自宅でのひと時
「楽しそうな職場……ね。私も大学の話、参加したかった……わ」
「菫も先輩みたいに喜ぶか?」
「あなたがそう望んで……くれたら、感動……いえ、感涙かも」
「大袈裟だなぁ」
昨晩は小雨に打たれて帰り、今日の日中もあれよあれよという間にバイトが終わった。
安栗さんから打ち切られた話題は、結局消化不良のまま持ち越しとなっている。
いずれ詳しく説明されるそうだが、あの気まずそうな様子ではしばらく先延ばしだろう。
桃花と何があったのか逆に気になってくる。
とまぁ、土曜出勤をこなしてメッセを送り、すぐに返信をくれた菫と絶賛通話中。
電話越しの声も新鮮で、なかなかよろしい。
昨日の大木さんとのやり取りを伝えたところ、かれこれ三十分は盛り上がっている。
ほとんど俺が愚痴ってるみたいなもんだが。
「ごめん、なんか一方的に喋っちまったな」
「私も楽しい……よ。あなたについて、まだ知らない部分が多い……もの」
「そんな相手を本気で好きになれるもんなのか?」
「若苗くん……だけ。例え親しくない相手でも、助けを求められなくても、目の前で困ってたら……手を貸す。そんなあなたの人柄に……心奪われた……わ」
「そのぐらいはやる奴いるだろ」
「周りが目を逸らしてる中、踏み出せる人は少ない……よ。あと……顔も好き♡」
俺が声に惹かれる理由と大差ないのかな。
それはそれで潔いし、こっちもスっと入る。
人間性や心理状態に関心を持つと、ただの世間話でさえ面白いと思えた。
尤も、相手に興味ありという前提付きだが。
藤之宮姉妹、そして安栗姉妹のことであれば、できるだけ多くを知りたい。
声で判断するなら安栗さん一択でも、すでに凝り固まった認識が覆されつつある。
自分の心境の変化も深く掘り下げたいのだ。
胸に引っ掛かる支えも一つではないし。
「そーいや桔梗の様子はどうだ? 喧嘩とかしてないよな?」
「喧嘩どころか、ほとんど口も利いて……ない。冷戦状……態?」
「菫に争う意思が無いなら、桔梗が拗ねてるだけだろ。二人だけで仲直りは難しいか?」
「これは桔梗の問題……だから、私がつつけば、拗れ……そう」
「かもな。また前みたいに楽しくやれねーのかなぁ」
「それは……平気。あの子は必ず、あなたを求める……わ」
妙な言い回しをしやがる。
しかも菫から見れば、不都合な進展ではないだろうか。
仮に言葉通りに捉えるとして、それは最終的に俺がどちらかを選ぶ結末になる。
菫を選べば桔梗が泣くし、逆もまた然り。
それを踏まえた上で、姉妹の幸せを望むのが家族愛と言われれば、それまでなのだが。
しかし今すぐ考えるべきは関係の修復。
後の問題は後回しにして、歓談へと戻した。
時刻は十九時を回り、程々の空腹感を覚え始めた頃、玄関を開く音が俺の部屋まで届く。
仕事を終えた母さんが帰宅したのだろう。
そろそろ菫との電話も潮時かな。
「そっちは夕飯遅めなのか?」
「もう呼ばれる頃……かも。若苗くん……も?」
「母親が帰ってきたから、これから作るとこだな」
「手伝いに……行くのね」
「な、なんで分かった!?」
「さっき、料理は多少やるって言ってた……し、お母さん思いなとこ、話してて……気付くよ」
「そんな話ししたっけか。まぁいいや、また学校でな」
「うん。また……ね」
確かに家での過ごし方とかも会話に出たけど、よく俺の行動パターンを読めたものだ。
恐ろしく勘が働く上に、本気で俺を理解しようとしてくれているのだろう。
今の感情をひと言で表現するのなら、嬉し恥ずかしいという言葉がしっくりくる。
甘酸っぱい青春ストーリーの一端を、自分で味わう日が来るとは夢にも思わなかった。
役目を果たしたスマホはベッドに残し、ケーブル経由でエネルギーを補給させる。
凝った身体を軽く伸ばしてから、自室のドアを開けてリビングへと向かった。
案の定、母さんは買い物袋の中身をテーブルに並べ、冷蔵庫に片付けている真っ最中。
ジャケットだけを脱ぎ、他はスーツのまま。
「おかえり。俺がやるから着替えてきなよ」
「ただいまー緑。今日はジム行かなかったのね〜」
「ちょっと疲れてたのと、友達と電話する約束してたからな」
「あらあら、大切な用事があったのね。疲れが溜まってもいけないから、ご飯作るまで休んでていいわよ?」
「母さんほどじゃないよ。こっちが冷蔵?」
「そうそう。じゃあお言葉に甘えるわね」
母さんは料理好きだから、コンビニ弁当で済ませるような日は滅多に無い。
疲れていてもササッと作ってしまう。
二人分とはいえ数日分となれば、食材を持ち帰るだけでもそれなりに体力を使うはず。
まぁ一週間分の献立を頭に入れてる人に、外野が口を挟むのも野暮ってもんだ。
ひと通り片付けた頃、戻ってきた母さんの指示を受けて野菜の皮剥きから始めた。
数少ない楽しみをできる限り邪魔せず、サポートに徹するのが俺の役目。
手際良く仕上がった料理は次々と食卓に並び、一時間足らずで副菜の小鉢までが完成した。
いつ見ても料亭並みだし、味も申し分ない。
どこでこんなスキルを磨いたのやら。
週に二回程度の作り立ての美味さに浸っていると、嬉しそうな顔の母さんが呟いた。
「緑はお姉ちゃんとは真逆で、昔からさっぱりした物が好きよね」
「だって胡麻和えとか酢の物って後引く味じゃん」
「食べ盛りの男の子はあまり好まないわよ。勉強の方は捗ってる? 来月のテストも期待できそう?」
「んー、いつも通り八割以上は取れると思う」
「それなら安心ね。塾も行かずに毎回良い点取るんだから、本当に自慢の息子よ」
「そのリソースをジムに溶かしてるんだから、本業も疎かにならないよう効率的にこなすさ」
「学生らしからぬセリフね。年相応に恋愛くらいしてるの?」
唐突な爆弾発言に思わずむせ返ってしまう。
親というのはどうしてこうも、子供の恋路ばかり気になってしまう生き物なのか。
口を開けばで、これで何度目になるのやら。
「してないけど……」
「あら、また告白された?」
「うっ、なぜそれを……? それより母さんこそ、自分の再婚でも考えろよ」
「えー、相手がいないわよ〜」
「そりゃ残念なこった」