01話 初めての戦闘
————眩しい
柔らかい草の感触。ほのかに香る花の香り。そして照り付ける太陽。
感覚が次第に鮮明になってきている。
閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
草原だ。
なだらかな起伏のついた丘がいくつも連なり、視界の果てまで地面を形成している。その上に背の低い草が多く生え、ところどころ紫の花のようなものが見える。所々に常緑樹のような木が生えており、のどかな雰囲気が出ている。
初めて見る景色だった。しかし、俺はこの景色を知っていた。この丘。この草花。この木。青空。雲。壁のように両脇に控える山脈。そう、ここは…
〈Welcome To Magic Sphere!〉
ハイトーンの合成音声が脳内に響く。ファンファーレがうるさい。
にわかには信じがたいが、やはりここは『マジックスフィア』の世界なのだ。この草原は、攻略本の表紙にもなっているチュートリアルの舞台だ。何万回も繰り返しページを見続けた結果がここに生きてきた。
頭が追い付かないから一つ整理しよう。
俺は横になっていた体を起こし、丘に腰かけた。
つまりこういうことか。俺は父親の仕事のため(ゲーム機のため)シンガポールに向かう途中乗っていた飛行機が事故により墜落。そして死亡し、転生したら待ち焦がれたゲームの中の世界だったってことか。
転生。そんな夢物語のようなことが本当に起こるのか?しかも帰れるかどうかもわからないかと来てる。父親に会えるかもわからない。この展開……
「最っ高じゃん!」
口に出して叫んでみた。声が草原中を動物のように駆け回る。
やりたいと思ってたゲームの中で好きに動ける。呪文を唱えて、敵を倒して、レベルアップが出来る。魔王を倒して、英雄になって家を持てる。夢のようだ。夢なら冷めないでくれ。
視界の右上には自分のステータスが表示されていた。
プレイヤー名:ミツ
LV:1
HP:20 MP;30
まさにそれだった。雰囲気が出ている。雰囲気っていうよりそのものなんだけどね。
HP、MPはゲージで表示されている。数値的にはまさに初期。二桁の数字が心もとない。
しかし、そんなことは関係ない。なんてったって俺にはこの世界を知り尽くしてんだから。
魔物よかかってこい。魔王でもいいや。片っ端から蹴散らしてやる。
カサカサ。
一人興奮の余韻に浸っていると、近くの草から音がした。
カサカサカサカサ。
草の擦れる音。反射で振り向くとそこにはヤツがいた。
このカサカサいう音。誰もが嫌がるつややかなボディー。まさに人類の敵。これは……
G!……ではなく、そこにはつややかな流線形ボディーを持ったスライムがいた。それも二体。
早速バトル開始か。俺は身構えた。
〈戦闘システムの説明を聞きますか?〉
Noだ。俺はもう戦闘システムのページを何十万回見たと思ってるんだ。
瞬間。スライムが同時にとびかかってきた。
うおっ、と身をかわす。
いきなりかよっ
スライムの攻撃方法は確か…『とびかかり』だけだったよな。
とりあえずこいつらを片付けないとストーリーが進まないな。
ここが本当に『マジックスフィア』の世界なら、俺はどんな高緯度呪文だって使えるぜ。
彼らには悪いが、確認もかねて一発ぶちかましてみよう。
さらば!愛しき流線形ボディー。
「暴爆嵐竜覇!」
詠唱と同時に天に暗雲が立ち込め巨大な魔法陣が描かれる。
雷、暴風、空気のカッターが二匹を襲う……はずだった。
発動しない!?
空は雲一つなく憎々しいまでに快晴である。
なぜ?詠唱は成功したはず。まさかこのスライムたち初見殺しのトラップ?それとも対魔法結界が張られて……
考えに耽ってるうちに注意がおろそかになった。
ぐふっ
スライムが背後から一撃を食らわせてきた。
痛ぇ。どうやら痛覚はあるみたいだ。(といっても軽く肘打ちされたくらいの強さだっただが)
視界の右上のHPが3減った。やばい、魔法が使えないとなるとこのHPが0になるのも時間の問題だ。
ちょっとまてよ……HP17……MP3!?
そういえばまだLV1だった。ミストラルテンペストなんて使えるはずもない。なんてったって風属性の最上級呪文。消費MPは確か4800……。
異世界無双もうまくいかないな。
体勢を起こし頭をポリポリかく。ついでに2匹の攻撃をかわす。
MP30で使える呪文は……最下級じゃねぇか。まぁ文句は言ってられないな。
「火炎」
さっきより気迫が落ちた気がするがそれは置いておこう。
伸ばした手に小さく魔法陣が描かれそこから炎が飛び出す。
1匹に当たるとスライムは蒸発した。効果が切れる前にもう一匹仕留める。もう一匹のスライムも炎に包まれ蒸発した。少しかわいそうだが仕方がない。
〈Level Up!〉
機械音声が鳴り響く。ファンファーレがうるさい。
どうやら今の戦闘でレベルが上がったようだ。それでも変化は微々たるもの。愛しの'ミストラルテンペスト'を使うときはいつになることやら。
地面の炎を足で踏み消していると何かが当たった。
拾い上げると薬草だった。回復量は少なく希少価値なんかないがスライムのドロップとしては珍しい。ツイてると思っておこう。
どうしたものかと思うと勝手にメニューが開かれた。
どうやら思うだけで開くようである。ステータスやら操作方法やらは置いといて(ていうかこの世界の操作方法とかどう書いてあるんだろう。今度見てみよう)所持品枠を開く。しまっておこうと思ったらすでに先客がいた。しかも二つ。
初期装備ってことでいいのかな。こんなものがあるなんて本には書いてなかったが。まぁいいや。アイテム名は……
『���������』
うん。わかるか!
