難儀な恋愛脳(1)
「あぁ〜なんか疲れたぁ。そんでまだバイトかぁ」
「お疲れ……さま。土日も……バイト?」
「おう。明日・明後日と夕方までだけどな」
「そっか。その後は、時間……ある?」
「大抵はジム行ってるけど、明日はパスかなー。なるべくぼけーっとしてたい」
「じゃあ……明日、電話して……いい? あなたの声を聞くと、元気が出る……の」
「別に構わねぇが、菫にもそういう女子っぽいとこあんだな」
「あっ、当たり前じゃない! 好きな人と話したいって思ったらイケないわけ!?」
唐突に出現する菫デレ子バージョンも、ツン要素が徐々に増してきていい感じだ。
タイミングが読めないのもポイント高い。
放課後になり、俺を避けるように帰った桔梗と入れ替わりで、三組を訪れた桔梗の姉。
たぶん昼のことが気掛かりだったのだろう。
そこから並んでチャリ置き場を目指す最中、隣を歩く彼女の変わりない様子に一安心する。
正門を跨げば俺はコンビニ、菫は駅に向かうわけだから、もう間もなくお別れだ。
名残惜しむ暇なんて、忙しない週末業務に瞬く間に呑み込まれていくだろう。
金曜ってうるさい客が多いんだよな。
遊び盛りの学生とか、仕事帰りの酔っ払いとか。
店の前を占領するのだけは勘弁願いたい。
六月の空は暗くてしんみりする日も多いが、その中でも今日は一段と雲が分厚く見える。
昼までは晴れ間も広がってたのに、まるで自分達の不安定さが影響したかのようだ。
そして右側にもしんみりとした横顔が。
「菫、傘持ってないのか?」
「うん。天気予報、晴れだった……から」
「急に沈んできたもんな。これ持ってけよ、無いよりはいい」
荷物が多いとつい省きがちな折り畳み傘。
先週は夕立が頻発したから、この日もたまたまカバンに突っ込みっぱなしだった。
梅雨入りしたかどうか微妙な時期は、毎日持つ派の割合も少数ではないだろう。
しかしこんな小さな傘を利用しても、雨風から制服と荷物を守りきるなんて到底不可能。
だったら常備せずに降水確率と運頼み。
そんな人間だって決して少なくない。
本来後者であるはずの俺はそもそも自転車だから、雨が降れば濡れるのは必然。
よって不要になる傘を菫の前に差し出した。
「え……でも、若苗くん……は?」
「バイト先まで降らなければどうにでもなる。チャリを残して帰る気もないしな」
「そう……なんだ、ありがとう。返すの……月曜でいい?」
「もちろん。小さくて使いづらいけど、降り始めたらちゃんと差せよ? 菫は肌真っ白で病弱そうだからな」
「うん……分かった。風邪引かないように、気を付ける……ね」
「素直な奴だな。反論したっていいんだぞ?」
「だって……皮肉じゃなくて、本心……でしょ? 優しい気遣い、伝わってる……よ♡」
今の不意打ち笑顔は絶大な効果だった。
それでなくても幼く感じる可愛い声なのに、妹並みに無邪気な表情とか反則だろ。
笑い方とかホント桔梗にそっくりだな。
菫の鼻にかかった感じの声に合わせると、健気な少女感が強まって尚更萌える。
だが本人に言えるほど意気地が無い俺は、その後彼女を直視できないまま解散した。
急いでペダルをぶん回し、コンビニに到着した段階で、まだ雨はパラついてもいない。
どうにか濡れずに済んだものの、汗と湿気でシャツがベタっと体に貼り付いている。
売り場を通過して休憩室に入ると、やけにテンション高めの挨拶が飛んで来た。
「おっはよー緑くん! 天気悪いねー!」
「大木さん……? お、おはようございます。なんで天気悪くて嬉しそうなんすか?」
「んー? 天気なんてどうでもいいからねー!」
「ちょっと何言ってんのか分かんない……」
会話が成立しないほど上機嫌な先輩従業員。
業務に支障が出ないか懸念するレベルだ。
大木さんが状態異常を患った原因は、一緒に着替えている途中で本人から語られた。
「実はさぁ、彼女が俺と同じ大学目指すって言ってくれたんだぁ。明日も二人で勉強♡」
「結果どころか入試もまだ先なのに、今からそんなに浮かれてるんすか?」
「そっかー、緑くんは本気で誰かを好きになったことがないんだねぇ。分かるよー、分かる分かる」
「憐れむような自己完結やめれ。確かに未経験ですけど、気になる人はいますよ」
「じゃあ俺が何でこんなに幸せなのか想像してごらん」
「彼女とキャンパスライフやっふー! ってことですよね? そんな四六時中一緒にいたいもんですか?」
「もちろんそれもワクワクするし、一緒にいたいよー。でーもそこじゃないんだなぁ〜」
乙女心を持て余す男子ってかなりウザいな。
含みを持たせた言い回しなんか特に鼻につく。
勤務時間が始まっても考え続けているのに、大木さんの気持ちに全然共感できなかった。
進学先なんて本人の自由だし、自分の将来を見据えて選択すべき。
一時の感情を優先すれば後悔するだろう。
ならば今一度見つめ直してほしい。
本当にそれが進むべき道なのかを。
俺の頭を過るのはそんな見通しばかりだ。
モヤモヤしている間に一時間が経過し、安栗さんが慌てて入店してきた。
彼女は学校の都合上、平日だと十八時出勤でもギリギリらしい。
畳まれた傘からは水滴が点々と垂れている。
一時間くらい待ってくれてもよかっただろ、気が利かない天気だな。
バックルームにモップを取りに行くと、従業員用の傘立て前であたふたする人影。
横のロッカーに手を伸ばした瞬間、振り返ったその人とぶつかりそうになった。
「あっ、すみません若苗さん! 自分で拭きますよ!」
「いえいえ、安栗さんの出勤時間まで五分程ありますから、その間に済ませますよ」
「でもすぐに着替えますから——」
「ダメですって。従業員は会社の規則に従いましょう。かと言って滑る床を放置もできませんし、ここは俺に任せてください」
「若苗さん……ありがとうございます。あとで何かお手伝いしますね」
深々と頭を下げられることでもない。
これは業務の一環であり、スタッフ同士やお客さんへの当然の配慮である。
ついでに売り場全体を拭いて回っていると、目が合った大木さんが思い切りニヤけた。
「緑くん、安栗さんで想像しても難しいかな〜?」
「安栗さんは年上じゃないですか。寝惚けてます?」
「いや、そういうことじゃなくて……」