それを背後から粉塵の中へ蹴り入れた。
「うわっ」
眼鏡はバランスを崩し粉塵の中に転がった。
急すぎて状況が理解できなくなったのだろう。体の痛みと降り注ぐ粉とで眼鏡はパニックになったらしく悲鳴を上げた。
その声を聴いてスキンヘッドが駆け付けてきた。
「お前らどうした! ……このガキ、よくもやりやがったな!」
粉の中でもがく眼鏡とそこから離れようとするトワルを見て状況をすぐに理解したらしい。
憤怒の表情でトワルに向かってくる。
トワルも同時に逃げ出した。
しかし、もう残りはスキンヘッドだけ。このまま捕まらなければ屋敷から抜け出せる。
自分でも予想外なほどに上手く事が進んでくれた、とトワルは思った。
過分に運が良かったのだろう。
体力的にはもう限界が近いが、ここが正念場だ。
トワルは必死に走った。
そしてどうにか捕まらないまま裏口へ辿り着き、外へ出た。
外の景色だ。トワルは思わず安堵した。
そして同時に、下腹部に激しい衝撃を受けた。
驚きと激痛で思わずその場にうずくまる。
「なんだこいつは」
聞いたことのない声がした。
痛みで顔を上げられないが、足が見える。すぐ傍に誰かが立っていた。
この男に出会い頭に殴られたらしい。
三人組だと思っていたが、四人目がいたのか、とトワルは思った。
「ボス!」
追い付いてきたスキンヘッドが四人目に声を掛ける。
ボスと呼ばれた男はスキンヘッドに、
「この小僧は一体なんだ? 例の物は見つけたのか」
「いえ、探したんですがここには無いみたいで……で、ですが、このガキから聞き出せばわかるはずです。ヒッグの奴が何か渡したって話なので」
「ほう」
スキンヘッドは随分狼狽えている様子だった。
そういえばさっき「失敗したら俺たちがボスに消される」と言っていたのをトワルは思い出した。
あれは冗談でも何でもないということなのだろう。
逃げなければ、と思った。だが体が言う事を聞いてくれない。
「そ、そうだ。青い服の女を見ませんでしたか? 屋敷の中でこのガキと一緒にいたんですが」
「俺は今ここへ来たところだ。……つまり、その女には逃げられたかもしれないってことか」
「……はい。や、屋敷にいないところを見ると恐らく」
ボスはチッと舌打ちをした。
そしてトワルは後頭部を激しく殴られた。
「他の二人を呼んで来い。こいつを連れてさっさとここから離れるぞ」
ボスがそう言っているのを聞きながらトワルは意識を失った。
森を抜けたフィオナは自警団詰め所へ向かう途中、部下を数人引き連れたアンブレを見付けた。
「アンブレさん!」
フィオナが空から降下しながら呼びかけると一団がこちらを見上げる。
後ろの部下たちがギョッとしてざわついた。
見た目が完全に幽霊なのだから無理もない。
アンブレも驚いていた様子だったが、
「フィオナ、その姿は……何かあったのか?」
「屋敷に行ったら昨日の人達に襲われて……助けて下さい! 早くしないとトワルが!」
「屋敷だな。お前たち、急ぐぞ」
アンブレは駆け出した。
部下たちもフィオナたちの事情は聞いていたらしい。フィオナの姿への戸惑いはとうに消え、真剣な表情でアンブレの後に続く。
フィオナも元来た道を戻りアンブレたちを誘導した。
屋敷へ戻ってみると、そこには誰もいなかった。
手分けして探したものの、争った形跡はあるがトワルもあの三人の姿もない。
隠し部屋の中も確認したがフィオナが持ち去られた時の状態そのままだった。
あの浮浪者の荷物も置いたままになっている。
どうやらあれから誰も立ち入っていないようだ。
アンブレが重い口調で、
「トワルはどうやら連れ去られたか」
フィオナが震えながら、
「そ、そんな……」
「落ち着け。聞く限りでは連中はフィオナの宝石を探していたのだろう。ここでトワルを殺さず連れ去ったということはまだ目的は果たしていないはずだ。まだ助けられる可能性はある」
とはいえ、一体どこへ連れ去られたのかは皆目見当も付かなかった。
何よりの問題は、あの三人の狙いである『災いを呼ぶ死神の石』を現在トワルが所持していることだ。
宝石を手に入れられてしまったらトワルは用済みだろう。
その前に助け出さなければならないとなると、状況はかなり厳しい。
――そうなのだ、とフィオナは思った。
『災いを呼ぶ死神の石』。トワルはあの宝石を身に着けていた。
トワルが捕まったのは、ひょっとしたらあの宝石の呪いのせいなのかもしれない。
これまでの持ち主と同じ。あの宝石のせいで、私のせいで、トワルも……。
「……フィオナ? フィオナ、どうした」
アンブレに声を掛けられてフィオナは我に返った。
何か話しかけられていたらしい。
「ごめんなさい、何ですか?」
「現状、我々には情報が足りない」
と、アンブレは言った。「フィオナ、連中について思い出すことはないか? 何でもいい、手掛かりが欲しいんだ」
「手掛かり……」
フィオナは記憶を巡らせた。
そして、ふとある人物を思い出した。
「……ベルカークさん」
「なに?」
「昨日、ベルカークさんがやって来て私の宝石を譲れって言ってきたんです。ヒッグ――私を売ったあの浮浪者の人のことも知っていたようでした。ひょっとしたら何か知っているのかも……」
「ベルカーク殿が……?」
アンブレにとっては予想外の名前だったらしい。
少しの間何か考えている様子だったが、
「よし、ベルカーク殿を訪ねてみるか」
部下の数名を見張りとしてその場に残し、アンブレたちはベルカークの屋敷へ向かった。