第1話-11.質屋の店主、援助を断る
どうやらベルカークもトワルが本気で宝石を譲る気がないのを理解したらしい。
この人が大人しく諦めるとは思えないが、今日のところは話はこれで終わりだろう。
そうトワルは思ったのだが……。
ベルカークは唐突にこう言った。
「ところで、そこにいる女性は誰だね」
「え?」
トワルが言われて振り返ると、
「あ」
開いたドアから様子を窺っていたらしいフィオナが慌てて頭を引っ込めた。
トワルは内心頭を抱えた。
ベルカークは大の女好きで、街の各地にある別宅に大勢の愛人を囲っているともっぱらの噂だった。
というか、実際にそうである。
どうにか取引を断る流れに持ち込んだのに、フィオナがその宝石だと知られたらまた話をひっくり返されかねない。
「彼女は最近知り合った友人のフィオナです。フィオナ、こちらはこの街の商人のベルカークさん」
トワルがそう紹介すると、フィオナも何か察してくれたらしく姿を見せて、
「フィオナと申します。初めまして、ベルカークさん」
愛想よくお辞儀をした。
ベルカークは途端に上機嫌になり、
「ほほう、これは美しい。私の知らない子がこの街にまだいたとは」
と、言った。「しかし、何故そんな札を付けているんだね」
額の御札である。
フィオナはギクリとして、
「あ、これは、その……」
「おや、触れてはいけないことだったかな。いやすまんすまん。ところで――」
ベルカークは取り留めのない会話を絶やさないようにしながら、フォオナの顔や胸、腰に足など体中をねっとり舐めるように観察していた。
こっそりやっているつもりのようだったが、端から見るとばればれである。
会わないうちに少しは衰えたかと思ったが、相変わらずエロ親父のままなんだな……とトワルは思った。
フィオナも視線には気付いているらしく、笑みは絶やさないが次第に眉間に皺が寄っていく。
「ベルカークさん、お急ぎだったのでは?」
トワルが半ば強引に会話に割り込むと、ベルカークは思い出したように、
「おっと、こりゃいかん。あまりにも可憐なのでつい時間を忘れてしまった」
はっはっは、と笑う。「それではフィオナさん。何か困ったことがあったら気兼ねなく私のところへ相談に来なさい。あなたの望みなら何でも叶えてあげよう」
「ははは……」
フィオナは愛想笑いした。
そしてベルカークはのしのし床を軋ませながら店を出ていこうとしたが、ふと振り返り、
「そういえばトワル、昨日探していたという流れ者は結局見つかったのか」
「いえ」
「そうか。本気で探すつもりならせいぜい急ぐんだな」
どういう意味だ?とトワルは思ったが、ベルカークはそれに答える気はないらしく、トワルが尋ねる前に出て行ってしまった。
フィオナが身震いしながら、
「なんなの、あの人」
「この街の商業の元締めみたいな人さ。この街の内政にも関わっていて、あの人の逆鱗に触れたら翌日から何も買い物ができなくなるって言われてるくらいの権力と財力の持ち主だよ」
と、トワルは言った。「俺との関係で言うと同じ師匠に師事していたいわば兄弟子だ。といって俺が師匠に引き取られて間もなく師匠と喧嘩別れしてそれっきりだから、元兄弟子になるけどね。……そして、この店の所有権を持っている人でもある」
フィオナは驚いて、
「この店、あなたの店じゃなかったの?」
「元々は師匠の店さ。だが師匠が借金抱えたまま行方知れずになったもんだから、昔のよしみであの人が借金を立て替えてくれたんだ。俺みたいな身元も怪しい若造よりあの人のほうが信用が大きいからね。その代わり所有権があの人に渡った。しかしそうしてくれなかったら今頃この店は残ってないだろうし、俺自身もどうなっていたことか。だから正直なところ俺はあの人には頭が上がらない」
「………」
「まあ、色々あったのさ」
トワルは肩をすくめた。
しかし……とトワルは思った。
ベルカークは一体何をしに来たんだ?
『災いを呼ぶ死神の石』の希少性や歴史的な価値を考えれば、呪われたままでも欲しがる物好きは多いだろうし、ベルカークの手腕なら相当が額で捌けるだろう。
しかし、そうは言っても宝石一個。ベルカークが持つ莫大な資産に比べたらいくらで売れたところで小遣いにもならないはずだ。
そんな物のためにわざわざ自分から出向いてくるとは思えない。
しかも昨日の今日、しかもこの早朝である。ビジネスはスピードが命とはよく言うが、いくらなんでも急ぎ過ぎだろう。
他に何か目的があったように思えてならないのだが……。
「どうしたの?」
フィオナが不思議そうな顔で聞いてくる
「いや、ちょっと考え事しててな」
と、トワルは答えながらポケットに手を入れて、「それよりさっきの話の続きなんだが」
ベルカークのことは今考えても仕方ない。
とりあえずは目の前の問題を解決しておこう、とトワルは考えた。
「良かったらこれを付けてみてくれないか」
「これって……」
トワルが渡したのは手織りで作ったブレスレットだった。
フィオナの青みがかった髪に合わせて青く染められている。
「魔封じの札を加工して作ってみたんだ。これを付けていれば額の札を剥がしても封印状態を維持できるし、札が密着しないから副作用の五感の共有も起こらない。それに、これなら自分で好きなように取り外しできる」
「自分で外せるって……そんなものを渡して大丈夫なの?」
「ああ、お前さんなら問題ないだろう」
「………」
フィオナはブレスレットを受け取り、じっとそれを見つめた。
トワルはそんな様子を窺いながら、おずおずと、
「それで、良かったらなんだが……今日はそれを付けて店の手伝いして貰えないかな」
「お店を? ランスターさんの屋敷はいいの?」
「それは明日でいい。いきなり店を休みにするわけにもいかないからな」
本音を言えば、ベルカークが気になることを言っていたし、屋敷に早く行きたいのは確かだ。
しかしトワルとしてはフィオナのほうが気掛かりだった。
屋敷に向かうだけならまだしも、隠し部屋があるとなるとフィオナの案内が必要になる。
だが依然としてフィオナの顔色は悪い。
この状態で以前の持ち主の屋敷へ連れて行くのは少々不安だった。
だから、店の仕事でもして貰ったら少しは気分転換になるのではないかと思ったのだ。
実を言うと全く別件での懸念があったので今日は店を開けたくなかったのだが、それはまあ何とかなるだろう。
「お店の手伝いね……いいわ、やらせて」
フィオナはブレスレットを左手に付けながら「考えてみたら色々食べさせてもらったりベッド借りたりしたものね。私も食い扶持の分くらいは働かせてもらうわ」
「そうか。じゃあ頼むぞ」
トワルはフィオナの額の札を剥がした。
それから店の簡単な説明を始めた。