第1話-9.呪いの宝石、朝食をとる
フィオナは居間を覗いてみたが、トワルの姿はなかった。
確か居間で寝ると言っていたはずだが、どこにいるのだろう。
「店のほうかしら」
そう考えて店舗のほうへ行ってみると、トワルがいた。
カウンターの椅子に腰かけて腕組したまま俯いている。眠っているようだ。
夜通しで何か作業をしていたらしく、カウンターの上には工具やら布切れやらが並んでいる。
それに混じって、何故か『災いを呼ぶ死神の石』も一緒に転がっていた。
「………」
そっとトワルの様子を窺うが、起きる気配はない。
この実体化した体なら宝石を持ってそのままどこかへ逃げることもできるだろう。
そうすれば恐らく呪いの矛先をトワルから逸らすことができる。
だが……。
「ふーん、意外と寝顔はかわいいのね」
と、フィオナはトワルの顔を覗き込みながら呟いた。
昨日あんな事情を聞いてしまったらさすがにそんなことをする気にはなれなかった。
もう少しだけ様子を見てみよう。
フィオナはそう思った。
時計の指している時刻はまだかなり早い。
あの浮浪者の情報を伝えようかと思ったのだが、わざわざ起こして伝えなければいけないほど急ぐ必要はない気がする。
それに、情報と言っても確証があるわけでもなく、ほとんどフィオナの勘に近いのだ。
叩き起こした挙句にもし徒労だったら……と考えるとさすがに躊躇してしまう。
悩みに悩んだ結果、やはり話すのは後にすることにして、フィオナはそっと音を立てないよう居住スペースへ戻っていった。
さて。
トワルを寝かせたまま戻ってきたのはいいが、トワルが起きてこないとすることが無い。
自分ももう一度眠ろうかとも思ったが、もう身支度は済ませてしまっているし何より完全に目が冴えてしまっている。
暇だ。
何をしようか、とフィオナがきょろきょろしていると、ふと台所の食材が目に入った。
「そうだ、朝食でも用意してあげようかしら」
昨日色々してもらった恩返しというわけではないが、やられっ放しでは落ち着かないし、後半は何やら暖かい目で見られていたような気もする。
少しはいいところを見せてやりたい。
名誉挽回。伝説の宝石としての威厳を取り戻すのだ。
料理の経験など無いが何度か目にしたことはある。
どうにかなるだろう。
フィオナは腕まくりして台所へ歩いて行った。
「……なんだ、この匂い」
トワルは異臭で目を覚ました。
何の匂いだろう。嗅いだことのない匂いだった。店内からではない。
匂いを辿って歩いていくと、キッチンのようだ。慌ただしい物音と声が聞こえる。
「え、なんで? どうしてこうなったの? とりあえずなんとかしないと――」
「何やってんだ?」
「あ……」
トワルがキッチンを覗くとフィオナがギクリとした顔で振り向いた。
何かを作っていたらしいが……この匂いは火にかけた鍋から漂っているらしい。
「な、なんでもないわ!」
「いや、なんでもなくはないだろう」
わたわたしながら必死に鍋を隠そうとするフィオナをすり抜け、トワルは鍋を覗き込んだ。
鍋の中には形容しがたい何かがぐつぐつ音を立てていた。
灰色、いや紫色だろうか。沼のようなドロリとした謎の物体が泡を吹き出している。
「……ひょっとして、これが呪いってやつなのか?」
「違うわよ失礼な! 朝食用にスープでも作ってあげようかと思ったのよ!」
「スープ?」
トワルはまじまじと鍋の中身を見つめながら言う。。
フィオナは真っ赤な顔でぷるぷるしながら、
「し、仕方ないでしょ、初めてだったんだから! ほら、もうどこかに捨ててくるからそこどいて!」
だがトワルはなおも鍋を覗き込みながら、
「一体何を入れたんだ?」
「別に変なものは入れてないわよ。その辺にあった食材をそれっぽく煮込もうとしただけだし」
「ふうん」
トワルは何を思ったのか、近くにあった小皿で鍋の中身を掬い取ると、それを口に持って行った。
フィオナがギョッとして、