なんか文字化けしてるし。しかも二つとも!なにこれ、開くとアカウント乗っ取られたりとかしちゃう一種のウイルス?なわけないか。
とりあえず出してみるか。
薬草をしまってアイテムを選択する。
実体化したアイテムは見慣れた本。その重みがずっしりと伝わる。
おいおい、マジかよ。
驚きを隠せないのも無理はなく、それは生前読み深めていたまさに『マジックスフィア』の攻略本である。
チートじゃん!
すでに知識がある自分が言うのもなんだが、これは真なるチートだ。
思ったより異世界無双は簡単なのかもしれない。
そしてもう一つは、ラジオ。小型のタイプで、イヤホンも付いてる。こちらも生前使っていた愛着のあるアイテムだがなんでこの二つだけ?それに先に攻略本見ちゃったせいで感動も半減……。
嬉しいことには変わりはないんだけどね。
〈これでチュートリアルを終了します〉
こうして充、改めミツの初めの戦闘は思いがけないアイテムとともに幕を閉じたのだった。
「気圧刀!」
放たれた空気の刃物が一斉にゴブリンの群れを襲う。
何匹かは絶命し残りはフィールドのかなたまで逃げ出した。
すかさず第二射を放つ。わずかな誘導により緩やかなカーブを描きながら多段ヒットする。
死体は残らず煙のような音を立て白い結晶となって消えてゆく。
〈Level UP!〉
プレイヤー名:ミツ
LV:12
HP:230 MP;510
ふう。ようやくレベル12か。
俺がこの世界に転生してからもう4日たった。
俺はいまこの先にある村、『アルヒ村』へと向かっている。小規模ながらも多くの店や普通より安い宿屋があり、初めの装備を整えるには最高の場所だ。ほかにも簡単なミッション掲示板もあるため少々遠いのだがそこへ向かっている。
やっぱり始まりが肝心っていうからね。
しかし、思ったより着くのが遅い。別に強力なモンスターが出現したり、地形的に行きにくいわけではないのだが……。
この世界、思ったより疲れる!
ゲームの中の世界とはいえ、実際に歩いているのだから疲れも出てくる。前世は父親に甘やかされて、ほぼヒキニート状態であったのだ。よって運動はほとんどしてない。一度だけ友達に誘われて外出し、次の日筋肉痛でベットにこもっていたのはいい思い出である。
だがしかしそんなヒキニートの頑張りによって少しかすんではいるがアルヒの村が視界に現れた。
もう少し。そう思った矢先……
「……っ!?」
足につるりとしたものが巻き付いたと思った瞬間、視界が反転し体が宙に浮かんだ。頑張って首を後ろに向けると『ゲシュペンストフラワー』の巨大な口があった。
かっこいい名前をしているが要するに花のお化けである。普段はかわいらしい15センチメートルくらいの大きさのオレンジ色の花の姿をして道に咲いているが、プレイヤーなどの動くものが近づくとその振動を感知して3メートルを超える大きさまで拡大する。音もたてずに後ろから触手を伸ばして捕まえ花の中央にぽっかりとある口に放り込む。
しかしその姿は本で何度も確認し、脳裏に刻み込んだはずなのだが……。おそらくほかの背の高い草に隠れてしまったのだろう。不覚である。
そのパワーは非常に強く、レベル30であったとしても力不足で逃げるのは難しいだろう。
ただそれは腕力の話。巨体でありながらこいつの魔法防御力はそこら辺の草と何ら変わらず0に等しいのである。
残念だったな。こちとら脳筋じゃないんでね。
笑みを浮かべ詠唱を始める。
「火炎陣!」
消費MPは500ちょっとで、攻撃力はファイアの5倍以上。プラスして全体攻撃である。単体に使うには惜しすぎるMP量だが試してみたい気持ちが強かったから仕方がない。
ゲシュペンストフラワーの下に赤い魔法陣が描かれ、そこから発生する炎の渦がゲシュペンストフラワーを包み込むはずだった。
発動しない……。
頭の中のタンスを開けて記憶を探る。途中「デジャヴ」という言葉が出てきたが無視する。
火炎陣
火属性全体中級魔法
消費MP:560
……あれ?
冷汗が垂れる。
えーっと……間違えちゃった。
MP……足りなかったな。そういえばそうだった。
そうこうしているうちに口が迫ってくる。
ヤバイヤバイ!えっとこんな時に使える魔法は……あれだよ……えーっと何だっけ!
頭の中が真っ白になっていく。呪文も出てこない。まずい。非常にまずい。まさかこんなところでゲーム―オーバーか。
脳裏に浮かぶ「デジャヴ」がどんどん大きくなっていく。
「大火炎球!」
突如声がし後方から炎の弾が飛んでくる。俺の頭の横をかすめゲシュペンストフラワーの頭にクリーンヒットし激しく燃える。ついでに頭の中のワードも焼失。
触手の力が弱まったのを見てするりと脱出する。
燃え盛る炎を見てほっと溜息をつく。
ひとまず助かったが角度によっては俺も危なかったんじゃないかと思ってしまう。
振り返ると巨漢の男がいた。
「大丈夫か?少年」