「やめなさい、そんなの食べたら死ぬわよ!」
だがトワルはフィオナが止める前にそれを飲み込んで、
「なんだ、見た目と匂いはともかく味は悪くないじゃないか」
「へ?」
「朝食はこれでいいだろう。よそってもらえるか」
「うわ、本当に食べれる……」
テーブルに付き、恐る恐る匙を口に運んだフィオナは目を丸くした。
匂いと見た目は最悪だが、味はそれなりのシチューみたいな味だった。
ドロリとしているが舌触りも思ったほどには悪くない。
煮込んでいた鍋の中身がみるみるおぞましい何かに変わっていったときはどうしようかと思ったが、勝手に食材を使った挙句に余計な面倒を増やしただけだった、なんてことにならずに済んでフィオナは心底安堵した。
「でも、よく口に入れる気になったわね。作った私が言うのもなんだけど、どう見たって食べ物じゃなかったのに」
フィオナは向かいに腰掛けたトワルに言った。
トワルはスープを口に運ぶ手を止めて、
「ん? だってお前さんがわざわざ早起きして作ってくれたんだろ? 親切を無下にしちゃ悪いしな」
「……べ、別にあなたのために早起きしたわけじゃないけどね」
どうも調子が狂う。
フィオナはスープの残りを掻き込むふりをして皿で顔を隠した。
自分でもよくわからないが、今トワルに自分の顔を見せたくなかった。
「そ、そういえば」
と、フィオナは無理やり話題を変えた。「私を売りに来たあの浮浪者みたいな人の居場所、ひょっとしたらわかるかもしれないわ」
トワルが驚いた様子で、
「本当か?」
「ええ。あの人の前の持ち主のランスターさんの屋敷にまだいるかもしれない」
フィオナはトワルに浮浪者が『災いを呼ぶ死神の石』を売りに来るまでの経緯を掻い摘んで話した。
以前の持ち主だったランスターが亡くなり、無人になった屋敷の隠し部屋で長い間放置されていたこと。
そこへあの浮浪者が盗みに入り、隠し部屋を見つけて『災いを呼ぶ死神の石』を持ち出したこと。
屋敷から出るとき、浮浪者が自分の荷物を隠し部屋へ置きっ放しにしていたこと。
隠し部屋には他にも高価な物がまだまだ残っていたこと。
「なるほど」
トワルは思案顔で言った。「自分の荷物を置いたってことは最低でも一度は戻るつもりだったってことか。金目の物がまだあるならそいつらを売りながらしばらくそこで暮らす可能性もあるか。まあ、うちには二度と売りに来ないだろうが」
「ただ、肝心の屋敷がどこにあるか私ちゃんと覚えてなくて……」
「それなら見当がつくから大丈夫だ。多分幽霊屋敷のことだろう」
「幽霊屋敷?」
「ああ。この街の南に森林地区があるんだが、その奥に持ち主が不明で何十年も放置されてる屋敷があってな。話を聞いた感じじゃ恐らくそこのこと……」
と、トワルはそこまで言いかけたが、「フィオナ、どうした?」
「え? 何が?」
「いや……顔色が悪いが具合でも悪いのか?」
トワルは心配そうな顔をしている。
実際、フィオナの顔は真っ青になっていた。
「あはは……私、そんなに酷い顔してるかしら」
フィオナは自分の顔に片手を当てて、「ごめんなさい。呪いで死なせた人のこと、普段はあまり思い出さないようにしてたから……」
「………」
「心配しないで。私なら大丈夫よ」
と、フィオナは言った。「それより大事な手掛かりでしょう。これから行ってみる?」
「……いや、そんなに急がなくても大丈夫だろう。それよりも渡しておきたいものがあるんだ」
「私に?」
「ああ。昨日の夜に作ってみたんだけど――」
そう言いながらトワルはポケットから何かを取り出そうとした。
だがその時、店舗のほうから声が聞こえてきた。
「おーい、トワル! トワルはどこだ、いないのか!」
男の声だ。
フィオナは怪訝な顔で、
「誰かしら。というか、まだお店開けてないはずよね?」
トワルは匙を皿に置いて立ち上がると、
「……悪い、ちょっと行ってくる」
何やら驚いた顔をして足早に出て行った。